今日は1時間目から授業があるため虎杖は寮から校舎に向かって歩いていた。いつもは伏黒と一緒に登校しているのだが、朝「先行ってろ」とだけ書かれたメッセージが届いたため、伏黒に何があったのかはわからないが、虎杖はとりあえず「了解」と返事をし、準備を終えた後一人で登校していた。教室で会った時に何があったか聞けばいい。と、思いながら歩いていると頭上で鳥が鳴いている声が聞こえ何気なく上を見た瞬間、白い何かが虎杖の顔めがけて降ってきた。


「ぶぇ!・・・・・な、なんだこれ」


突然顔に落ちてきた白い何かを虎杖は手に取った。何かの布だ。縁にレースがついており、大きさ的にハンカチか?と、その布の端と端を両手に持って広げた。その瞬間、虎杖は目を見開いた。


「えっ?!ぱ、ぱ、ぱ、ぱ、パンツ?!」


自分が手に持って広げた布は明らかに女性の下着の形をしていた。突然起きた出来事に全く理解が追いつかない虎杖は完全にテンパった。


「と、と、東京って空からパンツが降ってくるのか?!」


そんなわけがない。だが、そんなことを一瞬でも本気で考えてしまう程、虎杖悠仁はテンパっていた。未だに両手で目の前に広げている真っ白なパンツを見ながら虎杖はどうしようかと頭を悩ませた。まず、明らかに女性物の下着を男の自分が持っているのはまずい。社会的にまずい。こんな所を誰かに見られて勘違いされたら人生が終わる。とりあえず、誰のものかわからないが釘崎か名無しに渡すか?でも、どうして持っているのか聞かれたらなんて答えればいい。正直に空から降ってきたって言うか。いや、名無しなら信じてくれるかもしれないが、釘崎は確実に信じない。なんならボコした後で警察に通報するかもしれない。どうする。これどうする。と朝から脳をフル回転させた。


「とりあえず、名無しに渡そう」


聖母のように優しい名無しなら自分の言葉を信じてなんとかしてくれるだろう。と、虎杖は下着を丁寧に折りたたんでズボンのポケットに入れた。いつも教室に一番乗りしている名無しに早くこのことを伝えてパンツを渡そう。と校舎に向かって走り始めると、目の前から見慣れた生物が虎杖に向かって走ってくるのが見え、虎杖は足を止めた。


「玉犬?」


何故か伏黒の式神である玉犬【白】がそこにおり自分に向かって走ってくるのを虎杖は首を傾げながら見ていた。段々近づいてくる玉犬が虎杖の目の前に来た瞬間地面を強く蹴ったのを見て虎杖は「えっ?!」と、大きな声をあげた。そして・・・・


「いってぇ!」


飛びかかってきた玉犬は地面に虎杖を押し倒した後、倒れた虎杖の前に華麗に着地した。


「きゅ、急になんだよ!」


地面に押し倒された虎杖は玉犬の行動に驚き地面に倒れたまま目の前にいる玉犬の顔を見て一人戸惑っていると、目の前から制服を着た伏黒が走ってくるのが見えた。


「ふ、伏黒!」


虎杖が助けを求めるように伏黒の名を呼ぶと、まだ朝だというのに完全に疲れた顔をしている伏黒が「虎杖、お前何してんだよ」と何故か呆れたように地面に倒れたままの虎杖に声をかけた。


「伏黒の式神に急に襲われたんだけど!」
「お前が持ってるものさっさと渡せ」
「俺が持ってるもの?」


伏黒にこんな風に詰め寄られるようなものを持っている自覚がない虎杖は言っている意味がわからない。といった風に首を傾げて伏黒の顔を見た。すると、伏黒は大きくため息をつき、少し言葉を詰まらせながら「あれだよ・・・・あれ・・・・」と言葉を濁した。


