「お花見でも行きませんか?」
ちょうど満開ですよ。
振り返った時にはもう遅かった。
こいつの気配に気付かないでいたなんて。多少は気配を殺していたんだろうが、無防備な背中を晒したことが無性に悔しい。
「何でそんなこと…」
「開花日から平均気温を足していって、値が80になった時満開になるという法則がありますからね。ただし、」
「雨や雪が降った場合はその日の平均気温から−10、だろ。それくらい知ってるさ。
俺はそんなこと聞いてねぇんだよ」
何故こんな真夜中に、怪盗と二人で花見などしなくてはいけないのか。
酷く理解に苦しむ。
「夜桜を見に行くつもりがないのなら、名探偵はここで何をしていたんです?」
てっきり私の迎えを待っているのだと思っていたのですが。
「なに…って…」
答えたくない質問をされて言葉に詰まった。
屋上でぼんやりと空を眺めていたのは眠れなかったせいだけれど。
「…ただの暇潰しだよ」
こいつに弱みなど見せたくないから。
「では暇潰しにお花見をしましょうか」
「え、…」
いそいそとキッドに抱き上げられて、逆に墓穴を掘ってしまったことに気付いても後の祭りだった。
真夜中の桜には昼間とはまた違った、狂気を孕んだ近寄り難さがあるように思う。
「明るいんだな」
街灯しか点っていない割には。
攫われるようにして連れて行かれた場所は、無粋なライトアップなどされていない、ひっそりとした公園だった。
「花明りですね」
夜風に震える花を見回してキッドが言う。
「桜、嫌いでした?」
「別に嫌いな訳じゃない。それに付いて回るイメージは嫌いだがな」
顰めっ面の理由を聞かれて曖昧に答えた。
「桜の樹の下には屍体が埋まっている、とかですか?鎧桜というものもありましたね」
落武者がその樹に鎧を掛けて切腹したという。
ずれたことばかり言われて脱力した。
「…分からないなら、いいさ」
太陽の下で艶やかに咲き誇る桜は、新しく始まる何かに相応しい。
入学式に入社式、学年がひとつ上がってみたり。
そんな始まりに取り残された、寧ろ一度辿った道を再び歩いているのだと。今年も変わらず花をつけた桜を見ると、どうしようもなく気分が塞ぐのだ。
ふわりと。
頭の上に何かが乗せられて。
「私は貴方を置いていったりしませんよ?」
両手で触れて、確かめる。
それは、ぶかぶかのシルクハットだった。
「何せKIDですから」
視線を合わせたキッドに言われて少しムッとした。
つまりは俺の憂鬱の中身なんてお見通しで、わざと惚けてみせたってことだろ?
「だったら俺が、おまえを置いて大人になってやる」
不敵に笑って、シルクハットを持ち主に返した。
「それは楽しみですね」
抗議されると思ったのに、キッドは穏やかに微笑っている。
「…いいのか、おまえは」
躊躇いながら、問い掛けた。
「何がです?」
「俺に置いていかれても」
「構いませんよ。だってどっちにしろ私を追いかけてくれるでしょう?」
それはそうだが。
勢いで置いていくなどと言ってみたものの、実際その時が訪れたとしたら俺は、こいつだけを闇の中へ置き去りにするなんて戸惑いなくしてはできないだろう。
「私はたぶん、貴方が居てくれればそれでいいんです」
惑う心を見透かしたようにキッドが言う。
「もし、いなくなったら?」
どうなるっていうんだと聞き返した。
「そうですねぇ…」
考えるように言葉を止めたキッドは、薄く雲のかかった月を見上げる。
酷く遠い瞳をしていて怖くなった。
「この白い衣装を腐敗した深紅で染め上げて…残酷な殺人鬼と化している、かもしれませんよ?」
おそらくは、父親を殺した組織に対する復讐のために。
冗談なんかでは済まされない。狂気と悲しみの混じり合った覚悟が確かに伝わる。
「…脅しかよ」
何とかそう返して小さく睨んだ。
「まさか。ただのお願いです」
止めたいと思うのは探偵だからではないのだと思う。殺人という罪を犯した人間の、苦しみも後悔も痛いほど知っている。キッドにそんな想いを背負ってほしくなどなかった。
もうひとつの理由は勝手すぎて口に出せない。
キッドが、相手の死を以て復讐を果たしたら…そうしたら俺は、隣に立てない。
今でも怪盗と探偵という、決して馴れ合うことの出来ぬ相手だけれど。これ以上遠くなったらこの手は、もう届かない。
「頼まれなくたって、」
俺はおまえの前から消えたりしない。
いつか殺人を犯すというのなら、この身を投げ出してでも止めてやる。
俺だって覚悟ならとうにしているけれども。
おまえの瞳にはその瞬間、ちゃんと俺が映るのか?
復讐よりも俺を選ぶと、狂わない瞳で言えるのか?
2010.3.29
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