真夜中にフッと目を開ける。
何かの気配を感じて首を巡らすと、寝ぼけ眼にキッドの立ち姿が映った。
「こんばんは、名探偵」
月が雲で陰っているせいか、いつもは鮮やかな白い衣装も闇に溶けて見える。
「…キッド……?」
訝しく思いながら名を呼んだ後、口を押さえる。
同室で眠る迷探偵は鼾をかいている。
「大丈夫ですよ。念を入れて薬を嗅がせてあります」
「…蘭は?」
「彼女は一度眠ったら起きないでしょう?」
「まぁ」
変だなと思う。
俺はこんな会話がしたいんじゃない。ただ、どうしてこんな、唐突に。何をしにきたのか聞きたいのだ。
「今、何時だ?」
体を起こして尋ねる。布団から抜け出し、震え上がった。
「三時をまわったところですね」
真冬なのに窓が開いている。冷たい夜風でカーテンが揺れる。
「折角の逢瀬なのですから、二人きりになれる場所へ行きましょう。
下でいいですか?」
「…あぁ」
頷いてキッドの後に続いた。
不思議だ。部屋のドアも彼が触れればコトリとも音が立たない。足音も立てずにスルスルと歩く。
そんな調子で気付いたら薄暗い事務所の中に立っていた。
「明かりはいらないでしょう」
反論を許さない声でキッドが言うから頷いた。
先ほどまで眠っていたせいなのか、暗闇に目が慣れない。相変わらず、キッドがよく見えないのだ。
瞬きの内に消えるんじゃないかという不安に囚われ、それでも一度だけ目を閉じた。
キッドは何も言わない。黙っている。俺が何か言うのを待っている。その何かが俺にはわからない。
目を開けた。ちょうど月が雲から顔を出した。
「…っ…!!」
どうして気付かなかったのだろう。茫然として声が出ない。血の気が引いて倒れそうになる。
キッドがよく見えないのは、空が雲っていたせいじゃない。その衣装が白くなかったからだ。
「お、まえ…っ」
声を絞り出す。叫びたいのに、掠れて言葉にならない。ぎくしゃくと足を踏み出して、目の前にいるはずの男へ駆けた。
「…怪我してんのか?何処だ?酷いんだろ?」
ぶつかるほどの勢いでスーツに縋りつく。濡れた感触はない。乾いている。
「観察力不足だね名探偵。上で寝てる眠りの小五郎といい勝負だよ」
ちゃんと見ろと言われて少し冷静になった。
スーツを赤く染め上げているその液体は、キッドから流れ出たものではない。
「わかっただろ?」
「……」
かぶりを振る。
わかりたくなかった。これは返り血だ。それも、夥しい量の。
「…何が、あった…?」
「お前と俺が出会ってから、どれくらい経ったか覚えてっか?」
キッドは答えない。関係のないような質問をする。
「…一年以上は、経ったか…?」
よく知っているはずなのにぼんやりとしかわからなかった。
「正解。一年以上は経ったんだよ」
「それがどうかしたのか?」
虚ろな目が俺を見る。訳もなくゾクリとする。
「……ボレー彗星近づく時、命の石を満月に捧げよ…さすれば涙を流さん」
キッドは呪文のような文句を呟いた。
「命の石…?」
「不老不死が得られる伝説を持つ石……パンドラだよ。復讐のために俺が探してたビッグジュエルだ」
知っている。
「…見つけたのか?」
「いや、遅かったんだ」
「遅い?」
「…ボレー彗星は一万年に一度地球に接近する。そしてもうその時は過ぎた。青子の誕生日から一年以内に見つけなきゃならなかった。俺も俺を追い掛けていた組織の奴らも間に合わなかった」
「………」
「次に来るのは一万年後。今生きる人間たちにとってパンドラは最早なんの価値もない。さっき、奴らからそう教えられたんだ」
馬鹿にしたように笑いながら。
「……それで?」
どうなったんだ?
まるでお伽話だ。だからこの続きも己の空想であって欲しかった。
「死んだよ」
「………は……?」
“シンダ”とは何だ。どういう意味だ。思い出せない。
「奴らは死んだよ」
念押しするようにキッドが言う。
反射的に尋ねた。
「なんで」
聞くまでもないだろうと肩を竦める。狂気に光る、冷たい目。
「もちろん俺が――
殺したから
不意に床がなくなって、体が吸い込まれるように落ちていく。声も上げることができないまま、地面すらない暗闇の中を落ちていく。
ようやく落下が止まるとそこは布団の中だった。
夢、か…?
耳に飛び込んでくる迷探偵の鼾。窓はしっかり閉まっている。
枕元の時計を見る。
三時前だった。
あと数分でキッドが来るかもしれない。禍々しく赤い衣装をその身に纏って、窓際に立っているのかもしれない。
冷たい汗に濡れた体を抱いて、温かいはずの布団の中でガタガタと震えた。
朝までずっと、震えていた。
END
2011.1.11
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