「あれって?」
「わかれよ・・・・。お前持ってんだろ」
「だから、何を?」
「あれだよ・・・・。下着」
「下着?」


伏黒の口から発せられた「下着」と言う言葉を聞いた虎杖が眉間に皺を寄せながら記憶を遡っていると、ふとさっきの出来事を思い出した。


「・・・もしかして伏黒の?」
「んなわけねぇだろ」
「いってぇ!」


万が一のことを考えて一応あれが伏黒のものなのか虎杖が確認すると、伏黒は虎杖の脳天めがけて拳を振り下ろした。痛みに苦しみながらも、伏黒の返答を聞いた虎杖の頭の中では、伏黒のものではないけど伏黒が探しているということは・・・・と、理由を考え、一気にさーっと血の気が引いた。一瞬、「ひぃ!」と、恐怖で顔を歪ませた虎杖の脳内では、もしかしてこの下着の持ち主が盗まれた。って通報して犯人を捜してるってこと?!今俺が持ってるってバレたら俺が盗んだ犯人にされるんじゃ・・・・と、虎杖の脳内はまたパニックを起こしていた。その結果・・・・


「も、持ってねぇよ!」
「はぁ?」


明らかに動揺している様子の虎杖が持っていない。と言ったのを聞いて、伏黒はイラっとした表情でその言葉を聞き返した。


「白いパンツとか、お、俺知らねぇから!」
「なんで白だって知ってんだよ」
「はっ!」


先ほど自分は「下着」としか言っていないはずなのに詳細情報を口にした虎杖を伏黒は厳しい表情で見つめた。だらだらと額から汗を流しながら視線を忙しなく動かしている虎杖を見て、もう一度伏黒が大きくため息をついたのを合図に、いつの間にか虎杖の横に来ていた玉犬が虎杖の右ポケットに口を突っ込んでその中にあるものを取り出した。


「あ!」
「やっぱり持ってんじゃねぇか」
「ち、違うんだよ!さっき突然空から降ってきて!俺の顔に落ちてきて!」


虎杖はすぐに立ち上がり大きく身振り手振りをしながら伏黒に弁明した。


「はぁ・・・・。んなことわかってる。誰もお前が盗ったなんて思ってねぇよ」
「伏黒ぉ〜」


自分の言葉を信じてくれた伏黒のことを虎杖は若干涙目になりながら見ていると、用が済んだからか伏黒はさっさとどこかへ行こうとした。


「伏黒、どこいくんだ?つーか、それどうしたの?誰の?」
「別にお前が知る必要はねぇ」
「ちぇー・・・・」
「お前はさっさと教室に行け。遅れるぞ」
「はいはい。わかったよ」


下着を口にくわえたままの玉犬と伏黒が、来た道を走って戻っていくのを見て、虎杖は一体なにがなんだかわからなかったが、とりあえず教室に向かった。
その後、授業が始まるギリギリに伏黒は教室に到着したが、名無しの姿は無かった。体調不良だろうか?と虎杖が疑問に思っていると、釘崎が伏黒に名無しはどうしたのか聞いた。しかし、伏黒は「さぁな」と言って言葉を濁した。そんな返答をされればいつもならしつこく聞き返すはずの釘崎が何故か「ふーん。そう」と何か察したように納得したのを見て虎杖はまた首を傾げた。
授業開始時刻から遅れること数分、ようやく教室に現れた五条も一人姿が見えない名無しのことを疑問に思い伏黒に質問したが、伏黒は「ちょっと色々ありました」とだけ言って詳しくは話さなかった。そして、突如開催された「JUPPONグランプリ」で虎杖が優勝したタイミングで名無しが玉犬【白】と共に教室に現れた。玉犬【白】は伏黒の式神だが、名無しと一緒にいる光景を普段からよく見ている。特に伏黒が名無しと一緒にいない時に伏黒の代わりに名無しに降りかかる『不幸』から玉犬【白】が守っている姿をよく見ている。そのため遅れてきた名無しが玉犬【白】と一緒にいるのを見ても誰もそこに関しては疑問に思う者はいなかった。


