「大丈夫か?!」
「はい、助かりました。ありがとうございます」


伏黒の横まで無事逃げ切ることができた名無しは、さっきまで自分がいた壁に飛んできたロッカーが突き刺さっているのを見て、あのまま自分があそこから逃げられずにいたら・・・・と、血の気が引いていた。


「名無し。あの呪霊が吐き出す液体は恐らく指定した場所に指定した物をくっつける効果がある。黒い液体がかかった場所に、白い液体がかかった物が強制的にくっつけられる」
「なるほど」


蝦蟇の時も自分の時も同じように黒い液体がかかった場所に白い液体をかけられた自分たちが壁にくっつけられたため、伏黒のその仮説で間違いないだろう。と名無しは思った。


「しかも、それにくっついた式神は術式が解除できねぇみたいだ」


あの後何度も術式の解除を試みている伏黒は未だにあの場所にくっついたままの蝦蟇を見て名無しにそのことを伝えた。


「今使用できる式神は同時に2体までしか出せねぇ。つまり、出せるのはあと1体だ。だけど、その式神もあれに捕まったらそれ以上はもう出せねぇ」
「・・・・わかりました。では、私が囮になるので」
「ダメだ」
「えっ」
「もうそんなことしねぇ。って約束しただろ」
「・・・あっ」


名無しが以前廃ビルで伏黒をかばって死にかけた時に、もうこんなことはしない。と伏黒と約束したことを思い出した。


「お前に絶対そんなことはさせねぇ」
「でもっ」


現実的に今の状況を考えると名無しが囮になって引きつけている間に伏黒が式神を出して祓うのが一番いい案だと名無しは思った。もし、2体ともあの液体でくっつけられれば伏黒の術式は使えなくなる。まだ、名無しが祓う。という案が残っているが、日中帯のこの環境では名無しのあの術式は使用できない。完全に詰んでしまう。


「とにかくお前はあそこに落ちてる自分の呪具を持って一番遠くまで離れろ。俺はあの呪霊の気を引きつけて隙をみて玉犬を召喚して祓う。いいな」
「・・・・はい。わかりました」


今のこの状況では自分が下手に動いた方が伏黒に迷惑がかかる。と理解している名無しはすぐに首を縦に振った。とにかく今自分ができることは、伏黒があの呪霊に集中できる環境を作ることだ。と、名無しは、すぐに呪具が落ちている場所に向かって走り、伏黒もそれを見て呪霊の方に向かって走った。
今までのパターンから考えると、黒の液体で場所を指定した後に、白の液体で対象物を指定するため、黒→白の順番で液体が吐き出される。今まで連続して同じ色の液体を吐き出していないのと、液体がついた直後にしか物体が動いていないことから考えて、恐らくあの液体は1セットでしか効果をあらわさない。だから、今まで吐き出された液体は次から吐き出される液体とはセットで使用はできない。あくまで仮定ではあるが伏黒はあの呪霊の術式を自分なりにそう分析した。もしかしたらその分析は間違っているかもしれないが、自分に残された手を考えると今はそう考えて行動するしかなかった。
今まで左の筒からは黒い液体、右の筒からは白い液体しかでてきていない。そして、あの筒は吐き出す直前に膨らむ。だから、いつ吐き出されるかのタイミングはわかる。あとは、あの液体がかからないように近づき液体を吐き出した直後に式神を召喚して祓う。そうすれば次の液体が吐き出される前に間に合う。これで大丈夫だ。と頭の中で考えながら伏黒は徐々に呪霊との距離を詰めていった。最後に出したのは名無しに向かってロッカーを当てるために吐き出した白い液体だ。次は、黒の液体が吐き出されるはずだから、今は突っ込んで行っても問題はない。その次の白い液体が吐き出される前に祓えばいい。と、伏黒が呪霊に向かって突っ込んでいくと・・・・


「っ!」


何故か、白い液体が吐き出される右の筒が膨らんだ・・・・。なんでだ?と伏黒は驚き一瞬思考が停止した。もしかして自分の仮定が間違っていたのか?同じ色の液体を連続して出せるのか?いや、それだと白い液体が出せたとしてもくっつける場所がまだ指定されていない。もしかしてその考え自体も間違ってるのか?白と黒の液体が1セットというのは間違ってないが、1セットであればどちらの色の液体も同じ効果を発揮させられるのか?と、考えながらも飛んできた液体を反射的に右に飛んで避けたが白い液体が左手にかかってしまった。それを見て、白い液体がかかったがまだ場所を指定されていないから大丈夫だ。と、伏黒が安心した瞬間、左手が思い切り後ろに引っ張られた。


「っく!なんだ!?」


まだ場所が指定されていないはずなのに左手を引っ張られている状況にまた伏黒の頭の中は混乱した。まさか、今まで吐き出した液体もまだ効果が残っているのか?!と、考えながら自分の手が引っ張られている方向に視線を向けると・・・・


