何も考えてなかったよ、とコナンが言う。
死ぬかもしれない、いや普通なら間違いなく死ぬ、そんな状況で、命を懸ける覚悟も迷いもないまま突っ走れる。それが間違いなく彼の強さで、崇拝に近いような感情すら抱くけれど。
それがどうしても失えない恋人の性格だと思うと、俺はただ怖くて仕方がない。
「雪崩が起きた後はどうするかなんて、考えてなかったな」
覚悟を強いられるのはいつだって俺の方だ。彼を、失う覚悟。明日は会えなくなるかもしれない覚悟。
「実際起きてから焦ったくらいだ」
苦笑しながらも平然と続ける。
「けど、あの状況で他に手段はなかった」
昨日、ニュースを見て心臓が止まるかと思った。
実際に数秒くらいなら止まっていたかもしれない。ニュースで伝えられなかった事情まで何となく察してしまった、この優秀な頭脳が憎いくらいだ。
夜になってようやく捕まったコナンの元へ飛んで行き、今度はおまえかというような顔をされ、
「…っ」
言葉より先に手が出てしまった。
軽い、打擲音が聞こえる。
己の掌と、彼の頬がぶつかる音。
「何やってんだよおまえはっ!!」
どうせまた傷だらけだろう彼を思って、加減する理性くらいは何とか残っていたけれど。
「あんなことして、どう考えたって死ぬに決まってんじゃねぇか!」
「俺、運は強い方だからさ」
「そういう問題じゃねぇだろ!」
沸騰した感情のせいで泣きそうだった。
持って行く場のない憤り。
人々を救うために全力を尽くした、コナンは何も間違っていない。
「わりぃ」
気の抜けるような顔で謝ってくる。全て聞き流したようにあっさりと。
更に「もう説教は聞き飽きた」などと宣ってくれて、それは当然保護者御一同様にそうとう絞られたのだろうけれど、あの迷探偵にはいつものゲンコツでゴツリとやられたのだろうけれど。
「あのなぁ…」
本当に腹が立って仕方ないのに、何を責めればいいのか分からない。
「おまえ、どうせ灰原あたりにいろいろ聞いたんだろ」
「そうだね、哀ちゃんとか蘭ちゃんとか阿笠博士とか毛利さんとか少年探偵団のみんなとか、そこらへん」
「…おい、園子以外全員じゃねぇか」
指折り並べればコナンは唖然とする。
「聞くまでもなく何から何まで話してくれましたとも」
「なんであいつら…よりにもよってコイツなんかに」
苦虫を噛み潰したような顔で言う。
どうして分からないんだと思う。
「そんだけ衝撃受けたってことだろ」
話さなければ不安になるほどに。
「おまえが起こしたっつっても、雪崩は無情な自然災害だからな」
さぞや恐ろしかったことだろう。
雪に埋まった彼を見つけ出せる確証など何もなく、ただただ本当に運任せで。
もし、携帯が繋がっていなかったら。意識が戻らないまま雪の下に埋もれていたら。
無数の“もしも”を考えるだけでこの身は震える。
「まぁ、助かってなかったら半狂乱になってただろーな」
特に蘭が。
「わかってるなら…!」
「けどあの時は本当に何も考えられなかったんだ」
今度は困り顔でそう言うから、俺は噛み付き損ねてしまった。
気付いて、しまった。
俺が怒っても殴っても、結局は自己満足でしかないこと。
名探偵は優秀な頭脳を働かせて、常に冷静に事件を解く。
だが人命を救う時はどうだろう。手段は論理的に考えても、その過程で働いているのは本能だ。本能に刻み込まれているとしか思えない。
他人の命を救いましょう。自分のことは放り投げて。
曖昧に続く彼の言い訳を、同意も反論もせず聞き続けた。
顔色を窺うような視線に、あぁあと思う。
「……もういいよ」
もう降参だ。打つ手はない。
両腕で捕まえて言葉を封じる。
「もういいよ、よく、わかったから」
真新しい傷に障らないように、そっとコナンを抱きしめた。
昨日凍死しかけたとはとても思えない、冬場に重宝するお子様体温。
黙ってその温もりを感じていると、
「あったけーな」
暫くしてポツリと声が聞こえた。
「コナンちゃん、寒いの?」
意外な呟きに問い掛ける。
「いや、」
コナンは曖昧にかぶりを振って、「思い出しただけだよ」と零した。
「助けられた時のことを、な」
少しだけ体を離して、語り出したコナンの表情を窺う。
俯いて視線を逸らされてしまう。
「……気づいたら蘭の腕の中にいたんだが、雪に埋まってたんだ、当然感覚なんておかしくなってるだろ」
だからおまえ、普通にあったかいなと思って。
「コナン……」
訳もなく名を呼ぶと逸らしたままの顔をしかめた。
「おまえには、一番会いたくなかったよ」
知らないなら黙ってようと思ったし。
酷いだろと口を挟む前に続ける。
「おまえの顔見たら…さすがに良心の呵責を覚えちまう」
独り言に似た響きだった。
「一応悪かったとは思ってんだよ。けどさ、おまえは」
コナンがスッと顔を上げて、ただ真剣なだけの瞳とぶつかる。
「おまえは俺に、為す術もなく傍観してるような奴になれと望むか?」
「っ違う、それは違うけど!」
自分より他人を優先できる、無意識で守ろうとできる強さが、キッドをどれだけ容赦なく追い詰めても、組織絡みになれば迷わず救いの手を差し延べるような優しさが、俺は大好きで愛しくて堪らないのだけれど。
言い返すための言葉はたったひとつしか見つからなかった。
「…心配すんのは、俺の勝手だ」
これ以外、言えない。
「まぁ……そりゃ、そうだな」
それで言い負かせたのかどうなのか。
どちらにしろ平行線で終わるしかない会話だ。
――もういいよ。
今度は投げやりにそう思う。
改めてコナンを抱き寄せて、耳元で小さく囁いた。
「生きててよかった」
「当然だろ」
憎たらしい顔が目に見える声でコナンは答えた。
――何が当然だ、奇跡じゃねぇか。
思ったけれど、怒りが再燃しそうだから黙っている。
同じように彼に触れることのできる明日が、ないかもしれないけれど覚悟は未だできない。
そばに行って、寄り添って、触れ合って手を繋いで抱きしめて。
今、そうしていることしかできない。
どうしようもなく、未来が見えない。
どうか、これ以上彼を奪おうとするのはやめてくれないか。
危険も無茶も認識してくれない恋人には、今さら何を言っても無駄だから、不幸な事件をとめどなく降らせる、せめて世界に縋ってみた。
あんな冷たい雪の柩には、二度と彼を閉じ込めたりしないでくれ。
END
快斗の心情を想うとひたすら痛いなぁ、って。
2011.4.20
title:MAryTale
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