この日、伏黒は高専からとある心霊スポットの巡回の任務を依頼されていた。そこは昼夜問わず怪奇現象が起きる場所で、学校帰りにでも見てきて欲しい。とのことで放課後はその予定が入っていた。教室の掃除当番だったためゴミ箱を焼却炉へと運んでいると近くからなんとも下品な笑い声が聞えてきて、伏黒は思わず眉間に皺を寄せた。


「あれぜってぇ挟めるって!」
「お前、俺の貸したAVの見すぎだって!でも、あれはたしかにできそうだよな!服の上からでもわかる」
「やっぱ声かけて見るかな。あぁいう大人しそうなのって押せば断らないだろ」
「お前、ああいう地味な子でもいいのかよ」
「わかってねぇな。大事なのは顔じゃねぇんだよ、胸!胸の大きさ」
「お前、最低だな」
「まだいるんじゃね?誰か待ってるっぽかったし」


伏黒の存在に気づいてないのか、遠くまで響き渡る声でゲラゲラと笑いながら話す声に思わず持ってるゴミ箱をぶつけたくなったが、実際に嫌がっている女子に声をかけている現場に遭遇したなら止めに入るが、まだするかどうかもわかっていない状態で、やめろ。と声をかけるほどの正義感は伏黒にはなかった。よって、我関せず。と言った様子で、ゴミ箱の中身を焼却炉に捨ててその場から離れようとしていた。


「おーい、お前らここにいたのかよ」
「お前、どこ行ってたんだよ」
「3年の居抜さんのとこ。釣れそうな女の子いるってタレこんできた」
「はぁ?お前何してんだよ。俺が声かけようと思ってたのに」


居抜。という名前を聞いて、伏黒の頭には隣のクラスにいる不良グループのリーダー格の顔がぱっと浮かんだ。まぁ、この男も例により入学早々伏黒にボコボコにされている。それ以降、伏黒の前では大人しくしているが、裏では手下を引き連れて先輩ずらしているようだ。居抜が出てくるとなると少々やっかいなことになりそうだな。と伏黒は思っていた。


「つーか、あの制服どこのだろうな?なんか、黒っぽい堅苦しそうな服だったよな」
「さっき、ちらっと見たけど変な模様のボタンついてた。うずまきっぽいやつ」
「どっかのお嬢様学校だったりしてな」


黒っぽい制服でうずまきのボタンがついている。その情報を聞いて、その制服に見覚えがある伏黒の脳内に一つの学校名が浮かんだ。さっき聞えてきた特徴が当てはまるかどうかは考えたくもないが、もしかして・・・・と、ある人物が頭をよぎった。


「おい」
「あ?・・・っは!伏黒さん!お疲れ様です!」


伏黒が声をかけると、さっきまで楽しそうに声をあげながら話していた男子生徒が一斉に90度に腰を曲げて頭を下げた。


「そいつどこにいる」
「えっ?」
「その変わった制服を着た奴どこにいる」
「えっと、校門の前にいます」
「そうか。お前、これ俺の教室に戻して俺の鞄持ってこい」
「はい!わかりました!」


伏黒は持っていたゴミ箱を一人の男に渡して鞄を持ってくるように命令した後、その足で校門に向かった。焼却炉からはそれほど距離が離れていないため、すぐに校門に辿り着くと、案の定思い浮かべてた人物がそこにいた。後ろ姿しか確認できていないが間違いないだろう。頭をきょろきょろと動かして居心地悪そうにその場にいる様子を見て足を速めた。すると、そんな彼女に一人の男が近づいてきた。居抜だ。


「ねぇ、誰か待ってるの?彼氏?」
「あ、いえ・・・その・・・」
「待ってる間ちょっとでいいからあっちで話そうよ」
「あの!ここにいないとダメなんです」
「ちょっと離れるだけだから大丈夫だって」
「でもっ!」
「おい」
「・・・ふ、伏黒?!な、なんもしてねぇって」


突然後ろから声をかけてきた伏黒を見て、居抜は反射的に両手を上にあげて何もしていません!とアピールした。


「あ、伏黒さん。よかった、お会いできました」
「えっ?もしかして、伏黒と知り合い?」


名無しは伏黒の姿を見て安心したように顔を緩ませ、居抜はまるで信じられないものを見るような目でそんな名無しの顔を見て伏黒との繋がりを確認した。関係性によってはこの場で死を覚悟しなければいけない。と内心恐怖を感じていた。


