「すっかり遅くなっちまったな…」
「そうだね」
疲れ顔の彼を見上げて、軽く相槌を打つ。
いつもなら、寝てただけじゃねぇかこのオヤジ、と、冷めた目で睥睨するところだが。
日曜の深夜だった。
人影どころか、車すら疎らだ。
明日の授業時間が睡眠に当てられることは確実だけれど、そんなことはもうどうでもよかった。
本当に毎度のことながら、探偵事務所を訪れた依頼人に連れていかれた屋敷で、殺人事件が起きた。幸いすぐにトリックを見破り、眠りの小五郎推理ショーが半ばまで差し掛かった頃、予想外の第二の殺人が起きた。
いや、予想できたはずだ。どうして読めなかったんだと責める。
あの時、もっとよく室内を見ていれば。あの手掛かりを見落とさなければ。
殺されずにすんだかもしれない。きつく、唇を噛んだ。
「落ち込んでんのか?」
彼の、そっと気遣うような声を聞く。
「平気だよ」
笑って答えた。
子供はあんなことで落ち込まない。
ショックは受けるかもしれないが落ち込んだりはしない。
「…あれを止めるのは無理だったよ」
ゆっくりと足を進めながら何気なく言う。
「例え警察の救世主でもな」
「……おじさん?」
それは“工藤新一”を指しているのだろうか。
探偵ボウズなどと言って好感情は抱いていないはずなのに、珍しいこともあるものだ。
前を見たまま、小五郎は続ける。
「体に見合った大きさの責任だけ感じてりゃいいんだよ、今は」
「…今は、って…?」
少し含みのある台詞に引っ掛かる。
聞き返しながらもその先に続く言葉を、俺は知っているような気がしていた。
タクシーのヘッドライトが横顔を照らす。
「おまえが小1のガキじゃないことはわかってる」
驚きよりも、やはり、という思いの方が強かった。
問い質すでも確認するでもなく、断言されてしまっては反論のしようがない。
「別に詮索はしねぇがな」
だから説明はいらねぇよ。
いつから、気付いていたのだろう。
たぶん正体も知っていて、それでも保護者の目をしている。怒鳴って殴って放り投げていつも、事件現場から遠ざけようとしてくれた彼の、優しさを思う。
優しい人だった。居心地のいい場所だった、この家族は。
「ぼく、は…出ていった方がいいですか?」
問い掛けながらも、嫌だと思う。
心許なくて足が止まってしまった。
「あぁ?」
気付いた彼も、立ち止まって振り向く。
「別にこのままでいいだろうが」
なに言ってんだ。
一歩、二歩、三歩。
近付いてきて、
「おまえがいなくなったら蘭が寂しがる」
くしゃりと頭を撫でられた。
「おまえは今までと変わらずに、生意気なガキやってりゃいいんだよ」
今までと変わらずに。
そんなことが可能だろうか。
今夜も何の代わり映えもなく、狭い階段を上って居候先に帰って、小五郎の隣で眠るのだけれど。
何かが確実に変わってしまった。壊れてしまったものがあると思う。
ここにいる理由を改めて考える。
探偵事務所なら情報が入るかもしれないなんて最早、建前に過ぎず、ただ、家族というものが温かくて、離れられないから留まっているんじゃないか。
どうすればいい?
布団へ仰向けに転がって、天井を睨んでも答えはでなかった。
ほのかに光るのは月明かり。
ポストに突っ込まれていた封筒から、ひらりと見慣れたカードが落ちた。
「なぁ、どうしたらいいと思う?」
困りきった顔で彼が言う。
「どうしたらって…」
というか何で俺に聞く?
一番言ってやりたいのはその言葉だったが、とても言える雰囲気ではなかった。
そもそも俺と探偵君は、悩み事を相談し合うような仲にはなれていない。
敵とは言わないかもしれないけれど好敵手で、探偵と怪盗で。
一応素顔を晒したこともないし、ましては友達なんてとんでもない。
それがどうしていきなりこんな状況に?
「もう、お前しか頼れねぇんだよ」
灰原は冷たいし服部は暢気だし。
「と、言われても…」
気付いたら全幅の信頼を寄せられていた。
本当に、困惑のあまり誰彼構わず相談しに行きたいのはこっちの方だ。
もちろん愛しの名探偵が、この怪盗を頼ってくれたことは非常に、嬉しいのだけれど。
「仕方ないってか、当然じゃねぇの?おまえ、自重しなすぎだし」
俺絡みで何回報道されたよ?
反論できないらしい。
ぐっと黙り込む。
「で、その後保護者とは上手くいってんの?」
「……」
まただんまりだ。駄目らしい。
確かに、関係がかなり気まずくなるだろうことは想像に難くなかった。同じく周囲に正体を隠している立場として、よく分かる。だから俺のところに来たのかなと思う。
「詮索しないっつってんなら、今まで通りに接すればいい」
理解はできても、どうすればいいかという問いに上手く答えられるかどうかはまた別問題だ。
今のところ、これ以外の結論が見つからない。
「それができれば苦労しねぇよ」
「そりゃ、そーだよなぁ」
一緒になって溜め息をついていても仕方ないのだが。
申し訳程度のフェンスに背中を預けた。カシャリと小さな音が立つ。
「…俺は、」
コナンが口を開く。
ビル風に紛れそうな声だった。
「長い間一人暮らしだったんだ」
知ってる、と声に出さず相槌を打った。
「一人でいることが当たり前で…あんな家族があるなんて知らなかった」
だから壊してしまうのが怖い。
また独りに戻るのが怖いと言う。
覗き込んで確かめた顔に表情はなかった。なのにどうしようもなく頼りない気配を感じる。
何とか元気付けられないだろうか。
「そう落ち込むなよ。いざとなったら俺がおまえの家族になってやるしさ」
何気なく口にして、あれ、と思った。
なんだか一足飛びにとんでもない台詞を言ったような気がする。
――告白すっ飛ばしてプロポーズかよ。
さぞやバカにされるんだろうと、内心ビクビクしながら返答を待った。
幸いにも彼は即答してくれた。
「おまえがその衣装脱いだら考えてやる」
END
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