初めて会ったその人は
動けなくなった人達を山積みにして、その頂点に座っていた。


私は初めて見るその光景に恐怖を感じ、横を歩いていた悟さんの後ろに隠れて泣きそうになりながらガタガタと身体を震わせた・・・・山積みにされている人たちは皆頂点に座っている男の子とは違う制服を着ており、「すみません、もうしません。許してください」とうわごとのように言っていた。


「お前ら、一度俺にやられてるよな?今ならいける。とでも思ったか?わかったら、二度と絡んでくんな。次はねぇぞ」


特別怒った様子もなく何てことない表情で自分の下に積み重なっている者たちへと声をかけると、「すみませんでした」と今にも消え入りそうな声が次々と聞えてきた。その言葉を聞いた少年は、はぁ・・・・とため息を一つついた後、少し跳んで地面に着地した。悟さんは強いからあの少年相手でも何かあったとしても大丈夫だろうけど、トラブルは避けた方がいい。と私は悟さんの服をグイグイと後ろにひっぱったが、悟さんはそこから一歩も動かなかった。目があったら「あ?何見てんだよ!」って言われちゃう!言われちゃいますよ!と、服をひっぱる力を強めたが、悟さんはそんな私の手を軽く握り締めてポンポンと指で優しく叩いた。


「よっ!恵、猿山のボス猿ごっこは終わった?」


心配している私をよそに急に少年に声をかけた悟さんに私は目を見開いた。なんで声かけるの?!・・・・え、でも今名前呼んだ?知り合い?あの怖い人知り合い?と、悟さんの背後からちらっと顔を覗かせて、少年の顔を見ると、少年は先程までの感情が読めないような無表情とはうってかわり、「っげ!」と心底嫌そうに顔を歪めた。


「・・・・なんでいるんですか?」


身体全体から溢れ出てる嫌悪のオーラとは裏腹にしっかりとした足取りで、恵。と呼ばれた少年は悟さんの方へと歩いてきた。ここじゃなんだから。と今いた場所から少し離れるように悟さんは前を歩き、私はその後ろを離れないようにくっついて歩いた。


「別に可愛い教え子に会いに来るのに理由なんてないでしょ」
「五条さんが俺に会いに来るのに理由がないわけがないでしょ」
「まぁ、それもそうだね。今日はこの子を紹介しに来た」


そう言って、悟さんはずっと後ろで2人の話を聞いていただけの私を前に押し出した。思わず「ひゃあ!」と声が出て、押し出された勢いで地面に倒れかけたが、悟さんが後ろから私の両脇をぐっと掴み後ろに引っ張ってくれたおかげで転ばずにすんだ。すぐに直立した私は少年と目を合わせることができないまま、視線を地面に向けた。


「あ、あの、名無し名無しでう」


少年に怯えた結果、しどろもどろで噛み噛みの最悪な自己紹介を口にしてしまった。第一印象が大事だというのに完全にやってしまった。と感じ、せめてもの誠意として腰を180度曲げる勢いで頭を下げた。


「ほら、恵があんなの見せるから怯えちゃってるじゃん。可哀想に」
「いや、勝手に来たのはそっちでしょ」


自己紹介をしたもののこの後どうしたらいいのかわからず、いたたまれなくなった私はもう一度悟さんの背後へと回りこみ、ぎゅっ。と服を掴んだまま、後ろから少年を覗き見ると、少年は面倒くさそうな顔で頭をガシガシとかいていた。


「恵も挨拶して」
「伏黒恵」
「それだけ?」
「名前さえわかれば十分でしょ」
「冷たいなー。名無しは来年、君と同じ高専の1年生になるから仲良くしてね」
「仲良く。はわかりませんが、まぁそれなりには」


悟さんの背後でその言葉を聞いた私は、えっ。もしかして来年の1年生って私たち2人だけ?そんなことないよね?まだ、9月だから情報が入ってきてないだけだよね?もし、2人だけだったら私もあの男の子たちみたいにボコボコにされてしまうのでは?と不安が頭を駆け巡った。いや、2人だけじゃなくてもボコボコにされる可能性は十分ある。やはりもっとちゃんとした自己紹介をした方がよかったんじゃないか。と、焦った。


「名無し。恵は、あの禪院家の血を引く人間で、『十種影法術』っていう影を媒介とした式神を召喚する術式を使うんだ。呪術師としては、君よりも先輩だから、戦い方とか見て勉強するように」
「はい、わかりました」


禪院家と聞いて真っ先に頭に浮かんだのは真希さんの顔だった。あとは、あの人・・・・なんだっけ?名前が・・・・禪院家の人は人数が多すぎて名前が覚えられない。毎年行われる新年会の挨拶の時も下手に名前を間違えて呼んで首を刎ねられるぐらいなら。と、男の人は『禪院家のお兄様』。女の人は『禪院家のお姉様』と呼び、リスク回避をしている。これは非常に大事なことである。御三家の方々は一族の中でも仲があまりよろしくない。もしも、嫌いだと思っている人の名前で間違えて呼んだ日には恐らく人生が終わるのではないか。と思う。


