「チッ!」


一瞬で紙屑になった馬券をグシャっと握りつぶした男は舌打ちをした。今日のレースは確実に勝てると思い持っている財産を全て賭けていたため、また無一文になってしまった。そんな時だった・・・・


「お困りのようですね、甚爾さん」
「あ゛?」


急に隣から声をかけてきた男を甚爾と呼ばれた男は鋭い眼光で睨みつけたが、すぐに見知った顔だとわかり眉間の皺を緩めた。


「お前はたしか・・・・」
「お久しぶりです」


その男は以前、甚爾が禪院家を出た後、呪具を手に入れるための資金稼ぎのために何度か依頼を受けたことがあった人物だった。


「いい話があるんですが、どうですか?」
「割のいい話なら聞いてやる」


そして数日後、その男からの依頼を受けた甚爾は東京にある田舎の村に足を運んでいた。依頼内容は、とある1級呪具を護送中に奪って欲しい。というものだった。その呪具は、約500年間警備が厳しい建物でずっと保管されており、その間、1度も建物の外に出されることはなかった。しかし、この度その呪具の保管の為だけに建てた別の建物へ移す。という噂を聞いた依頼主は、この機会にその呪具を見てみたい。と、甚爾に奪ってくるよう依頼した。報酬は1000万。呪具を奪ってくるだけの簡単な任務にしてはやけに高い報酬に甚爾は疑問を持ったが、その呪具の情報は門外不出扱いで代々所有者しかその呪具を見たことがない為、依頼者はその額を払うだけの価値はある。と言った。自分にとって価値のないものだった場合は甚爾にその呪具を譲るとまで言っており、甚爾は依頼者に対してやけに太っ腹だな。と感じていた。

甚爾は、現在保管されている建物でも、移動先の建物でもなくその2点の間にあるこの村で移動途中の車から呪具を奪うことにした。正直、甚爾の実力があれば警備が何人いようが、殲滅することは容易いが、どの呪術師の一族が所有者と裏で繋がっているかわからないため、なるべく揉め事は最小限に抑えたい。と依頼者は考え、どんな方法で奪ってもいいが誰一人殺してはいけない。という約束を依頼者との間で交わしていた。そのため、なるべく人数が少なく警備も手薄になるところで奪いたかった。恐らく、そのことを含めて上乗せされた報酬の額なのだろう。殺してでも奪うなら甚爾以外の人間でも可能だが、殺さずに奪うのは相当な実力がなければ無理だ。
甚爾は大事な呪具の護送を行うなら、人通りが多い道は避けるだろう。と予想し、唯一、間にあるこの村で待ち構えていたが、予想は見事的中した。


「やっと来たか」


車通りも人通りも少ないこの田舎の道で明らかに不自然な数の車が街灯のない暗闇の中こちらに向かって走ってくるのが見え、甚爾はにやっと笑った。


「誰も殺すな。とは言われたが、怪我をさせるな。とは言われてねぇからな」


甚爾は、お゛ぇ゛!と、口から出した呪霊を体に巻きつけ、戦闘体制を整えた。それだけ貴重な呪具の護送だ。呪術師なしで行うはずがない。そのことも想定の上で依頼者も“術師殺し”の異名を持つ甚爾にこの依頼をしたのだ。

道路の脇にある森の中の木の上に立っている甚爾は、車が真下を通る瞬間に木から降り、先頭を走っている車のボンネットに呪具の剣をぶっ刺した。後ろに続いていた数台の車は急ブレーキをしたが間に合わず、玉突き状態で車は全台停止した。


「なんだ?!一体何が起きた!」
「お前、何者だ?!」
「名乗るわけねぇだろ」


ぞろぞろと車から降りてくる人の数を見て甚爾はこの数なら秒で呪具を奪えるな。と思い、恐らく、襲われることも想定して前後に守りを固めて、真ん中辺りの車にお目当ての呪具が乗っているだろう。と考え、自分に攻撃をしかけてくる呪術師に目もくれず一目散に目的の車に向かって走った。