「伏黒さん!?」


呪具を手に取った名無しの姿があった・・・・。すさまじい勢いで名無しに接近する中、伏黒は名無しの持っている呪具の持ち手が黒く汚れていることに気がついた。なぜ呪具に黒い液体が?いつだ?とさっきまでの自分たちの行動を思い返していると、名無しと合流した時に呪霊から少しの間目を離したことを思い出した。あの時か!と気づいた瞬間、伏黒は引っ張られる勢いに抵抗するように背を向けて足を引きずっていた体勢をやめて両手を広げて名無しの方に体を向けた。


「きゃあ!」
「っう!」


名無しにぶつかる瞬間に右手で名無しの体を抱きしめ、ぶつかった勢いのまま床に倒れたが、伏黒は自分が下敷きになるよう受身をとった。


「いたたたた・・・・」
「名無し!大丈夫か?!」
「は、はい。なんとか・・・・伏黒さん一体どうなさったんですか?」


急に自分に向かって突っ込んできた伏黒に未だ状況が理解できてない名無しは困惑した表情を見せた。ぶつかって倒れた拍子にボタンが数個外れたワイシャツから自分の胸板に押しつぶされている名無しの豊満な胸や谷間がくっきりと見え、伏黒は瞬時に視線をそらした。


「俺の手に白い液体をかけられた」
「白い液体ですか?じゃあ、黒い液体はどこに?」
「さっき目を離した隙にお前の呪具の持ち手に黒い液体をかけられたみてぇだ」
「えっ?!」
「それが、お前の手についてこうなった」
「へっ?」


伏黒はくっついた自分の手と名無しの手を持ち上げて名無しに見せた。見事なまでにぴったりくっついている自分たちの手を見て名無しは大きく目を見開いた。
さっきまでの伏黒の考えだと白い液体がかかった伏黒の手は名無しの呪具とくっつくはずだが、今、伏黒の手は呪具についた黒い液体に触れた名無しの手とくっついている。つまり、あの液体はくっつく前であれば液体がついたものならなんでも対象物として指定できるということだ。思っていた以上にやっかいな術式に伏黒は頭を悩ました。しかも、このままでは影絵が作れず式神を召喚することもできない。と、完全に詰んだ状況に内心ため息が止まらなかった。


「とにかく外に出るぞっ!」


視界の端のいる呪霊の左の筒が膨らむのが見えた伏黒は空いてる右手を名無しの腰に回し体を引き上げて急いで立ち上がった。


「は、はい!」


伏黒に体を抱き上げられた名無しは伏黒に身をゆだね、引っ張られるがままに足を動かした。今自分たちがいる場所とは反対側にあるドアに向かって走り出すと・・・・呪霊がドアの方を向くのが見えた。


「やっぱりあの呪霊言葉を理解してやがる」


さっき壁にくっついていた名無しに伏黒が上着を脱いで逃げろ。と声をかけた時も、即座に攻撃対象を名無しに移していた。人の言葉を理解していなければあんな動きはしない。あの時はそれも憶測でしかなかったが、今の呪霊の行動を見てそれは確信に変わった。
名無しは瞬時に持っている呪具に呪力を込めて鈴を鳴らすと呪霊の動きが止まったが、その前に吐き出された黒い液体はドアにべったりとかかった。それでも白い液体がかかる前にあのドアから外に出れば大丈夫だ。と、呪霊の動きに注意しながらドアに向かって一直線に足を進めてドアの取っ手を掴んだ。伏黒はすぐに取っ手を回したが鍵がかかっており扉が開かなかった。


「くそっ!」
「まかせてください!」


名無しが持っている呪具を振り上げてドアを破壊しようとした。その時・・・・


「名無し!」


視界の端で小さな丸い何かが名無しに向かって飛んでくるのが見えた伏黒は名無しを抱き込みながら空いている手でその小さな何かを払いのけるとテニスボールが床に落ちた。今までロッカーのような大きなものばかり飛ばしてきていたのに、なんで急にボールなんかを?と、伏黒が疑問に思っていると視界の端にまた何かが飛んでくるのが見えた。なぜだ?だって、今白い液体がかけられたボールが飛んできたばかり・・・・と、伏黒は床に落ちているボールを見た。


「っ!」


ボールに白い液体と一緒に少量の黒い液体がついていることに気づいた伏黒はすぐにさっきあのボールを払いのけた自分の手を確認するとそこには黒い液体がついていた・・・・。今自分に向かって飛んできているこの部屋で一番大きい金庫のようなものを見ながら伏黒は冷静に、まずい。と思ったが名無しを後ろに下げる以外の方法が見つからなかった。