「恵。名無しは名無し家っていう、御三家と同じぐらい古くからある一族の末裔。訳あって最近呪術師になったばっかりで基本的なこと以外まだ何にもわからないから一緒の任務の時は色々教えてあげてね」
「わかりました」


悟さんと同じくあの御三家の血を引いているということは、すごい呪術師であることは間違いないだろう。呪力を持たない真希さんだってあんなに身体能力が高くて呪具の扱いは生徒の中でもずば抜けている。やはり御三家の血筋はすごい。でも、さっき名前を伏黒って・・・・。分家だろうか?とにかく、ご迷惑をおかけしないように頑張らなければ。


「ちなみに名無しは僕の婚約者だから」
「は?」
「ち、違います。ご、誤解です」
「えー、違わなくないでしょ」
「そ、そうですけど。その言い方だと・・・・」
「どっちですか。嘘なんですか。本当なんですか」
「あの・・・・、幼い時に禪院家に嫁ぐことになったのを悟さんに助けていただきました。なので、正式な婚約者では・・・ないです・・・」


このままだと悟さんは面白がって詳細説明をしてくれなさそうだ。と思った私は、恐る恐る伏黒さんに『あの時』のことを掻い摘んで説明した。


「一応、紙は交わしてるんだから正式な婚約者でしょ」
「でも、婚約者という言葉を使うにはあまりにも・・・その・・・強制力がなさすぎます」


悟さんとの婚姻は、一応、将来五条家に嫁ぎます。と書類を交わしているものの、強制力は一切なく、お互い好きな人ができたらお付き合いしてもいいし、結婚したい人がいれば婚約を破棄してその人と結婚してもいい。もし、適齢期になっても結婚相手がいない場合は、正室にも側室にもなっていい。という、なんともこちらにとってデメリットが一切ない、大変都合の良い内容で、これで『婚約者』と名乗っていいのか?と首を傾げたくなる程、強制力は皆無なのだ。


「ところで、名無しの後ろにいるのはなんですか?呪霊とか言いませんよね?」


婚約者の件にまったく興味がなかったのか、この件を特に掘り下げることはなく、私の背後をじっと見つめる伏黒さんは、その正体を探るように目を細めた。どうやら彼は『この方』が見えるようだ。もし、意図せず存在している呪霊ならば悟さんが気付かないわけがない。と思っての質問だと思う。彼の言うとおり『この方』は呪霊ではない。


「あぁ、これ名無しに取り憑いてる『神様』」
「は?」
「池に落ちてこの『神様』に取り憑かれたの」
「どういう状況ですかそれ。『呪われた』んじゃなくて、『取り憑かれた』んですか?」
「そ。瘴気が充満している池の中に1000年もいたのと縛りを破った罰で、穢れまくってるけど、一応神性は残ってるから『神様』だよ。まぁ、正式には『邪神』と呼ぶべきなのかな。恵が呪いに見えてるのも全部瘴気。あ、ちなみに名無しにはその『神様』見えてないから」
「取り憑かれてるの本人なのに?・・・もしかして、呪力がないんですか?」
「いや、呪力はあるよ。だから呪霊はちゃんと見える。でも、『神様』は見えないの」


悟さんがいうように私には『神様』が見えていない。悟さん曰く、呪霊は呪力があれば見えるが、『神様』のような特殊な存在は、一定量の呪力があれば見えるようなものでもなく、見る『才能』がないと見えないらしい。悟さんや伏黒さんのようにはっきりと見える人は稀らしい。今の状態はとにかく全身真っ黒の人型で見える人が見ると、それこそ呪霊との違いがあまりわからないらしい。それぐらい、今『神様』の身体は瘴気で穢れている。ちなみに声も聞えないから、私に何か話しかけたとしても何もわからない。


「それって危険じゃないんですか?」
「今のところは大丈夫」
「今のところってこれからはどうなんですか?」
「それはわからない。取り憑かれてる名無し次第だろうね」
「祓えないんですか?」
「呪いじゃないから祓うのは無理。呪霊化してくれればいけなくないんだけどね」
「悟さん、恐ろしいこと言わないでください」
「お前は祓って欲しくないのか?」
「えっと・・・瘴気を浄化して元の場所に帰してあげたいです」
「?」
「まぁ、色々事情があるってこと」


そう言って悟さんは未だに背後で隠れている私の頭をポンポンと撫でた。『神様』については悟さんと一緒に勉強している最中だ。負の感情を持つ信仰者によって呪霊化してしまう神様は存在するようだが、これだけ穢れていても呪霊化していない神を見たのは人生で初めてだったらしく、最初見た時は呪霊として祓おうとしたぐらいだ。祓う方法はわかるが、穢れを浄化する方法はわからない為、色んな文献を読んだりして、できることを見つけてはそれを実践するという実験的な毎日を送っている。