「は、速い!」


甚爾のあまりの足の速さにその場にいた全員が驚いて一瞬固まったが、すぐに我に返り攻撃を繰り返した。しかし、どの攻撃も甚爾に当たることはなく、避けられるか手に持っている呪具で払いのけられた。そうこうしている内にあっという間に目的の車を見つけた甚爾はドアごと車を破壊し、中からお目当ての呪具を箱ごと手に取った。


「待てっ!それを返せ!」
「用はすんだ。じゃあな・・・・っ!」


奪った呪具を抱え、逃げるために甚爾は上に跳んで森に入ろうとしたが、その時、甚爾めがけて何かが飛んできた。すぐに甚爾は剣でその何かを払い除けたが、払い除けたはずのものが方向転換をしてまた甚爾を突き刺そうとした。瞬時にそれを手で掴んだ甚爾はその何かを見て一瞬目を見開いた。


「矢尻に血・・・・」


飛んできた矢の矢尻に少量の血液が付着しているのを見た甚爾の頭には瞬時に『赤血操術』の文字が浮かんだ。赤血操術は血液を操作する加茂家相伝の術式。つまり・・・・


「っは。やっかいなやつもいるみてぇだな」


甚爾は自分に向かってもう一本飛んできた矢を手で掴みながら、この矢を射った人物を探すと案の定そこには・・・・


「加茂家の当主様か」
「逃がすな!そいつを必ず捕まえろ!」
「「「はっ!」」」


加茂家の当主は一番離れた場所で、弓から3本の矢を放ち甚爾を襲ったが、呪具を格納している呪霊から別の剣を取り出した甚爾はそれを一振りで薙ぎ払った。例の呪具の所有者と加茂家が繋がっていたのは甚爾にとって誤算だったが、交戦さえしなければ何の問題もない。と、このまま逃げることだけに意識を集中した。正直、甚爾は加茂家の当主と真っ向から戦っても勝てる自信はあった。しかし、加茂家との繋がりを何よりも大事にしている禪院家が問題だった。別に、甚爾が加茂家の当主を殺して禪院家が困ること自体はどうでもいいが、これからも何かと直毘人からお金をせしめたい。と考えている甚爾は直毘人が今後交渉に応じなくなるようなことだけは避けたかった。幸い、街灯一つない暗闇の中で戦っていたせいか、甚爾の存在を加茂家の当主はまだ気づいていない。このまま逃げられれば問題はない。

木を渡って逃げ続けた甚爾は追っ手からかなり距離を離し、森を抜けた先で1軒の古い日本家屋を見つけそこに降り立った。恐らく、護衛はあれだけではないだろう。別の部隊も存在するはずだ。すぐに要請を受け応援に駆けつけるだろう。先回りされてでもしたら面倒だ。と考えた甚爾は、広大な土地を所有しているこの家の敷地に隠れてしばらくやり過ごそう。と考えた。

家の周りが木で囲まれているため、そこに身を潜めようと思い歩いていると、ふと背後に気配を感じた。もう追っ手が追いついたのかっ!いや、あれだけ距離を引き離したのだからそんなはずはねぇ。と思い、体を回して後ろを見た。すると・・・・


「は?」


見えない何かが自分の頭に襲いかかる気配を感じ甚爾は気が抜けたような声を出した。


*********


それは名無しが3歳のある日、月の見えない夜のことだった。
尿意で目が覚めた名無しはお手洗いに行くために部屋の扉に手をかけたが、古い日本家屋のこの家は灯りの数が少なく廊下は月明かりがなければ真っ暗なため、今日のような新月の日はお手洗いに行くのを躊躇する。しかし、今すでに尿意を感じているというのに、そんなことを言っていられない。と、勇気を振り絞り暗い廊下に出てトイレに向かって恐る恐る歩いていった。

名無しは祖母と2人でこの家に暮らしているが、祖母は毎晩名無しが眠りにつくとどこかへ行って朝まで帰ってこないため、どんなに怖くても名無しは一人でトイレに行くしかなかった。幼いながらに祖母は自分のような『面倒』を押し付けられた可哀想な人だ。と名無しは認識していたため、これ以上迷惑はかけられない。と、夜に一人で家にいることが怖いと言えずにいた。


