困った。とにかくものすごく困った。
 たぶんこの車が東京へ着いた後、遅くとも明日の夜までには、今回の話を聞き付けた快斗の前で同じように困るのだろうが。
 明日のことを考えて現実逃避してみたところで、隣に座る保護者がいなくなってくれるはずもなく。
 そもそも明日快斗にしなければならない言い訳と、今捻り出さなければならない言い訳は全く別のものだから更に面倒臭い。
 ついでに俺は今とても疲れていて、上手い言い訳を引っ張り出す気力がない。
 小学一年生としては、使ってないスキー場をスノボーで滑ってたら雪崩が起きちゃった、とでも言いたいところだが。

 ――博士が言っちまったんだよなぁ…雪崩を利用するつもりだって。

 まず、村が全滅するかもしれなかった非常事態に、スキー場を滑っているところを見られてしまったのが最大のミスだ。小学生のふりをしている高校生である以上、人助けはあくまでこっそりと行わなければならなかったのに。
 もしも隠密行動が成功していたら、あの時、蘭たちの乗った車が通りかからなかったら、俺は今も行方不明状態のまま、雪の下に埋まっているのかもしれないけれど。それは流石に、死ぬけれど。


今だけ甘えさせてください



 自分で起こした雪崩に巻き込まれ、雪の中から発見された後、大丈夫だと何度繰り返しても誰にも信用してもらえず、結局病院へ連れていかれた。
 付き添いは暫定保護者二人で、蘭は診察室までついてきたが、もう一人の保護者は廊下のソファーにどっかり座り込んで待っていた。



 医者に見せたところで当然何の異常もなく、服を捲り上げた時に見つかった痣にだけ湿布を貼られる。
 背中の、靴痕がはっきり残った痣については、虐待を疑う医者と心配する蘭を宥めるのにだいぶ苦労したが。

「ありがとうございました」

「お大事に」

 診察を終えて扉を開ける。
 ガタッと小五郎が立ち上がった。ずいぶん心配していたことが分かるその様子に少し驚いた。

「大丈夫だったのか?」

 それから行動にそぐわない、ぶっきらぼうな声で蘭に聞く。

「うん、痣はできてたけど、凍傷にはなってないみたい」

 安心したように答える蘭の、絆創膏の貼られた指先が痛いと思う。俺を捜して必死に雪を掻いたせいで、血を流したのだと聞かされた。大事に守っている彼女を性懲りなくまた傷つけてしまったのは、俺が無力な子供だからなんだろうか。

 思考に沈んで上の空ながら、二人の会話を聞いている。

「痣?」

「コナンくん、ダムで山尾さんに蹴られたんだって」

 正確には撃たれて踏まれたのだがと、半笑いになって考えた。

「頭はケガしてないんだろうな?」

 そして小五郎が更に尋ねた時、妙に真剣な声音に変わったから、何だろうと顔を上げてみる。
 すると、蘭が頷くのを確認したらしい彼は、唐突に距離を詰めてきて、

「…い゛、っ…!」

 床に転がって思わず涙目になるほど容赦なく、思いっきり殴り飛ばしてくれたのだ。

「っおとうさん!!」

 咎める声を上げた蘭が、

「大丈夫?」

 慌てて駆け寄って抱き起こす。
 彼は振り返りもせず一言「戻るぞ」と言って、スタスタと歩み去ってしまった。
 だから頭の無事を確認したのかと、たんこぶになるだろう殴られた箇所を「いてて」と摩る。
 どんな事件に巻き込まれても全く懲りずに同じようなことばかり繰り返す子供を、見捨てずに保護者として叱ってくれる。見ない方がいいものを見ないで済むように、危ないことに巻き込まれないように。
 事件の時は邪魔をされてしまったことが不満で、子供扱いしやがってと舌打ちをしたこともあるけれど。
 どうでもいいはずの赤の他人の子供のことすら真っ直ぐに叱れる、つまりはとても優しい人なのだ。
 くすぐったくて、少し笑った。

