子供向けの単純なテレビゲームに、思考のすべてを集中させて。
 考えたくないことから逃げ出した。

「…あ、くそっ」

 GAMEOVER

 テレビ画面に何度も踊る文字。
 繰り返されるその文字に追い詰められる。

 ノアズアークの仕掛けたゲームを、途中で投げ出そうとした、こと。
 逃げているつもりなのに逃げられない。

 GAMEOVER

 どうしよう。みんな、死んでしまう。

 ますます必死にコントローラーを操作して、指が、手のひらが汗で滑る。
 元太が、歩美が、光彦が、灰原が。
 蘭、が。
 助けてねと笑顔で遺しながら消えていく。
 願いを投げ出した自分に吐き気がする。
 いや、気分が悪いのはきっとちらつく画面のせいだ。

 キャラクターが弾けて消えた。

 暗闇の中にテレビ画面の明かりだけが灯る。画面はゲームオーバーばかりを表示する。
 ゲームの中のあの霧の深い夜に、閉じ込められたままでいるような気がしていた。

『ごめんね…』

 聞こえない声で言って蘭が微笑った。


痛みを知った日



 血走った目で画面を睨みつけ、何度もゲームオーバーを突き付けられながら、どのくらいゲームを続けた頃だろうか。


「コラ!」


 不意に、少し抑えた、けれど叱りつける男の声を聞いて、驚いてコントローラーを取り落した。

 恐る恐る振り返る。

「っ…おじさん…」

 両眉を吊り上げた小五郎が、いつの間にか背後に立っていた。

「なーに真夜中にゲームなんかやってんだ」
 ガキは今すぐ寝ろ!

 尤もすぎる叱責だ。素直に頭を下げる。

「…ごめんなさい」

 彼は深い溜め息で返した。そして言う。

「眠れねぇのか?」

 図星を差されてしまって密かに慌てた。

「違うよ」

 薄闇ではたいして意味がないと知りながら、取り繕った笑みを浮かべる。

「元太たちが面白いって言ってたから、どうしてもこのゲームやりたくて!」

「わざわざ真夜中に、か?」

 しかもあんな事件があった後で。

「………」

 彼らしからぬ鋭い突っ込みを受けて負けそうになる。
 弱音を零してしまいそうになる。

「…お前、また何か余計なもん背負い込んでんじゃねぇだろうな?」

 こんな日はいけない。独りで立っていられない時に、優しさなど向けられたら縋ってしまう。
 縋るどころか本当はこの父親にも、謝まるどころでは済まされない、酷いことをしてしまったのに。
 大切な一人娘である、蘭の命を諦めたのだから。

 無意識に伸ばしかけた手を、そっと下ろして握り締めた。

 真剣な問い掛けの答えははぐらかしたまま、

「……もう寝る」

 そう言って、テレビとゲーム機の電源を落とした。
 室内が完全な闇に包まれた。

「おじさんこそ何で起きてるの?」

 そして強引に話題を逸らしてしまう。

「さっきはぐっすり寝てたのに」

「小便だよ」

 あとはまぁ、オメーがいなくなったからだ。

「…ふぅん」

 嘘ばっかり。いつもは抜け出したところでちっとも気付かないくせに。

 そのまま小五郎が部屋へ戻ろうとするから、「トイレは?」と聞きながら背中を追った。済ませた後だと彼が答える。
 眠っている蘭を気遣って、声と足音を忍ばせながら廊下を歩き、そうっと部屋のドアを開ける。

「明日学校だろ。今度こそさっさと寝ろよ」

「はぁい」

 間延びした返事で布団へと潜り込んだ。
 ぎしりと隣のベッドが鳴って、彼が転がった気配を感じる。
 密かに先ほどとは違う想いを含めた「ごめんなさい」をもう一度伝える。

 ごめんなさい、あなたの一番大切な人の命を守れる強さがなくて。
 こんなに弱い人間だったなんて自分でも知らなかった。

 小五郎は暫く黙っていたが、やがて一言の謝罪に込められた意味を察したのかそれとも勘なのか、「ありがとな」と返して寄越した。

「蘭が助かったのはお前のお陰だ。俺は何にも出来なかった」

 優しい言葉に胸が締め付けられる。

 僕だって何にも出来てないんだよ。おじさん、全部聞いてたんでしょ?

 口に出そうとした台詞は、否定してほしいという甘えが滲んでいるようで。
 ただ、眠ったふりをした。
 暫くじっとしていれば、耳慣れた鼾が聞こえてくる。
 眠気が襲ってくる気配はまるでなかった。
 転がっていることにすら耐えられず、布団の上にぺたりと座り込む。
 ガシガシと髪を掻きむしった。
 何かに当たりたいんじゃなくて、自分を許すことができないだけ。

 降り注ぐ善意の言葉に追い詰められる。
 ありがとうだとかお前は悪くないだとか、優しい嘘はいらないから。
 責め立ててくれればいいとすら思った。







 寝不足気味な顔をした恋人に突然呼び出されたと思ったら――いや、彼の目の下には大抵隈があるのだが――いきなり訳の分からないことを頼まれて目が点になった。

「俺を殴ってくれないか」と。彼はそんな言葉を吐いた。
 ポカンと口を開けて呆気にとられた。
 冗談を言った訳でもないらしい。相変わらず生真面目な顔がこちらを見ている。