「ふぅ・・・・」


無事お手洗いを終えた名無しが部屋に戻っていると、「離せ!っつってんだろ!」と言う声が庭の奥から聞えてきた。名無しは恐る恐る沓脱石に置いてあるサンダルを履いて声のする方へ歩いていくと、大きな袋に上半身を覆われている人がいた・・・・


********


「っち、いい加減にしろ!」


天与呪縛のフィジカルギフテッドを持っている甚爾の力でも自分を覆っている袋から抜け出せないため、何か条件付きの拘束術か何かだろう。と考えた甚爾は呪具を使って袋を破くことにした。呪具を格納している呪霊から取り出した呪具を袋に突きたて剣先が袋に触れた瞬間・・・・


「ひゃあ!」
「・・・・あ゛?」


突然小さな悲鳴のような声が袋の外から聞えてきた甚爾はなんだ?と口を開いた。袋に食われたままの甚爾は先ほどから自分に近づいてくる人の気配を薄っすら感じていたが、小さい気配だったため、追っ手ではないと思い放置していた。とりあえず、この袋から出ないことにはどうにもできない。と、もう一度袋に呪具の剣を突きたてると、また「ひゃあ!」と小さく悲鳴があがった。


「その袋から変な音がして耳が痛いの〜」


泣きそうな声で子供が言った言葉を聞いて甚爾は「変な音?」と疑問に思った。なぜなら音など甚爾の耳には聞こえていないからだ。だが、その子供が嘘をついているとは思わなかった。なにより甚爾には『気配』がわかるだけで何も見えていないが、この子供は今はっきりと「その袋」と言った。つまり、この子供は確実に『視えている』。そして、『視えている』人間には聞えるが、『視えていない』人間には聞えない音ということになる。追っ手の中にやっかいな術式を持ったやつがいるみたいだ。と甚爾は一つため息をついた。さっさとこの袋から抜け出したいがそうなるとこの袋から、視える人間にだけ聞こえる音が鳴り響く。ここで大きな音を鳴らせば、追っ手に自分の居場所を伝えることになる。ただの術師なら問題はないが、加茂家の当主まで来ることになれば、次こそ交戦は免れないだろう。それだけは避けたかった。仕方ない。と、甚爾が呪具を格納している呪霊から術式を強制的に解除する効果が付与されている特級呪具を取り出そうとした時・・・・


「お名前言って」
「は?」
「お名前を言わないと離してくれないの」
「名前?」


甚爾ほどの力の持ち主を拘束できるほどの拘束術となると、甚爾以上の力を持った術師によるものと考えるのが普通だが、その可能性は極めて低い。そのため、条件付きの拘束術であると考えた方が自然だった。そして、その条件付きの拘束術というのは、解くための条件が難しければ難しいほど拘束力が弱く、逆に、解くための条件が簡単であればあるほど強力な力で拘束できる。というものだ。今回の場合、名前を言えば解ける。という、誰にでもできる簡単な条件だったため、それに比例して拘束する力が強力であったというわけだ。条件さえわかれば・・・・と、甚爾は口を開いた。


「・・・・太郎」


『名前を言う』という条件なら、偽名でもいいだろ。と甚爾は適当に嘘の名前を言ったが、袋は少しも甚爾を離す様子はなかった。はぁ・・・と一つため息をついた甚爾はめんどくさい。といった様子でもう一度口を開いた。


「・・・とーじ」


偽名でダメだったということは、下の名前だけでもダメかと思ったが、意外にも袋はすんなり甚爾を離した。やっと視界が良好になった甚爾は、目の前に立っている名無しに目を向けた。


「これお前のか?」


甚爾には視えていない袋を手に掴んで目の前にいる名無しにそれを見せた。甚爾はてっきりこの拘束術は追っ手の術師の術式かと思っていたが、目の前の子供は解き方を知っていた。つまり、この子供かこの子供の知っている人間の術式ということになる。そう思った甚爾が名無しに声をかけると名無しは大きく目を見開いて甚爾のことをじっと見つめていた。