「す、すみません。遅くなりました!」
「名無し。遅刻なんてダメじゃないか」
「五条先生が言うと説得力0です」


教師っぽく遅刻してきた名無しを注意する五条を見て、お前が言うな。と伏黒がツッコんだ。


「えっと、あのっ、すみません・・・・」
「遅刻の理由は?」


釘崎はなんとなく察していたようだが、何もわからない虎杖は五条が名無しにした質問に興味津々だった。だが、何故かその質問を、どう回答すればいいのか困っている名無しの代わりに伏黒が答えた。


「ちょっと怪我して医務室に行ってました」
「なんで恵が答えるの?僕は名無しに聞いてるんだけど」
「別に理由を知ってるなら誰が答えたっていいでしょ」
「恵、そうやって過保護に育てるとまた『モンペ』って言われちゃうよ?」
「モンペじゃありません、教育係です!」


自分のことで急に言い合いのようなやりとりを始めた2人を見て、名無しが両手を前に出しながらオロオロと2人の顔を交互に見て戸惑っていると、五条は名無しの方に視線を向けた。


「ねぇ、名無し。恵はこう言ってるけどほんと?」
「えっ?」


突然質問の矛先がまた自分に戻ってきたことに驚き名無しが声をあげると、伏黒はそんな名無しと目が合い、何か意味を含めたように一度大きく首を縦に振った。それを見た名無しは応えるように首を縦に振った。


「はい!」
「本当に?」
「はい!」


先程までおどおどしていた名無しが急に自信を持ってはっきりと答える姿を見て五条は疑うような目を向けた。


「名無し。嘘ついたら恵がおへそ取られて針千本飲まされて舌引っこ抜かれるけどいいの?」
「滝行中に下着を鳥さんに盗まれて遅刻しました!」


五条の言葉に対して伏黒が「なんで俺なんですか。つーか、なんですか、その色々混ざった迷信は」とツッコむよりも先にズザーっ!と凄まじい勢いで土下座をした名無しが真実を話した。その言葉を聞いて名無しのために必死に真実を隠そうとしていた伏黒はおでこに片手を当てため息をつき、五条は「また盗まれたの?!」と爆笑し、事情を察していた釘崎は「聞くんじゃないわよ!察しなさいよ!」と怒った。そんな中、虎杖の脳内では、滝行?下着?・・・・っは!じゃあ、さっきの下着って名無しのだったのか!とようやく事態を理解した。滝行中に盗まれたってことは・・・・使用ず・・・・いや、ダメだ。考えるな。と虎杖は首をぶんぶん横に振った。その様子を呆れた顔で見ていた釘崎に「アンタなにしてんのよ」と指摘されたが、虎杖は顔を真っ赤にさせながら「な、なんでもねぇ!」と慌てて答えた。


「名無し、滝行してんの?」
「はい、毎朝あそこの森の奥にある滝でしていますよ」
「すっげぇ!漫画のキャラとかがやるやつじゃん!」
「あんた知らなかったの?」
「だって、教えられてねぇし」


午前の授業が終わったタイミングでようやく冷静になった虎杖が名無しに質問をすると、それを聞いていた釘崎は驚いた顔をしていた。虎杖は釘崎のその反応を見て自分だけが滝行のことを知らされていなかったことをこの時知った。


「滝行とかかっけーな!俺もやりたい!」
「本当ですか?!では、今度ご一緒に」
「ダメだ」


滝行をやりたい。と言う虎杖に二つ返事でOKを出した名無しの言葉を伏黒は即却下した。


「えー、なんでだよ!」
「名無しは遊びで滝行やってるわけじゃねぇんだよ。ちゃんと身を清める目的でやってんだ。邪魔すんじゃねぇ」
「別に邪魔なんてする気ねぇよ」
「とにかく、名無しが滝行してる時に滝に近づくな」
「ちぇー」