「伏黒さん!」
「っ!」


名無しは伏黒の前に立ち、飛んできたものを呪具で殴ったが力が足りず軌道を少しかえただけのそれは・・・・


「っく!」
「名無し!」


伏黒の前に立つ名無しの頭に当たった・・・・。名無しが間に入って当たったことでぶつかる衝撃が緩和された金属製の大きな箱は床に落ちる直前に伏黒の手にくっつき、その重みに体を引っ張られた伏黒は名無しを抱えたまま床に倒れた。


「名無し!名無し!」


自分の腕の中で頭から流血し頬を通り顎からポタポタと血を流している名無しの名前を伏黒が懸命に呼び続けたが、名無しの目は開かなかった。早く止血しないと。と伏黒は思ったが、片手は名無しの手と繋がっており、もう片方の手は今飛んできた金属製の大きな箱とくっついているため何もすることができなかった。


「くそっ!・・・・っ!」


その間に部屋の真ん中にいたはずの呪霊はゆっくりと2人に近づいてきていた。もうなす術がないと思った伏黒はすぐ近くまできている呪霊をじっと見つめた。


「悪かったな、名無し」


最悪自分が逃げれなかったとしても名無しだけはなんとしてでもここから逃がしたい。と考えていた伏黒はそれが叶わなくなり謝罪の言葉を口にした。すると、絡み合うように繋がっている手がわずかに動くのを伏黒は感じた。思わずその手に視線を向けると、名無しの手がゆっくりと動いているのが見えた。それを見て声をかけようとしたが自分の腕にもたれかかっている名無しの顔が、まるで、ダメだ。というように横に少しだけ動いたのが感触でわかり開いた口を閉じた。名無しが何か考えている。ということがわかった伏黒はそれを感じ取ることだけに意識を集中させた。名無しが絡み合っていた指を外し手の平を少しずつスライドさせた。そして、その手が伏黒の親指の付け根を握った瞬間、伏黒はそれが何か気づいた。


「『玉犬』!」


影から現れた玉犬【白】は伏黒の目の前まで近づいてきていた呪霊に向かって大きな口を開きながら飛びかかった。


「ギャガガガァ!」


玉犬に頭から生えている筒を片方ちぎり取られた呪霊は苦しげな声を出しながら体を後ろに倒すと、術式が解けて両手が軽くなったのを伏黒は感じた。ずっと壁に捕らわれたままだった蝦蟇が床に落ちるのを見て蝦蟇の術式を解除した伏黒はすぐに両手をかまえた。


「『鵺』!」


伏黒に召喚された鵺が玉犬によって未だに床に倒されたままでいる呪霊に体毛に電気をまとった状態で体当たりをすれば呪霊はまた苦しげな声をあげながら姿を消滅させた。


「はぁ・・・・」


その光景を見た伏黒は安心したように息をはいた。そして、すぐにさっきまで自分の腕の中にいた名無しに視線を向けた。


「名無し!大丈夫か?」
「はい・・・・」


血が流れているため片目が開けないでいる名無しはもう片方の目だけを開きながら伏黒に返事をした。その痛々しい姿に伏黒は思わず眉間に皺を寄せながら、はだけたワイシャツからくっきりと見える谷間を隠すために自分の着ている上着を脱ぎ前からかぶせると、ワイシャツのことに気づいていないのか名無しは少し首をかしげた。


「俺をかばうな。って言っただろ」
「すみません。咄嗟に体が動いてしまいました」
「ったく。すぐに家入さんの所に連れて行ってやるからそれまでちゃんと持ちこたえろよ」
「はい」


ちゃんとした受け答えができているが、出血量や当たった部分から考えるにいつ意識を失ってもおかしくない。と思った伏黒はすぐに伊地知の所に連れて行くためになるべく名無しの体を揺らさないように慎重に名無しの腕を自分の肩に回して持ち上げた。


「無事祓えてよかったです」
「しゃべらなくていい」


呪力で自分の体を守ることがまだできない名無しがあの攻撃を受けて平気なわけがない。きっと今も自分を気遣って無理に言葉を発しているのだろう。と思った伏黒はしゃべらなくていい。とだけ伝えた。だけど、そんな中でもこれだけは名無しに伝えたい。と思い口を開いた。


「よくあの方法に気づいたな。おかげで助かった」


自分以外の手を使って式神を召喚したことがなかった伏黒は、自分と伏黒の手を使って影絵を作る方法を思いついた名無しのこと感心した。


「はい、伏黒さんが教えてくださったおかげです」


名無しのその言葉を聞いた伏黒は、教えた?と、疑問に思ったが、ふと、ここに来る前の高専での出来事を思い出した。


「あの時の・・・・」


名無しが間違った手の形をしながら「玉犬!」と自分の真似をしていた時に、違う。と手の形を修正したことを思い出した伏黒は、抱えている名無しの顔を見ると、伏黒と目が合った名無しは血だらけの顔で力なく笑った。


「今度、他の影絵も教えてくださいね」
「めんどくせぇ」
「えぇ!」





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