 それで終わると思っていた。できれば終わってほしかった。

 しかし物事そう上手くはいかないもので、渋滞にいらついてコツコツとハンドルを叩くおっちゃんは今も俺の弁明を待ち続けているし、俺はその隣で困り続けている。



 騒いで話をうやむやにしてくれそうな元太たちは眠っている。居眠り運転をしないように見張るためだと、一人起きていたことを今さら後悔した。

「もう一回言うけどな、俺がお前に聞いてんのは、」

 彼が再び口を開いて、俺の頭を悩ませる問い掛けをまた投げる。

「どうしてあんなことしようと思ったのかってことだ」

「………」

 答えは簡単で、村を救いたかったからだ。分からないのは子供らしい答えだ。
 何と答えれば不審がられずに、この場を切り抜けることができるんだろうか。

 黙りこくってしまった俺に、

「…ったく」

 深く嘆息して彼が言う。

「何も考えることないだろうが」

 元来、気の長い方でもない小五郎が、がしがしと頭を掻きながら言った。

「思ったことそのまま言えばいい」

 取り繕う必要はないのだと、言い訳を探す心が見透かされたようで。

「あの時、お前、何考えてたんだ?」

 不思議なほど優しく促された。

 対向車線を行く車のヘッドライトが、決してこちらを向かない彼の、横顔を照らして走り去る。
 やっと車列が動き出す。

 早く家に着いてしまえばいいと思う。子供らしくない本音が零れ落ちる前に。

 けれど、言葉もたぶん涙と同じで、どうしても止めることのできない時があるんだろう。
 みっともなくても情けなくても、止まるのを待つしかないような。

「…こわ、かった」

 それは決して雪崩に巻き込まれることではなく、村を救えずに終わることが、お前には何もできやしないのだと、思い知らされることがどうしようもなく怖かった。

「雪崩が間に合わないかもしれないって」

 雪に飲み込まれる寸前まで、ただただそれだけが怖かった。間に合うだろうか、間に合っただろうか、そして雪の中で目を覚まして、皆の無事を心から喜んだ。



「いいか、お前が雪崩起こしたせいで」

 零れた言葉を拾い上げて彼が言う。

「蘭やお前の友達が、おんなじ思いしたんだよ。お前を見つけられなかったら、間に合わなかったらってな」

 無力さを思い知るのが怖いと必死になったせいで、逆に残された人間が、子供を助けられない無力さを嘆くことになったのだと続ける。それは許されることなのかと。

「お前は自分以外を助ければ皆助かるんだって思ってんだろ。けどな、それじゃあお前が一番大切に思ってる奴らも助からないんだぞ」

 静かに、淡々と諭される。

「なぁ、

 蘭が、お前と引き換えに村が救われたからって、少しでも喜ぶと思うか?」

「………」

 声を荒げられるよりも、よっぽど痛みを感じる糾弾だった。

「蘭だけじゃない。お前がいなくなって平気な奴があの中にいるって本気で思ってんのか?その程度の友達なのか?」

 黙ってかぶりを振る。違う。
 壊れてしまいそうな必死さで名前を呼んでいるのが聞こえたから、早く出なくてはいけないと思った。雪に埋まったこの体のことも、助けなくてはいけないと確かに思ったのだ。

 バックミラーに映る寝顔を見つめてみる。ぶら下がったストラップがゆらゆらと揺れる。

 蘭に園子、博士、灰原、元太に光彦に、歩美。心から大切で、守りたい。笑っていてほしいと願っている人たち。
 俺が今も雪の中に埋まっていたとしたら、彼らは笑えていただろうか。こうして安心したように眠れただろうか。



「…まぁ、分かって、反省してんならいい」

 気付けば車は渋滞を抜けていて、夜道を静かに走っている。

「もう、なるべく心配かけんじゃねえぞ」

 誰に心配をかけるな、なのか、彼ははっきりとは言わなかった。もう二度と、とも言わなかった。

 もしも時を巻き戻せるとして、再びダムが崩壊した瞬間に立つことができたとしても、俺は何度でも同じことをするだろう。あの時の己の行動が、間違っていたとは今でも思えないけれど。

「……ごめんなさい」

 自然と、そう、口にすることができた。
 しゅんとした顔で謝る自分が、演技でなく子供のように思えてくる。

 知っているのだ。普段は剥き出しの感情など見せずにいる不器用な男が、蘭と同じくらい心配してくれたこと。

 ――本当の父親、みたいに。

 必死で俺を捜す彼の声だって、雪の中でちゃんと聞いたのだから。

「おじさん」

「…ん?」

 やっぱり何だか温かい気持ちになって、笑いながら「ありがとう」と言ってみた。

 ありがとう、何の関係もないのに居候として住み着いてしまった子供のことを、災厄じみたトラブルばかりもたらす探偵のことを、真剣に心配してくれて。

 本当に彼に伝えたかったことは、決して言えるはずのない言葉だから、ありがとうしか言えなくてもどかしい。

「気色わりぃこと言うな」

 照れ屋の男は素っ気なく突っぱねて煙草をくわえ、バックミラーの中の子供たちの姿を見て舌打ちし、結局火をつけずにケースへ戻す。その様子が可笑しくてまた笑う。
 笑っていたらどつかれて、「そろそろアイツら起こせ」と言われて。

「えぇー、僕が起こすの?」
 みんな絶対起きないよ?

「疲れさせたのはお前なんだから責任とって起こせ」

 おもむろに腕時計を覗き込み、ドラマに間に合わないと情けない声を上げる。先ほどの会話などなかったことのように。

「諦めたら?」

「バカ言え。それじゃあ車飛ばしてきた意味がねぇだろ!」



 彼の隣に座るのは偽りの子供だけれど、もしも許されるのならばもう少し、もう少しだけこの穏やかな時間が続けばいいと望むのは、勝手すぎる我が儘なんだろうか。



END

2012.6.11


 
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