急に口を出してきた伏黒が何故か頑なに虎杖が滝行をしようとするのを阻止するため、虎杖は拗ねたように声を出して滝行を諦めた。そんな虎杖と伏黒のやりとりを聞いていた名無しは少し申し訳なさそうな顔で「すみません」と虎杖に謝った。





次の日の朝、まだ初夏だというのに部屋の暑さで目を覚ました虎杖がついでにお手洗いに行こう。と部屋の外に出ると、廊下にある大きな窓から荷物を抱えて外を歩く名無しの姿が見えた。まだ、6時だというのに一体どこへ?と思ったが、昨日聞いた『滝行』の言葉を思い出して、こんな朝早くから行っていたのか。と虎杖は驚いた。昨日散々伏黒には「行くな」「近づくな」と、念を押されたが、どうしても気になってしまった虎杖は部屋に戻り身支度を整えてから名無しの後を追った。

名無しの姿を見たのは先ほど窓から見たのが最後だったため、昨日「あそこの森の奥」と名無しが窓の外を指さしていた方角を思い出しながら虎杖は森の奥へと進んでいった。すると、ぼわっと黒い何かに覆われている空間を見つけて足を止めた。


「なんだこれ?帳?」


見覚えのあるその暗い空間を見てすぐにそれが帳だということはわかったが、何故こんなところに?と疑問に思ったまま恐る恐る帳の中に手を差し入れると、すんなり中に入ることができた。


「こんなとこに滝があったのか」


中に入るとそれまで見えていなかった滝が目の前に流れており虎杖は驚いて目を見開いた。そして、虎杖と同じように帳の外から入ってきた小鳥がどこかへ飛んでいくのを目で追うと、鹿やリスや小鳥等の動物たちに囲まれながら地面に座って優しく微笑んでいる名無しの姿を見つけた。


「え、ディ○ニープリンセス?」


そのあまりにもメルヘンな光景を目の当たりにした虎杖の口から思わず漏れたその言葉が聞えたのか動物たちの中心で楽しそうに笑っていた名無しが虎杖の方を振り向いた。


「え、虎杖さん?!」
「あっ・・・・よ!名無しおはよう!」


昨日散々伏黒から行くな。と言われていたのに好奇心に負けて思わずここに来てしまった虎杖は名無しにそのことがバレて一瞬マズい。と思ったが、まぁ、元々名無しはOKを出していたし、別に来たことがバレてもいいか。と思い、名無しに片手をあげて挨拶をした。


「どうしてここに?」
「さっき名無しが外歩いてるの見かけて気になって追って来た」
「そうだったんですか」


膝の上にうさぎやリスが乗っているため立ち上がることができない名無しの代わりに自分から名無しの方に向かって歩いた虎杖は白い着物のようなものを着た名無しの髪や衣服が濡れているのを見てもう滝行は終わったのか。せっかくならかっこよく滝行をしている名無しの姿を見たかったのに、と。少し残念に思いながら、どんどん名無しに近づいていった。すると、近づくにつれて段々はっきりと見えてきた名無しの姿を見て虎杖は目を見開いた。濡れているせいで生地の薄い行衣は透け、その下にある名無しの白く細い体がはっきりと虎杖の目に映っていた。もう体を隠す。という機能をまったく果たしていない行衣はただ一枚羽織っている。というだけで目の前にいる名無しの体はほぼ裸だった。そのことに虎杖が気づいたのと同時に名無しの胸の頂が行衣越しに目に映り、下着を身につけていないことにも気づき、瞬時に目を逸らした。


