「おい、早く盗ったもん返せ」
切れていた息が元通りに戻るまで待っても、いつものように宝石は飛んでこない。
強い風にはためくマントばかりをひたすら眺めていた。
「俺は早く帰りたいんだ」
キッドにしては予告時間が遅かったせいで、あまりのんびりしていると帰り着く頃には朝になってしまう。
「今日はまだかえす訳にはいかねぇな」
「確認するなら早くしろよ」
“返す”のニュアンスに少し引っ掛かったが、いつものあの儀式が済んでいないのだろうと解釈してそう言った。
「いや、もうこっちは確認済」
今日もハズレ、とキッドが宝石を取り出し、またしまう。
「じゃあ何だよ」
意図の読めない言動に少し苛立ちつつ尋ねた。
「…わかってんのか?」
悪戯っぽい声と同時に伸びてきた腕。
「名探偵を帰さないって言ってんだよ」
「な…っ」
逃げる隙もなく抱き上げられて、あろうことかこの怪盗は、そのまま高層ビルの屋上から飛び下りた。
「いいじゃねぇか、ちょっと夜の散歩に付き合うくらい」
翼を広げた怪盗が、頭上で開き直ったような声を出す。
「こんな強風で何が散歩だよ…」
散歩なんていう穏やかさじゃない。向かい風でないだけ幸いだが。
「墜落なんてしないから安心しろ」
それに、とキッドは付け加える。
「これは一応ハートフルな怪盗なりの行動な訳で」
「はぁ?」
人さらいの何処がハートフルなんだ。
「いや、こないだ中森警部に相談されたんだけど」
始まった彼の言い分に些か脱力した。
長年心血を注いで追い続けてきた相手が娘の幼なじみで、相談相手に選んでしまうほど親しいとは、中森警部もなかなか哀れだと思う。
「警部、名探偵のことで困ってたんだよな」
「俺のことで?」
確かにキッドの現場ではよく顔を合わせるが、盗られた宝石を返したり、さりげなく助言したりと、役に立った覚えはあれど困らせた記憶は全くない。
「オメー、いつも俺が返した宝石を中森警部に渡すだろ?当然の顔して渡されるから、毎回叱り損ねるんだと。子供が真夜中にあんな場所にいてはいけないのに、ってこの前、頭抱えてたぜ?」
だから今日はバッタリ会わないように、先に名探偵をさらってみた。
「…それ、全く根本的な解決になってないだろ」
そもそもおまえが犯行を止めれば警部の心労も減るはず…と考え、いや、と思う。
この泥棒がいなくなってしまったら、きっと彼は生き甲斐をなくしたように憔悴してしまう。
結局、どうなろうと中森警部の心労は絶えない訳だ。
「まぁ、」
諦めたようにキッドが笑う。
「名探偵に“来るな”とは言えないんでね」
どうしても。
ひそやかに続けられた言葉に、何故か訳もなくドキリとした。
彼は高度を緩やかに落とし始める。
辺りを見ると明らかに見覚えのある場所だった。
「俺に出来るのはこれくらいってことだ」
軽やかに降り立ち、巻き付いた両腕を解く。
毛利探偵事務所、居候先の、屋上。
コイツ…
送ってくれたのか。
今さら気付いて「サンキュ」と告げると、
「さらわれた奴に礼を言われるとは」
いかにもわざとらしくすっとぼけられた。
END
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