「お兄さん・・・・」
「・・・・っ!」
「ひゃあ!」


名無しが何か言おうと口を開いたが、突然、人の気配を察知した甚爾は何かを地面に置いた後、袋を掴んだまま名無しを抱えて物陰に隠れた。


「お兄さ・・・」
「黙ってろ」


甚爾の方を向いて何か言おうとした名無しの口を手で押さえた甚爾は影から様子を伺った。すると、そこに2人の男が現れた。先ほど呪具を奪った現場で見た男たちだった。


「さっきこっちから変な音が聞こえなかったか?」
「あぁ、たしかに聞こえた」


2人の会話を聞き、やはり先ほどの『音』は『視える』人間にだけ聞こえる音だということがわかった。


「子供の声も聞こえたよな?」
「それは聞き間違えだろ」
「たしかに聞こえたんだよ・・・・ほら、あそこに靴が落ちてる」
「本当だ」


男たちは、地面に落ちている小さなサンダルを片方見つけてそちらに向かって近づいた。ちらっと、甚爾が名無しの足元に目をやると、名無しの片足からサンダルが無くなっていた。先ほど抱きかかえた時に脱げたのだろう。と小さくため息をついたが、男たちはそのサンダルよりも大事なものをその隣に発見した。


「おい、これ盗られた呪具じゃねぇか?!」
「あぁ、間違いねぇ。木箱に家紋が入ってる。中身は?」
「無事だ。ちゃんと入ってる」


先ほど甚爾が地面に置いたのは盗んだ呪具が入っている木箱だった。正確には、中身を入れ替えた木箱だ。今、あの中に入っているのは盗られた呪具ではなく甚爾が所有する約100万円の呪具だ。だが、それが偽物だとはバレない。何故なら、『所有者しかあの呪具のことを知らないから』だ。鑑定士でもない限り、普段それほど多くの呪具を見ていない者が見たところであれが偽物だとはバレない。


「なんでこんなとこに捨てられてるんだ?」


無事に追っていた呪具を発見した男たちだったが、盗んだ人間がなんでこんなところにせっかく盗んだ呪具を捨てていったんだ?と首を傾げた。すると、一人の男が何かに気づいたように小さく息を飲んだ。


「どうした?」
「ここ・・・・『霧散の屋敷』だ」


霧散の屋敷。という聞いたことのない単語が聞えてきた甚爾はなんだそれは。と、男の話に耳を傾けた。


「は?霧散の屋敷?」
「お前、聞いたことないのかよ!霧散の屋敷!そこの敷地に足を踏み入れたものは皆その後戻ってくることはない!永遠に姿を消すんだ!」
「っ!・・・・ってことは、これを盗んだやつも・・・・」
「恐らく。ここがその霧散の屋敷の敷地なら俺らは・・・・」
「っ!早く逃げるぞ!」
「あぁ!」


男たちは軽く悲鳴をあげながら逃げるようにその場を去っていった。へぇ、足を踏み入れた者が姿を消す屋敷か。と甚爾が考えていると、向き合うように抱きかかえている幼女から熱視線を向けられているのに気がついた。正確には、抱きかかえてからずっと向けられているその視線に気づいてはいたが、生まれてからずっと容姿だけは人一倍整っていたため、そんな視線は向けられ慣れている甚爾は、めんどくさい。という理由でずっとその熱視線を無視し続けていた。


「なんだよ」


そういえば、ずっと自分に何か言おうとしていたことを思い出した甚爾が名無しの口から手を外すと、名無しは甚爾の服を両手でガシっと掴んだ。そして・・・・


「お兄さん、おーじなの?!」
「・・・・・・は?」


突然目をキラキラと輝かせながら言われた言葉を聞いて、甚爾は意味がわからないといった様子で眉間に皺を作った。「えっとね、えっとね」と、なにやら興奮した様子でバタバタと手足を動かす名無しを見て地面に名無しを下ろすと、名無しは家の中へと走っていった。その様子を見て、更に状況が理解できなくなった甚爾はめんどくさい。という気持ちでいっぱいになったが、まだ当分はここから動けないし、あの男たちの話が本当ならここはいい隠れ蓑になるため、仕方なく名無しの後を重い足取りで追った。幸い、家の中からは名無し以外の気配は感じない。『霧散の屋敷』という言葉は気になるが中に入っても問題はないだろう。と思った。