「虎杖さん?」


自分に近づいてきていたはずの虎杖が突然足を止めて視線を宙にさまよわせる様子を見て名無しは首を傾げた。


「ご、ごめん!すぐに外出るから!」
「えっ?・・・・あ、虎杖さん!待ってください!」
「・・・あれ?出れねぇ。なんで?!」


名無しから逃げるように帳の外に出ようとした虎杖だったが、入ってきた時はすり抜けることができた手が何故か帳にぶつかり外に出ることができなかった。


「すみません。その帳、外から入ることはできても、中から出ることができないんです。だから、私が帳を上げないと人は外に出ることができないんです」
「えー!」


毎朝星名に付き合ってもらうのが申し訳ないと思っていた名無しは、そうだ自分で帳を下ろせるようになればいいんだ。と思い、そこから毎朝星名に帳の下ろし方を教えてもらっていた。星名は何もいらない。と断り続けていたが、何かお礼をさせて欲しい。と名無しがしつこく食い下がった結果、京都にある実家に帰省する時におはぎを作って欲しい。と言われ、それを対価に教えてもらうことになった。しかし、自分の呪力をまともに使いこなせていない名無しは、補助監督でもできるような帳を下ろす作業が中々できず苦戦していた。高専に入学するタイミングでようやくコツを掴み、自分で帳を下ろせるようになったのだが、足し引きの条件に従いながら帳を下ろすことが難しく、一番簡単な入ることはできても出ることはできない条件でしか帳を下ろすことができなかった。


「少し待っててください。今着替えてくるので」


そう言って膝の上に乗っている動物たちを優しく地面に下ろして名無しが立ち上がったのを見て、さすがに突然ここに来た自分の為に名無しがゆっくり動物たちを戯れている時間を邪魔するのはよくない。と感じた虎杖が「いや、俺ここで待ってるからそんな急がなくてもいいよ」と声をかけると、立ち上がった名無しが裸足で小石を踏んでしまい「いたっ!」と足を上に持ち上げ、バランスを崩し倒れそうになっているのが見えた。


「ひゃ!」
「危なっ!」


咄嗟に名無しの元に駆けた虎杖は寸でのところで名無しを抱きとめた。


「っ!」
「す、すみません、虎杖さん!」


薄い布越しに名無しの肌の感触や体温が伝わってきた虎杖の顔に自然と熱が集まった。自分の視界には名無しの長い髪や背中しか見えていないが、先ほど布越しに見てしまった名無しの胸を思い出した虎杖はそれが当たっている自分の胸板を意識せずにはいられなかった。


「っ!?」


やばい。と思いながら虎杖が視線を少し横にずらすと、虎杖が抱えたことによって横座りになった名無しの足は付け根の方まで見えそうになっていた。細いのに柔らかそうなその足は今の虎杖の目には暴力的に見えた。恐らく上の下着と同じように下も・・・・とまで考えたがすぐに首を横に振って邪心を消した。
何も言葉を発さない虎杖を不思議に思った名無しが虎杖の肩に乗せていた顔をあげて「虎杖さん?」と声をかけると、我に返った虎杖は、ばっ!と慌てて名無しの体から手を離して、自分の目を両手で覆った。


「ご、ごめん!」
「へっ?」


自分を助けてくれた虎杖が何故謝るのかがわからない名無しは首を傾げた状態で赤くなった虎杖の顔をじっと見つめていると、突然、「おい」という低い声が聞えてきた。


「あ、伏黒さん」
「え、伏黒っ?!」


帳の中に入ってきた姿を見て、伏黒の名を口にした名無しの声を聞いて、虎杖が両目を覆っていた手を外すと、そこには完全に不機嫌な顔の伏黒がいた。


「虎杖、昨日ここに来るなって言ったよな?」
「いや、そうなんだけど、今朝たまたま外を歩いてる名無しを見かけてつい・・・・」
「あ、違うんです。私が虎杖さんをお呼びしたんです。なので、虎杖さんは悪くないです」
「名無し・・・・」


虎杖が伏黒に怒られないように。と虎杖をかばう名無しを見て伏黒は、はぁー・・・・。と一つ深いため息をつき、名無しが服の上に置いていたタオルを手に取り二人に近づいた。


