「めーたんてーの執念深さには感服したよ。いっそウチで朝のコーヒーでも飲んでく?」
「ありがたい申し出だな。怪盗の根城まで案内してくれんのか?」
「……それはちょっと勘弁」
言い出したのは自分の癖に、本気で困ったような顔をしてみせる。
「ちょっとした冗談じゃねぇか」
「いや分かってるけど」
冷涼な空気も爽やかな朝だった。例の如く予告状を出したキッドと対峙したのは夜だった。しかし今は何故だか朝だ。
「それより…オメー、一睡もしなくて平気か?今日も小学校行くんだろ?」
キッド曰く、夜通し“執念深い”攻防戦を繰り広げた結果である。
「普段からねみぃから同じだよ」
「そうか」
短い相槌を打った後、白スーツにシルクハットにモノクルで決めた気障な男が、遠慮なく大きな欠伸をした。
つられるだろう、と睨む。気付かない。
「俺は青子がうるせぇからなー。今日さぼろっかな」
更にいきなり個人名を口走る。しかも名前からして明らかに女だ。
「青子?恋人か?」
疲れのあまりうっかりと、ではなく気を許しているためだとわかったから、遠慮なく端的に突っ込んだ。
「いや?ただの幼なじみ」
どうだかな、と思いながら、早朝には不似合いな男の立ち姿を見遣る。大通りをガラガラのバスが行く。一日がゆっくりと始まりを告げる。代わりに一時の非日常は終わる。
そしてキッドを演じた男は、難なく日常へと帰っていくのだろう。
「じゃ、俺はそろそろ一般人に戻るよ」
答えも待たずに行ってしまう。マントが翻って角の向こうへ消えた。
「またな」と、まるで友人のような軽い台詞だけが耳に残る。
今すぐ彼を、追い掛けたい。けれど嫌われるのはいやだ。
キッドの日常の中に俺はいない。
そこにいて許される存在は。
“青子”
ちくりと胸を刺した名前。知りたくなんかなかったのに。
キッドのことも、痛い名前も、早く忘れてしまえばいい。
俺は反対方向へ足を向け、人通りのない早朝の街をひたすら歩いた。
しかし、そうして気持ちを切り換えて歩き出した数十分後。
「おい」
居候先のドアをこっそりと開けたその瞬間に、立ち塞がる家主と目が合うという予想外の出来事が起きたせいで、眠気混じりの憂鬱などすっかり吹き飛んでしまった。
「おまえ、こんな朝っぱらからどこ行ってた?」
「…ええと…」
不機嫌顔で聞かれて言葉に詰まる。こんな状況への対策は全く考えていない。
言い訳を探しながらチラリと腕時計を見た。見間違いでなければ、現在時刻は六時過ぎ。ありえない。
――何でおっちゃんが起きてんだよ。
「……ちょっと走ってきただけ」
あはは、とごまかし笑いもオプションでつけて。
「まぁいいが。一言、声くらいかけていけ」
「そんなことしてもおじさん起きないでしょ」
そう言い返して、今朝一番の疑問点を解き明かすべく続ける。
「今日は何でこんなに早起きなの?蘭姉ちゃんも留守なのに」
「あぁ、朝っぱらからチャイム連打する非常識な奴がいてよ。起こされちまった」
「依頼人?」
「さぁな。ドアを開けたら誰もいなかったんだ」
玄関に封筒が落ちていることに気付いた。
なんとなく嫌な予感がして、小五郎が目を逸らした隙、慌てて拾い上げて開封する。
白いカード。キッドの予告状。
つまりこれは彼の嫌がらせ、という訳だ。俺より先に毛利探偵事務所を訪ね、小五郎を起こし、開いたドアの隙間からこのカードを放り込んで消えた。
――あの野郎…!
ぐしゃっとカードを握り潰す。
今度会ったら絶対に捕まえてやる。いや、カードにある予告日までなんて待てない。今すぐ正体を暴いて蹴り飛ばしてやる。幸い、幼なじみの名前なら本人から聞いて知っているし。
「…ったく」
己の思惑でいっぱいになりかけながら、意識半分で聞いていた小五郎の言葉に、
「もう夜中に抜け出すのはやめろよ」
引っ掛かって思わず固まった。
まさかキッドが嫌がらせするまでもなく、気付かれていたとでもいうのだろうか。
「…え…ええと……」
今度こそ上手い言い訳は見つからなかったため、
「……ごめんなさい」
仕方なく殊勝に謝っておいた。
END
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