「…ちょっと落ち着こうか名探偵」

 コイツはまた何を抱え込んで、独りで悩んでいるんだか。
 それはまだ知る由もないことだが、相当追い詰められているという事実だけは、瞬時に理解することができた。

「何があったの?」

 ストレートに尋ねればだんまりを決め込む。
 全く、強情で厄介なコドモだった。

「俺に出来ることなら何でもしてあげるよ。でも、納得できるまで理由を説明するっていう条件つき」

「…だったら他の奴に頼む」

「他に頼るあてなんてないくせに」

 少し意地悪く返せばまたもや押し黙る。

「とりあえず俺の家行こう?道端で子供殴ってたら人で無し扱いされるからさ」

 冗談めいた言葉で促した。
 ぼそっとコナンが言い返す。

「…人目を気にする奴だとは思わなかった」

「どういう根拠があって言ってんの」

「お前、普通に外でベタベタしてくるし」

「それとこれとは話が別!」

「人で無しと変態って大差ないだろ」

「…俺の愛情表現を変態扱いすんのやめてくれる?」

 拗ねてみせたり憤慨したり。それこそ道端で交わすのはどうかと思われる類いの会話を続けながら、ごまかされて騙されてやる気は全くなかった。彼の手など端から読めているのだ。







 引っ張り込んだ部屋の中で、ことのあらましを全て白状させた。
 そういえば新聞の一面にあった事件だ。シンドラー・カンパニーのトマス・シンドラー社長がゲーム開発責任者を殺害、コクーンを人工頭脳が支配、財界実力者の子供たちが人質にとられた、等々。
 時間がなくて斜め読みしただけの記事は、大体こんな内容だった。まさかコナンが関わっているなんて、その時は夢にも思わなかった。

 全員がゲームオーバーになると死んでしまうゲーム。その真っ只中に彼はいた。
 一人、また一人と消えていく中で、全員の命を背負っていた。



「けど……俺は諦めたんだ」

 コナンが苦しげに吐き出して、両の手が白く震えるほど握り締める。

「蘭が、犯人と崖下に飛び降りて…もう、ダメだと思っちまった」

 力が抜けて。立つことすらできなくて。

 自嘲するように笑って言った。

「49人の命を見捨てた。

 俺を守って、俺を信じて消えていったアイツらを見捨てたんだ」

 最低だろ?

 裁きを待つ罪人のような顔を見せて俯いたコナンは、俺の答えを待っている。
 お前は悪くないと言ったところで、受け入れる気は毛頭ないのだろう。だったら。

「いいよ、望み通りにしてあげても」

 冷えた声で、そう告げた。

「殴ってほしいなら殴ってあげるよ」

 ゆらり、暗い瞳が俺を映して揺れる。

「ただし、お前が思ってるのとは理由が違うけどな」

 痛々しくて、見ていられなくなって目を背けた。

「俺はお前ほど善人じゃないからさ、49人を見捨てたってことよりも、お前自身の命を諦めたことに腹が立つ」

 “49人の命”と言ったコナンを思う。
 失われてはいけない人間の中に、自分のことだけは入れないのだ。いつも。

「お前を庇って、守って皆が死んだ?だから何だよ。ホントに死んだ訳じゃないんだろ」

「だから何って…あのままだったら死んでたんだぞ!」

「でも、仮定だ。結果としては人工頭脳が助けてくれた」

 しかも彼の話に依ると、元から子供たちを皆殺しにするつもりなんてなかったようだし。
 結局、その場で本当に殺意を抱いていたのは、シンドラー社長ただ一人だった、ということになる。

「コナンはさぁ、いつも自分がやってることを、やり返されただけなんじゃないの?」

「…どういう意味だよ」

「今までお前が命張って守ってきた人たちと、立場が逆になっただけだろってこと」

「………」

 お前がそこまで追い詰められたのは、大事な奴らがお前を守って、次々と消えていったせいなんだろう。そう、指摘してやる。

「お前に守られちまう度に、今のお前と同じくらい、追い詰められてた人だっていたんじゃねぇの?」

 突き放すような調子で、微笑いながら言う。

「やっと分かってよかったね」

 お前の無茶な行動で、守られてた人たちの気持ちがさ。

 コナンは言葉を失った。一瞬だけ泣き出しそうな表情を浮かべた。
 苦しいなら、辛いのなら泣けばいいのに、と思う。

 彼が望むなら殴ってやってもいい。それで彼の気が済むのなら。
 けれどそんなことをしたところで、このコドモが泣くことはないんだろう。

「……コナン」

 呼んで、手を振り上げた。
 咄嗟にビクリと身構えたコナンを、俺は力の限り抱きしめた。

 彼は身じろいで「痛い」と言う。ますます力を込めてやった。

「痛くされたかったんだろ」

 身体が軋むほどの抱擁を贈る。
 酷いことを頼んできた恋人に与える、これが俺からの罰だから。



END

2012.12.21


 
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