また、ケータイが鳴っている。
画面を確認するまでもない。相手は確実に快斗だろう。
電源を落としてしまおうかと思う。でもそうすると他の人から掛かってきた場合困るし。
着信拒否にしてしまえとも思う。
一度電話に出て、もう掛けてくるなと言えばいいのかもしれない。
何もできずにただ鳴りやむ時を待っているのは、拒絶の言葉なんてもう吐けないからだ。
あんな嘘、一度きりしか言えそうにない。
冷静に、別れを告げるなんて一度きりしか。
そうだ、柄にもなく俺は焦っていた。
「しばらくここに泊まっていい?」
口では許可を求めながら、手には何日泊まる気なんだと言いたくなるほどの大荷物を抱えて。
突然快斗が訪ねてきたのは二週間前のことだった。
「…お前、家出でもしたのか?」
「まさか。そうじゃなくて…新一と一緒じゃないと眠れないから」
「そんなバカバカしい理由で俺があっさり承諾すると思ったら大間違いだぞ」
さっさとドアを閉めにかかる。
「俺、かなりお買い得物件だよ。料理もうまいし掃除も得意だし手先も器用だし」
向こう側からもぐぐぐと押されて、意外と筋力のある腕にあっさり負けた。
「…家政婦かよ」
「希望としては入り婿がいいんだけど」
「…まったく笑えねぇ」
「そりゃ、冗談なんかじゃないからね」
まともに相手をしていると、もっと笑えないことを言われそうだと思った、ため。
「…泊まりたいなら勝手にしろよ」
陣取っていたドアの前から身体を避けて道を空けた。当然、深い溜め息のオプション付きで。
いそいそと荷物を運び入れる目の前の男は、ただの友人と言うとかなり語弊がある。親友なんてもっとしっくりこない。好敵手なのにしつこく好意を寄せられる。キス止まりのたぶん恋人未満。それが曖昧すぎる快斗との関係の全てだった。
「しんいちー、今日も不幸の手紙が大量に届いてるよ」
押しかけてきてから三日も経つと、快斗はすっかりこの家の生活に馴染んでいた。
「人の郵便物を勝手に取り出すな。挙句、勝手に開けるな」
それはもう、はっきり言って図々しいほどに。
「そんくらい、いいじゃん。同居人なんだからさぁ」
「…居候の間違いだろう」
まぁ、同棲と言わなかっただけ褒めてやろう。諦観混じりに考えながら、快斗の手元を覗き混む。
「今日は五枚かぁ…」
「同一犯だな」
明らかに筆跡が同じだ。
毎日こんなものを送り付けてくるなんて、よっぽど暇なのか、それとも。
「何かこれ…すごく悪意を感じる」
いたずらじゃないよね、嫌な感じ。
死ねだの殺すだのお前のせいだの、物騒な決まり文句の割に几帳面に並べられた文字をなぞりながら快斗が言う。
文字の大きさ、高さ、横幅…執拗なまでに揃えられた丁寧さが逆に不気味だった。
「そりゃそうだろ。俺のこと憎んでるんだからな」
「…心当たりあるの?」
平然と頷けば途端に心配そうな顔をする。
「はっきりあるって訳でもないけどな。こういうのはたいてい犯人の身内だ」
「絶対気を付けた方がいいって」
快斗はかなりの心配性だ。同じ空間で生活するようになってから分かったこと。
「別に…そんなん今更だろ」
探偵やってりゃ、こんなこと日常茶飯事だし。
お前のせいだと責められるのにはもう慣れてしまった。慣れてはいけないものなのだろうけれど。
果して俺は、何かを救っているのだろうか。それとも、ただ苦しめ、痛め付けて壊しているだけなのか。
責める瞳にぶつかる度、分からなくなる。
「俺がボディーガードしてあげよっか?」
「ものすごくいらねぇ」
冗談なんだか本気なんだか。判別のつかない申し出をすげなく却下して、不幸の手紙はごみ箱に放った。
それから一週間が経過して、今朝も相変わらず不幸の手紙は届く。
快斗は、郵便物には触らなくなった。今度勝手に開けたら追い出してやる、という脅しが効いているおかげだろう。
快斗と過ごす日々は平穏だ。平穏で平和で、そのうえ快斗が自称お買い得物件と言っていたのも間違いではなかった。
邸内が綺麗で明るくなった。食生活が無駄に豊かになった。
探偵業で深夜帰宅しても明かりが灯っていて。夜更かしして本を読んでいると夜食が出てきて。いい加減寝ろよと言われるけれど。結局二人して一晩中起きている日もあった。
そんな平穏な日々と比例するように、手紙の内容はエスカレートしていく一方で困惑する。
だいたい、冤罪だから釈放しろなどと、探偵相手に訴えても仕方ない。警察に言ってくれと思う。
何か根拠がある訳でもなく、アイツがあんなことする訳がないと、そう繰り返すばかりで。
理屈も何もあったものじゃない。ただひたすらにこちらを悪者扱いし続けて、攻撃的な言葉を投げ続ける。
快斗には何も言っていないが、最近、外出のたびに跡をつけられているような気がするし。
三日前には庭で小火騒ぎまであった。
警察へ届けるにしても証拠がない。
そろそろまずいかもしれないと、封筒の中身を眺めながらため息をついた。
「しんいちー、玄関先で何やってんのー?」
朝ご飯できたよ、と明るい声が聞こえてくる。
江戸川コナンから元の身体へ戻って、俺は元通り一人になった。それが一番よかったと思った。
もう誰かを巻き込まなくていいことに安心した。心底安心、していたのに。
コイツがやると手遊びのマジックさえ、何処か華やかに見えてしまう。
「…なぁ、」
少しだけぼんやり見惚れた後、トランプを広げる横顔に向かって声をかけた。
「ん?」
手元に集中していた訳でもないらしい快斗は、すぐに顔を上げて俺を見る。
「俺とお前って付き合ってんのか?」
「それはもちろん」
なるべく感情の篭らない声で問えば、即座にそんな答えが返ってきて、ポーカーフェイスを保つのが難しいなと思った。
「そうか。なら、別れてくれ」
巻き込むのは嫌だ。だから、ここから追い出してしまう。
どうして、と問われたらはっきり言ってしまわなければならない。嫌いだから一緒にいたくないのだと。
“好き”だとか告白もすっ飛ばして、別れ話から始まるのか。そう思えば何処までも滑稽だ。
そもそも、やっぱり付き合っていたのか、俺たちは。知らなかった。
そんなことを散漫に考えながら、快斗が何か言うのを待つ。
「…わかった」
「……え…?」
どんな答えが返ってこようとも冷静でいるつもりだったのに、思わず小さく声が漏れた。
推定外だった。聞き間違いを疑うほどに。
あんまりあっさりと承諾されて拍子抜けした。
もっと駄々をこねられると思っていたのだ。日頃の言動からして。
「そういうことなら出ていくよ」
あっけらかんと、快斗が言う。
唐突に別れを切り出したのは俺なのに、酷くショックを受けているのも俺だった。
荷物を取りに行くためか、ソファーから立ち上がった快斗が目の前を横切って部屋を出る。
散々好きだとか何とか言っていたくせに。
あれは、全部、嘘だったのか?
理不尽な感情だと分かっているからぶつけることなど出来るはずもなく、ただ、黙って立っていた。
十日前と同じような荷物を持って未練なく出ていく背中を見送った後、
「…本気だったのは俺だけかよ」
ひとけのなくなった邸内に、惨めな独り言がやけに響いた。
2010.11.26
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