靴を脱いで中に入ると、廊下の奥から名無しが何かを抱えた状態で走ってくるのが見えた。寝相が悪いのか着方が悪いのかはたまた両方か、寝巻きとして着ている浴衣が乱れに乱れ、裾に足がひっかかるのが見えた甚爾は、「わっ!」と、こけた名無しを瞬時に支えると、名無しは、ばっと顔を上げて、持っているものを甚爾に見せた。


「これ!」
「・・・・あ゛?」


名無しが甚爾に見せたのはシンデレラや白雪姫等の数冊の絵本だった。それを見た甚爾は、数秒脳をフル回転させた。おーじ、絵本・・・・あぁ、そういうことか。と、ようやく名無しの言っていることを理解した。


「王子様!」
「王子じゃねぇ。とーじだ」


名無しが自分の名前をおーじと聞き間違え、そこから王子と勘違いしていることに気がついた甚爾はすぐに訂正をしたが、興奮状態の名無しは「すごーい!」と連呼して聞き耳を全く持たなかった。


「おーじ、あのね!」
「おい、人の話を聞け」
「おばあちゃんがね、いい子にしてたら王子様がきてくれるって言ってたの」
「はぁ?」


なんだそれ、サンタかよ。と、真っ先に甚爾は思ったが、聞く耳を全くもたない名無しは甚爾の反応を一切無視して話し続けた。


「名無し、いい子になれたからおばあちゃん夜もいてくれたらいいなぁ」
「お前、家族は?」


ぼそっと言った名無しの言葉を聞いた甚爾は気配からこの建物の中に他に誰もいないことがわかっていたが、一応名無しに確認した。


「まだ会ったことないけど、お父さんとお母さんは遠くに行ってて、おばあちゃんと2人でいるの」
「で、夜はババアがいねぇのか?」
「うん。朝にならないと帰ってこないの」


さっきまでずっと嬉しそうに笑顔で話していたのに、急に悲しそうに力なく笑う名無しを見て、甚爾はこれだからガキは苦手なんだ・・・・。と頭をガシガシとかいた後、名無しの顔を見つめた。


「おーじが名無しに会いにきてくれたから、名無し、おててなしするね」


おててなし?おもてなしのことか?と、甚爾が内心首を傾げていると、名無しは嬉しそうにえへへ。と笑い、甚爾の手をそっと掴んだ。そんな名無しを見て甚爾は、コロコロと表情が変わって忙しいヤツ。と思いながらも自分の手を握る小さな手を握り返した。


「これ、お前のか?」


甚爾はずっと手に掴んでいた袋を名無しに見せると名無しは首を横に振った。


「その子はおばあちゃんのお友達。あ、でも名無しもお友達になってもらったの。知らない人が来るとね、食べちゃうの」
「へぇ〜・・・・」
「でもね、お名前教えてお友達になると食べないでくれるの。このこと誰にも言っちゃいけないっておばあちゃんが言ってた」
「・・・・。」


早速バラしてんじゃねぇか。と心の中でツッコんだ甚爾は、先程自分のことを捕らえた術が名無しの祖母の術式だということがわかり、目の前の幼女も含め、この家の人間がどこの家の者なのか少し興味を持った。この広大な敷地で、尚且つ術者が近くにいなくても発動する術か。と甚爾が考えていると、そんな甚爾の手を掴んで名無しはグイグイと引っ張った。


「おーじ、おててなしするからあっちにいこ!」
「あー、はいはい」


もはや、自分が王子様だと勘違いされていても訂正する気がない甚爾は、少しの間滞在するにはちょうどいい。と思い、名無しにひっぱられたまま家の中に足を進めていった。このまま適当にあしらっておけば、ガキはその内飽きて寝るだろ。と甚爾は思っていた。しかし、現実はそんな甘くはなかった・・・・