「よく上の人達が許しましたね」
「頭のかったい完全保守派のじじい共を説得するのは結構大変だったけど、まぁ、なんとか高専内で名無しごと管理する。って条件で納得させたよ」
「じゃあ、普段高専から出られないんですか?」
「いや、そんなガッチガチでもないよ。普通に出かける分には問題ないし、泊まりだって2泊3日ぐらいなら全然平気だよ。だから、ディス●ーシーのミ●ラコスタにだって泊まれる」
「いや、別に具体的な建物名まで出さなくていいですよ」


私が『神様』に取り憑かれたと知った呪術界の偉い方々は、「殺せ」「殺せ」とすごかったらしい。恐らく、名無し家のことをよく思っていない人もその中にいたのではないかと思う。そんな方たちを悟さんは一人で説得したというのだから、本当にすごい人だ。と改めて思う。今生きてここにいられるのも全部悟さんにおかげだ。


「ちなみに恵の等級は2級だから」
「えっ、2級ですか?!」


2級と聞いて思わず大きな声が出てしまった。まだ、中学3年生なのにすでに2級の呪術師だなんてすごすぎる。と、さっきまでの恐怖心が少しだけ薄れ、一気に尊敬の気持ちが私の中で芽生えた。


「じゃあ、自己紹介もかねて、今から2人で呪霊祓ってきて」
「えっ?!」
「突然ですね。まぁ、いいですけど」
「ま、待ってください、悟さん。私まだ、実戦経験が浅いのですが・・・・」


2つ返事でいいです。と返事をする伏黒さんとは反対に私は大慌て。私が、呪霊を祓いに現地に赴いたのは、今までで2回だけ。しかも、その2回とも悟さんの同行でだ。祓いに行くというよりも、東京の山奥にある田舎町で育ち呪霊をそんなに見た経験がなかった私に呪霊はどんなものなのか。と、祓う。とはどういうことなのか。を実戦で見せてもらっただけで、実際に呪霊を祓った経験は0である。呪力のコントロールもまだ上手くできず、悟さんからもらった呪力を一定に保たないと頬をツンツンされる呪骸には、持ち歩いている間、終始突っつかれて数時間で頬を腫らす始末だった。呪具も最近扱い方がわかっただけで、実戦で使える自信もない。悟さんと3人で行くならともかく、伏黒さんと2人で行くなんてまずメンタル的に絶対無理だ。いくら2級といっても、確実に迷惑をかけてしまう。怒られるだろうな。殴られたらどうしよう。


「名無し。恵なら大丈夫だよ」


明らかに意気消沈している私を見た悟さんが明るい声で言って頭を撫でた。きっと私の気持ちを察してくれたのだろう。でも、私は下を向きながらただ声だけで「はい」と言う事しかできなかった。伏黒さんがどんな表情をしているのか怖くて見ることもできなかった。


「恵は2級だけど今日は名無しもいるから、3級呪霊の案件ね」
「わかりました」
「名無しもいい?」
「はい」


きっと私が何もできなくても3級なら伏黒さんは簡単に祓えるだろう。私が『余計なこと』をしなければ、役に立たなくともご迷惑はかけずに終わるかもしれない。きっと大丈夫だ。自問自答しながら一人で納得した私はふと自分の格好を見てある事を思い出した。


「悟さん。私、この格好ではいけません」


自室に篭って勉強していた所、突然窓から現れた悟さんに「パフェ食べに行こう!」と誘われて、お気に入りのワンピースを着てきたため、こんな軽装では行けない。と、悟さんに言うと悟さんは「大丈夫。ちゃんと持ってきてるよ」と、どこからか高専内で着ている私の制服の上着を取り出した。準備万端だ・・・・・。幸い、自分の使う呪具は常に持ち歩いているため、背負っているリュックの中にしっかりと入っているから、これで何の問題もなく任務に赴けるわけなのだが・・・・・パフェにつられて、のこのこついて来た結果がこれである。思えば、悟さんはよくどこかへ行こう!と私を外へ連れ出し、全く別の場所に連れて行くことがよくある。名無しがずっと行きたがっていた回るお寿司屋さんに連れて行ってあげる。と言われて、苦手なホラー映画を見せられた時は心の底から泣きそうになった。こういうサプライズは正直心臓に悪いし嬉しくない。


「あの、悟さん、パフェは?」
「よーし、じゃあ、ちゃっちゃと祓いに行くよー」
「あ、あの・・・・パフェ・・・・」


私の言葉を無視して意気揚々と私の腕を掴んで前を歩き出した悟さんを見て、これは完全に騙された。と確信した。私たちのやりとりを聞いて、何かを察したらしい伏黒さんはおでこに手をあてながら「五条さん・・・・」とつぶやいていた。


「じゃあ、名無しのお世話係の恵くん」
「悟さん、それはいくらなんでも申し訳なさすぎます」
「せめて、教育係って言ってもらえませんか?同級生を世話する気なんてありません」


上級生ならともかく同級生にお世話していただくのはさすがに申し訳がないです。と、悟さんに伝えると、伏黒さんは、「なんですかそれ」といった様子で眉間に皺を寄せながら文句を言った。逆に教育係ならいいんだ・・・・言葉って難しい。





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