「いくら夏だからっていつまでもそんな格好でいるな。風邪ひくぞ」
「すみません」


名無しの姿を目に入れないように視線をそらしながら名無しにタオルを渡した伏黒は名無しの隣に腰を下ろしている虎杖に視線を向けた。目があった虎杖は、あはは。と困ったように笑い、それを見てまた不機嫌な表情に戻った伏黒は虎杖の両目をめがけて人指し指と中指を立てた状態で腕を振り下ろした。


「いっでぇ!」
「ふ、伏黒さん?!」


突然虎杖に指で目潰しをした伏黒を見て名無しは持っていたタオルを口元に当てながら驚きの声をあげた。


「虎杖さん大丈夫ですか?!」
「あ゛あ゛あ゛ぁ!」
「・・・・いいからお前は早く着替えてこい。帳が上がらないと俺らが外に出れねぇ」


苦しそうな声を出して両目を押さえて地面にうずくまっている虎杖を見て心配そうに両手を前に出してオロオロしている名無しに伏黒は早く着替えてこい。と促した。それを聞いた名無しは虎杖を心配しながらも「虎杖さん、すみません」と言って着替えるために岩陰に向かって走って行った。


「はぁ・・・・」
「いってぇよ伏黒!」
「お前が悪いんだろ」
「だから、それはごめんって!」


虎杖がここに来たのは決して下心があったからではなくただ単に滝行に興味があったからだということも、濡れているせいで体を隠す機能を全く果たしていないというのに、一枚着ているから自分の体は見えていないと思いこんでいる名無しのことも伏黒はちゃんと理解している。だが、納得はしていない。それ故、自分の心の奥底からとめどなく溢れ出るイライラを抑えられずにいた。


「伏黒はなんでここに来たの?もしかして毎日来てんの?」
「ちげぇよ。前までは名無しが自分で帳を下ろせなかったから補助監督がついてたけど今は一人だから昨日みたいなトラブルがよく起きるんだ。それで毎日滝行が終わったら俺に連絡をよこすことになってるけど、今日はこなかったから嫌な予感がして見に来たんだ」
「へぇ。さすが、母ちゃん」
「教育係だ!」


前までは星名が一緒にいたから名無しにトラブルが起きてもその都度彼女が対処していたが、名無しが一人で滝行をするようになってからは昨日みたいに衣服を動物たちに持っていかれてしまう事件が多発するようになり、名無しはその都度伏黒に泣きそうな声で電話をして助けを求めているが、そもそも普段スマホを持ち歩く習慣がない名無しはたまにスマホを部屋に忘れてきてしまい、その度に一人その場で困り果て、いち早くトラブルの気配を察した伏黒が助けに来るまでその場で何もできずにいる。そのため、名無しと伏黒の間では滝行が終わったら必ず連絡をする。というルールが決められていた。そして、今朝名無しから何の連絡もなかったため伏黒は様子を見に来た。すると、帳の中から名無しと虎杖の声が聞えてきて中に入ると、昨日散々ここには来るな。と注意したはずの虎杖が裸同然の格好をした名無しを抱きしめている光景が目に入りイライラが頂点に達した。というわけだ。


「伏黒、まだ怒ってんの?」
「別に怒ってねぇよ」


イライラはしているが怒ってはいないため伏黒のこの言葉に嘘はない。それでも、不機嫌なことに変わりはないため、「ほんとに?ほんとに?」と伏黒の顔を覗き込みながら何度も確認してくる虎杖の頭めがけて伏黒はグーパンした。


「おまたせしました」


着替えが終わり岩陰から出てきた名無しが帳を上げたのを見て、虎杖は「おぉ、やっと出れた!」と喜びの声をあげた。


「はぁ・・・・なんかすっげぇ腹へってきた」
「あ、おはぎならありますよ」
「マジで?!」
「はい」


虎杖の空腹の訴えを聞いた名無しはタオル等を入れるために持っているトートバックからラップに包んだおはぎを取り出して虎杖に渡した。


「いただきます!・・・・ん〜!名無しの作るおはぎはマジで美味い!」
「ふふっ。ありがとうございます」
「あー、でも名無しのおはぎ食ったら更に腹減ってきた。俺、先に寮戻るわ」
「あ、はい」