「おーじ、これどーぞ」
「あ゛?・・・・なんだこれ?」
「おにぎりとおはぎ!」
「・・・・・・。」


甚爾を居間に連れて来た名無しはすぐにどこかへ行ったが、甚爾はそのことを気にせずテレビで今日の競馬の結果を見ていた。今日競馬場に行けていたら賭けようと思っていた馬が1着になったのを見て、くそっ。と舌打ちをしていた所におぼんの上に何かを乗せた名無しが現れたのだった。恐らく、これが先ほど言っていた『おててなし(おもてなし)』なのだろう。と甚爾はそのおぼんの上にあるものを凝視した。だが、おにぎりと言われて出されたものは明らかに、ぐしゃっと平皿の上に乗った白米で、具が何も無さそうだった。そして、おはぎと言われて出されたものはつぶあんだけが乗った小皿だ。これはなんだ・・・・。と甚爾の思考は一瞬停止したが、ヒモとして色んな経験をしてきている甚爾は「おー、悪ぃな」と全く動じた様子を見せずに出されたものを口にした。うん。やっぱただの白米だ。なんなら、白米とつぶあんでおはぎになった。と、思いながら、名無しが後から持ってきたお茶を飲んだ。


「おーじの肩にいるの可愛いね。わんわん?」
「ちげーよ」


甚爾の横に座った名無しは甚爾の体に巻きついている格納呪霊を見て目をキラキラと輝かせた。どう見たらこれが犬に見えるんだよ。と甚爾は呆れながらもテレビから視線を動かさなかった。名無しがニコニコと笑顔を浮かべながら可愛い。と言って格納呪霊の頭を撫でると、褒められたことが嬉しかったのか、格納呪霊は少しニコッと表情を緩め、頭を撫で続けている名無しに向かって口を大きく開いた。


「これなぁに?」


呪霊の口から何かの棒の様な物が出てきたため、それを見た名無しが首を傾げていると・・・・


「おい、勝手に俺の呪具を贈ろうとしてんじゃねぇ。それ、5000万の呪具だぞ」
「ぐぇ!」


甚爾は名無しにあげるために口から呪具を出そうとした呪霊の口に思い切り腕をつっこんで呪具を口の中に押し戻した。


「ったく・・・」
「名無しにくれようとしたの?ありがとう。でも、おーじがきてくれたから、名無し何もいらないよ」


自分に何かくれようとした呪霊に感謝の言葉を伝えながら名無しはもう一度頭を優しく撫でた。そんな楽しげな名無しを甚爾はじっと見つめた。
甚爾は、得意の観察眼と知っている情報を合わせて、すぐにここが本家から追い出された名無し家の現当主の側室の住居だとわかった。名無しはその側室の拾い子か隠し子かと思ったが「おばあちゃん」と言っているのを聞き、その可能性は極めて低いと考えた。そうなると、自然と死んだ次代当主の子ということになる。しかし、使用人と本家を飛び出した後に殺され、その後、本妻が自殺し跡継ぎがいない。という情報しか甚爾の耳には入っていない。つまり、今目の前にいるこの幼女は名無し家にも隠されている存在ということになる。恐らく、本家を飛び出したあと、この家に捨てたのだろう。これはいい情報を手に入れた。名無し家は昔から金回りがいいため、このままこの幼女を連れ去って引き渡せばいい金になる。と思ったが、どうしてかそんな気分にはならなかった。


「ねぇねぇおーじ。魔法使いってどうやったらなれるか知ってる?」
「は?知るわけねぇだろ」


甚爾がご飯を食べている間、絵本を読んでいた名無しが投げかけた質問を甚爾は知るか。と一蹴した。


「そっかぁ・・・・」
「なんで、んなこと知りてぇんだよ」
「名無し、魔法使いになりたいの」
「魔法使いなんてなんも得しねぇだろ。やめとけ」


甚爾の目には物語に出てくる魔法使いは損な役回りに見えていた。最終的に幸せになるのはいつもお姫様で、慈悲の心で助けた魔法使いには何も返ってこない。良い思いをするのはいつもお姫様だ。そんな貧乏くじだれも引きたがらないだろ。と思った。現に、甚爾が今まで出会ってきた女性はお姫様願望が強い女性が多かった。ただ出会った王子様が白馬にも乗っていなければギャンブルが大好きな顔がとてもいいヒモだっただけで・・・・・。だから、わざわざ自分から魔法使いを選ぶ名無しの気持ちが甚爾には全く理解できなかった。


