予め用意されていた原稿を読むかのように、一度も詰まることなく、淀みなく。
月へ宝石を翳すキッドに向けて、ここ数週間の経緯を話し続けた。
ずいぶん長い話になった。
「…それで、組織は潰せなかったんだが、APTX4869が手に入ったから」
上がっていたキッドの右手が下ろされる。
「昨日、灰原が解毒剤を完成させた」
これはどういうことだろう。
いつもなら邪魔のひとつ入ってもおかしくない頃なのに、サイレンひとつ聞こえてこない。
「だから俺は、」
彼の声を一度も聞かないまま、最後まで話し終わってしまう。
「“工藤新一”に戻る」
ようやく、キッドがゆっくりと振り返った。
「へぇ。よかったな」
何の奇跡も起こさなかった、もう何個目なのか分からないビッグジュエルが、今日も俺の手に放られる。
用無しとされた鉱物は、何故だか妙に軽く感じる。
無造作にポケットへ放り込んで、そのまま忘れてしまいそうだった。
「結局、オメーに先越されちまった」
笑った口元。祝福の言葉。
いっそ気付かなければよかった。その声がいつもより沈んでいることに。
「で、いつ戻るつもりなんだ?」
幼なじみも、お待ちかねだろ?
表情を隠すモノクルとシルクハットを剥ぎ取りたい。そうして曝されたコイツの両目はきっと、
「……バーロ…」
頼りなく揺れているのだろう。
「何あっさり騙されてんだ」
「え?」
痛みを抑え込むように、さも可笑しげに、笑ってやった。
「嘘に決まってんだろ、今日はエイプリルフールだからな」
怪盗が探偵に騙されてどうすんだよ?
咄嗟に口走ったシンジツをウソにする嘘が、怪盗を騙せなくてもいい。
「だから、だから…」
ネクタイをぐいと思い切り引っ張って、体勢を崩したキッドのモノクルを外した。
――瞳を揺らすな、そんな目で見るな。
彼は抵抗もせずに膝をつく。
――そんな情けない顔はもう止めてくれ。
「オメーがその衣装を脱ぐ日まで付き合ってやる」
本当はこの強気な宣言だって、始めから考えてあったような気がする。
「いつになるかも分からないのに?」
「頼りないこと言ってんじゃねぇよ。俺は地獄の果てまで付き合うからな」
答えを待たずにその場を去った。
待っていたら彼はきっと「ごめん」と謝る。
そんな台詞は聞きたくなかった。
「今、飲まなかったら元の身体に戻れるか分からないわよ」
灰原はまるで予め俺の答えを知っていたかのように、ただ、避けられない事実だけを突き付けた。
「分かってる」
この先この身体がどうなるのかも分からない。実験マウス以外に実例がないのだから、まともに成長するのかどうかも怪しいと思う。
バカなことを言っている自覚はある。
けれどこの口は「それでも、」と続けてしまうのだ。
「アイツを独りには出来そうにないんだ」
彼女が訳知り顔でクスリと笑った。
「あのハートフルな怪盗さんが一番大事って訳ね」
一番大事、か。
他のモノも切り捨ててしまえるほどに。
「……俺は酷いか?…薄情だと思うか?」
肯定されたところでどうしようもない問い掛けを投げる。
「いいんじゃない?誰を選ぼうと貴方の自由よ。どんな生き方をしようとね」
手の中のマグカップを揺らして灰原は言う。
湯気もユラユラと揺れている。
「私だって姿を偽ったまま生きていくもの。元の体に戻ったところで、私には家族も友達も誰もいない。灰原哀にはちゃんといる。だったら答えなんて決まっているわ」
最後の方は独り言のような響きだった。
「そうか…」
相槌に似たものを呟いて、不安は温かい珈琲と共に飲み干す。
「俺も間違えたとは思ってないし、後悔もしてない」
マグカップを満たしていた甘さのない液体が消えた後、自然と零れた言葉に偽りはなく。
「アイツの闘いが早く終わることを祈るさ」
この願いに偽りがないことも、また、確かだった。
2011.4.1
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