名無しのおはぎが呼び水となって更に空腹を感じた虎杖は朝ごはんを食べるために寮に向かって全力ダッシュをして帰っていった。50m3秒の速度でどんどん姿が見えなくなる虎杖を見て「虎杖さんは相変わらず足が速いですね」と名無しが伏黒に声をかけると、伏黒は「あぁ、そうだな」と、空返事して名無しの前を歩き始めた。そんな伏黒を見て少し様子がおかしいことに気がついた名無しは何かあったのだろうか?と、首を傾げた。


「?」


足元に何か違和感を感じた名無しが下を見ると、そこにはぴょんぴょん飛びながら名無しの後をついてきていたうさぎがいた。そのうさぎを見て名無しは何かひらめいた。


「伏黒さん、見てください」
「?」


突然、後ろを歩いている名無しに声をかけられた伏黒が後ろを振り向くと、そこにはうさぎを一匹抱えた名無しが立っていた。


「うさぎさん、可愛いですよ」


名無しは、ふふっ。と楽しそうに笑いながら抱えているうさぎを伏黒にもよく見えるように自分の顔の前に持ち上げた。すると、名無しの手の中で大きく体を動かし始めたうさぎがスルっと抜け出してしまった。


「ふわっ!」
「あっ」


突然自分の手の中からうさぎがいなくなってしまったことに名無しが驚いていると、うさぎは器用に名無しの頭の上にちょこんと着地した。


「へっ?」


うさぎが頭の上に乗って戸惑っている名無しが、か細い声を出して困っている様子を伏黒は先ほど抜け出したうさぎをキャッチしようと手を伸ばした状態のままじっと見ていた。


「ふぇ〜・・・・」


名無しの小さい頭の上で、ふみふみ。と、足を動かしていたうさぎはようやく落ち着く場所を発見したのか、顔を正面に向けた状態で蹲るように腰をおろした。その結果、まるで名無しの頭からうさぎの耳が生えてるように見えた伏黒は思わず「ふっ」と笑った。


「ふ、伏黒さん〜」


どう対処したら良いのかがわからずただ両手を前に出して泣きそうな顔で助けを求める名無しに伏黒は笑った顔のまま近づき、名無しの頭の上に乗っているうさぎをひょいっと持ち上げて地面に優しくおろした。


「ありがとうございます」


うさぎから思わぬ可愛い攻撃を受けた名無しが笑いながら伏黒にお礼を言うと、伏黒は攻撃のせいでぼさぼさになっている名無しの髪を一房手に取った。


「お前、まだ髪の毛濡れてるぞ」


伏黒と虎杖に気をつかって急いで着替えた名無しの髪は一切乾いておらず、着ている服に濡れた染みをたくさんつくっていた。


「大丈夫です、歩いていれば乾きます」
「ダメだ。タオル貸せ」
「は、はい」


トートバックの中に入れていたタオルを伏黒に渡すと、伏黒は背後から名無しの頭にタオルを乗せて優しく水気をとっていった。


「すみません・・・・」
「別にこれくらい気にすんな」
「こんなに伏黒さんのお世話になっていると、いつかそばにいられなくなる日がくるのが怖くなってしまいます」


言葉通り伏黒はいつでも名無しを助けに現れる。それに、人一倍ぬけている名無しのお世話も嫌な顔一つせずによくしてくれている。今は同じ学校に通っていてお互い高専の敷地内に住んでいるから名無しに何かあったとしてもこうしていつでも伏黒が助けに来てくれるが、これが普通になってしまっている今、その先の未来で一体自分はどうなってしまうのだろう。と名無しは少しだけ不安を口にした。すると、タオル越しに自分の髪を触っていた伏黒の手が突然止まった。ようやく拭き終わったのだろうか?と名無しが背後にいる伏黒を見るために首を後ろに動かそうとした瞬間、名無しの腕を押さえるように背後から伏黒が名無しの体を抱きしめた。