「名無しね、たくさんの人に笑っててほしいの。おばあちゃんも、お父さんも、お母さんも、おーじにも。魔法使いならそれができるでしょ?」


純粋な子供らしい無垢な笑顔で告げた言葉を聞いて、甚爾は一瞬目を見開いたがすぐにいつもの死んだ魚のような目に戻った。恐らく目の前の幼女はまだ自分の父親と母親が殺されたことを知らされていないのだろう。貧乏くじを望んで引いてまで幸せにしたいと願った人間がすでに死んでいると知ったらコイツは一体どんな顔をするのだろうか。純粋無垢なその顔はどんな風に歪むのだろうか。と少し興味が沸いたが、別にそれは今じゃなくていい。と思い甚爾は口を閉じた。


「お前、ぜってー、合コンでずっと席の端でドリンク注文してるタイプの女だわ」
「ん?」
「なんでもねぇよ」


言葉の意味が理解できず首を傾げている名無しの乱れた浴衣に触れた甚爾は綺麗に直した。その際にちらっと見えた年齢にそぐわない少し膨らんだ胸を見て、甚爾は「将来有望だな」と口にしたが、この時の名無しはその言葉の意味が全く理解できなかった。


「お前、そろそろ寝ろよ」
「でも、時計の長い棒が一番上にいったら、おーじ帰っちゃうんでしょ?」
「シンデレラじゃねぇよ」


その後、何度甚爾が寝ろ。と促しても興奮状態で中々寝ない名無しを寝かせるために甚爾は一緒に名無しの部屋へ行き、「おーじも一緒に寝よ」と名無しに誘われるまま布団の中に入った。


「おーじの目は綺麗だね。飴玉みたい」
「おい、さっさと寝ろよ」
「名無しね、桃味の飴が一番好き」
「人の話を聞け」


甚爾が、はぁ・・・・。とため息とついて名無しに背を向けて目を閉じると、名無しは「おーじ寝るの?」と声をかけた。


「あぁ、寝る」
「じゃあ、おーじのために名無しお歌うたうね」
「は?歌?」
「うん」


そう言って名無しは、自分に背を向けた甚爾の正面に移動し寝転んだ。そして、掛け布団の上からぽんぽんと甚爾の体を叩いた。


「ねーんねーん、おこーりーや、おこーろーりーやー」
「・・・・・。」


よく寝れるように。と名無しが歌ったそれは擬音がつくなら、ボヘェ〜ボヘェ〜と表現されるようなひどい歌声だった。甚爾はなるべく心を無にして目を閉じ続けたが、内心、こんなド下手な歌じゃ寝れねぇよ。と思っていた。だが、寝たふりを続けなければ、この呪いの歌は一生終わらないだろう。あまりにもひどいその歌声に思わず眉間に皺が寄りそうになるのを何とか我慢しながら目を閉じ続ければ、数分後に歌がぴたっとやんだ。


「ねた・・・かな・・・・?」


名無しの不安げな声と共に接近してくる気配を感じた甚爾は、規則正しい呼吸を繰り返した。そうすると、名無しは、「やったぁ、寝た!」と小声で嬉しそうに声をあげて、クスクスと笑った。甚爾が自分の歌のおかげで寝たのがよほど嬉しかったのか、何度も甚爾の顔を覗き見た。それを何度も繰り返しているとようやく満足したのか、名無しが立ち上がった気配を甚爾は感じた。やっと終わったか。と気を抜いた瞬間、もう一度名無しが顔を近づけてきた気配を感じた。なんだ?まだ顔を見る気か?と甚爾が思っていると、髪越しにおでこに何かを勢いよく押し当てられた感触がした。ちゅっと音が聞えたそれに動じることなく甚爾は目を閉じたまま規則正しい呼吸を繰り返した。そうすると、「ひゃー」と小声で叫びながら、パタパタと小気味良く足音が響き、部屋から気配が離れていったのを感じた甚爾は目を開いた。


「へったくそ・・・・」


翌朝、祖母に起こされて目覚めた名無しは「なんでこんなとこで寝てるの?」と言う祖母の言葉を聞いて、自分が居間で寝ていたことに気がついた。あれ、なんでだろう。と首を傾げて考えた後、徐々に昨日の記憶を思い出した名無しは興奮ぎみに「昨日ね、王子様が来たの!」と祖母に伝えたが、何故か顔色がとても悪い祖母は口元を押さえて虚ろな目をしながら「さすがに飲み過ぎた・・・・」と台所に行ってしまった。居間を見渡すと昨日出しっぱなしにしていたはずの食器が綺麗になくなっており、机に置いたままの絵本もなくなっていた。もしかして、あれは夢だったのだろうか?と一瞬思ったが、自分の上にかかっていたタオルケットを見て「あ・・・・・」と声が出た。逃げるように自室から飛び出した名無しは部屋から何も持ってこずに居間で寝ていた。しかし、その自分の上にはいつも使っているタオルケットがかかっていた。それに気づいた名無しはやっぱりあれは夢じゃなかったんだ。と、嬉しそうにタオルケットを握り締めて微笑んだ。


********


「なんだそれ、ただの不審者じゃねぇか」
「ち、違います。王子様です」


心霊スポットの巡回の任務を終えた2人は、五条に高専でお取り寄せしたモツ鍋を食べよう。と誘われ、補助監督が運転する車に乗って高専に向かっていた。道中、車内が終始無言なことを気にして、今日初めて2人の担当になった新人の補助監督の女性が気を使って恋バナでもして盛り上がろう。と2人に話しを振ったが、恋愛のれの字もない伏黒と、一応五条の婚約者ではあるが、あれを恋と言っていいのだろうか?と悩んだ結果、伏黒同様恋愛のれの字もなくなってしまった名無しの2人に見事撃沈し、「ほら、会いたいと思ってる人とかいないんですか?」と、それはもう恋愛とか関係ないだろう。という範囲の質問をし始め、会いたい人なら。と名無しが話し始めたのが3歳の時に出会った『おーじ』という名前の人物の話だった。
小さい時の思い出ということもあり、所処美化されていたり、自分にとって都合の良い部分しか覚えていなかったりするためとても良い話のように名無しは話していたが、伏黒からすれば不法侵入した上に夜遅い時間に保護者不在だと知った上で家の中に上がりこんだ不審者にしか思えなかった。


「私、いつかまたその方とお会いしたいんです」


嬉しそうに頬を少し赤らめながら言う名無しを横目でちらっと見た伏黒は窓の外に視線をそらした。


「それ絶対恋ですよ!間違いなく恋です!・・・・・あ、すみません。なんでもないです」


やっと恋バナができた。と嬉しくなった補助監督の女性が一人テンションを上げて喜んでいると、バックミラー越しに伏黒に鋭い視線を向けられ、不自然なほど急にスンっと大人しくなった。


「コイツはただでさえ騙されやすいので囃し立てないでください」
「すみません」


そんな危険な男と名無しが再会してめんどうごとに巻き込まれでもすれば大変なことになる。と思った伏黒は、自分の心労のためにも名無しとその男が二度と会わないように。と心の中で祈った。


「どうかしましたか、伏黒さん」
「なんでもねぇよ」


急に自分の顔をじっと見つめ始めた伏黒に気づいた名無しが伏黒に微笑みながら問いかけると、伏黒はまた窓の外に視線をそらした。これはあくまでめんどうごとに巻き込まれないために祈ってるだけで他意はない。妙に胸の辺りがモヤモヤするのも気のせいだ。と自分に言い聞かせて・・・・





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