「えっ?」


その突然の出来事に名無しが小さく驚きの声を漏らしたが、伏黒はそんな名無しに何も言うことなくタオル越しに自分の顔を乗せた。


「伏黒さん?」


何も言葉を発さないまま自分のことを抱きしめ続ける伏黒を名無しは一体どうしたのだろう。と疑問に思っていると、小さく息を吸った伏黒が「名無し、俺は・・・・」とようやく声を発した。しかし、伏黒は途中で言葉を紡ぐのをやめた。言えなかった言葉の代わりに名無しを抱きしめている腕に力を入れると、名無しは伏黒の腕に自分の手をそっと添えた。


「伏黒さん・・・・もしかして・・・・」


少しずれたタオルから伏黒に向けて顔を覗かせた名無しの瞳が儚げにゆらめくのを見て、伏黒は思わず息を飲んだ。鈍感な名無しに自分の気持ちが全て伝わっているとは思わない、だけど、もしも、ほんの少しだけでも伝わったなら・・・・


「お腹すいたんですか?」
「・・・・・ちげぇよ」


先ほどまでの儚い表情は一瞬でどこかへ消え、いつものように眩しい笑顔を浮かべる名無しに伏黒はツッコんだ。どこをどう受け取ったらそんな解釈になるんだ。と、伏黒が頭を抱える中、「そういえば」と、何かを思い出した名無しはトートバックから何かを取り出した。


「これ今日初めて作ったんです。ぜひ、伏黒さんに食べていただきたくて」
「・・・・どら焼きか?」
「はい」


名無しが手に持っているものを見た伏黒は、こんがりと焼けた円盤状の生地を見てすぐにそれがどら焼きだとわかった。名無しから受け取ったどら焼きの包みを剥がして一口食べると、ほどよく甘い生地と餡子の味が口に広がり自然と頬が緩んだ。


「美味い」
「ほんとですか?お口に合ってよかったです」
「他のは?」
「えっ?」
「上手く焼けたこれ以外のどら焼き」
「な、なんで失敗したってわかったんですか?」
「・・・・・なんとなく」


名無しが初めて作ったのに一発で成功したと思えなかった伏黒はすぐにこの一つの成功の影に、たくさんの失敗が存在することを察した。


「伏黒さんはなんでもわかっちゃうんですね」
「お前のことならな」


行動も思考回路もワンパターンな名無しのことならある程度はわかる。と伏黒が言うと、名無しは、「うーん・・・・」と何か考えるような顔をした後、ひらめいた!と、手をポンっと叩いた。


「では問題です。私は昨日の夜ご飯何を食べたでしょうか!・・・・・あれ?何を食べたんでしたっけ?・・・・うーん・・・・えっと・・・・伏黒さん、私何食べたんでしたっけ?」


急にクイズをやり始めたかと思えば、自分で問題を出したくせに答えが思い出せず頭を悩ませ始めた名無しに伏黒はクイズとは一体・・・・と思いながら内心ため息をついた。


「昨日ラーメン屋でオムライス食ってただろうが」
「あ、そうでした!正解はオムライスです」
「俺が正解を教えたんだ」


任務終わりに寄ったラーメン屋で名無しはいつものことながら邪道のメニューを注文していた。そのことを伏黒に言われてようやく思い出した名無しは、ふふっと笑った。


「やっぱり伏黒さんがいないとダメですね」
「・・・・仕方ねぇな」


お前が望むならそれまではそばにいてやる。そう思いながら伏黒は隣を歩く名無しの笑顔を見つめた。



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