「あ、はい」
「ひいいい!」
「で、こいつに何の用だ」


さっき聞えてきた男子生徒の会話もあり、伏黒は若干イライラしていた。さっきも言った通り、伏黒は自分の目の前で起きていなければ、不快感はあるものの誰がどこでナンパされていようが基本的にはどうでもいいタイプだ。しかし、それはあくまでなんの関係もない人物の場合だ。知り合い、それも教育係を引き受けた人物とあれば腹を立てる理由としては十分すぎた。


「何の用だって聞いてんだよ」
「お、お前の知り合いって知らなかったんだって!悪かった!ごめんな!」


イライラがオーラに溢れ出ていたのか、何かを感じた居抜はすぐに謝罪して逃げるようにその場を去って行った。「はー・・・」と伏黒が一つため息をつくと、「あの」と控えめに声をかけられた。


「なんでここにいんだよ」
「えっと、今日の『あれ』を伏黒さんと一緒に行ってくるように悟さんに言われて」


周りにまだ生徒が歩いていることから、名無しなりに気を使って任務のことを伏せながら伏黒に話した。


「一人でここまできたのか?」
「いえ、伊地知さんに送っていただきました」
「伊地知さんに?」


それなら自分にその連絡がないのはおかしい。と伏黒は思った。授業終わりに携帯を確認したが誰からも任務に関する連絡は届いていなかった。補助監督の中でも人一倍気が利く彼のことだ、知っていたら絶対に伏黒に連絡をするはずだ。と思ったが、その疑問はすぐに解決した。


「悟さんから連絡いってませんか?」
「五条さんから?」
「はい。悟さんが、僕から連絡するから連絡しなくていいからね。って伊地知さんに言ってましたよ」
「あの人・・・・」


全てを察した伏黒は頭を抱えた。絶対にわざとやった。恐らく突然現れた名無しに困惑する自分を面白がるためだろう。と、伏黒は自然と握り締めた拳を叩きつけたい衝動にかられたが、いつものことだ。と自分を納得させた。


「やっぱりご迷惑でしたよね。すみません」
「別に名無しのせいじゃねぇだろ。謝るな」


伏黒の反応を見て自分が突然来たから怒っていると勘違いしている名無しに伏黒はなるべく穏やかな声でそうではないことを伝えた。


「伏黒さん!持ってきました」
「あぁ。悪ぃな」


先ほど伏黒が鞄を持ってくるように指示した男子生徒が鞄を持って全力疾走で2人の元に現れた。


「いいんです!伏黒さんのお役に立てたならよかったっス!」
「あぁ」
「ついでに靴も持ってきました!」
「あぁ、じゃあ、これ戻しとけ」
「はい!」


男子生徒が鞄と一緒に持ってきた外靴に履き替えた伏黒はそのまま履いていた中靴を流れるように男子生徒に渡した。伏黒にとってはなんてことない光景かもしれないが、その光景を初めて見る名無しのまばたきの回数は自然多くなった。


「あの・・・・さっきはすみませんでした!伏黒さんのお知り合いとは知らず、胸がっぐは!」
「ふ、伏黒さん?!」


胸が。の時点で何か余計なことを言いそうな気配を瞬時に察した伏黒は言葉の続きを言わせないために殴って黙らせた。しかし、そんなことを一切知らない名無しは伏黒に対して何かの謝罪をした男子生徒の頭を突然伏黒が殴った。と思い、驚きの声をあげて目を見開いた。今のどこに殴るポイントが?!と、頭の中は混乱状態だ。その光景に完全にビビリスイッチが入った名無しは体をガタガタと震わせた。


「名無し。行くぞ」


そんな名無しの様子に気づいていない伏黒は学校を背に歩き始めたが、後ろについてくる気配を感じないため、首だけを後ろに向けると、焦点が合ってない目をした名無しが体を固まらせたままさっきと同じ場所に立っていた。


「おい、名無し。行くぞ」
「は、はい!」


返事だけは大きいが、未だにビビリモードに入ったままの名無しの足はまるで地面にくっついたかのように一歩も前に動いていなかった。名無し一人で校門の前に立っていた時から、異質な存在を見るために色んな所から遠巻きに様子を伺う野次馬がたくさんいたが、学校一の不良生徒の伏黒も現れてからはその数が更に増えた。窓から様子を見ている者も多いため、教師たちが来る前に一刻も早くこの場から伏黒は立ち去りたかった。それゆえ・・・


「ほら、さっさと行くぞ!」
「っ!」


名無しの前まで戻ってきた伏黒は名無しの右手首を掴みひっぱった。その光景に女子生徒からは騒音レベルの黄色い悲鳴があがった。学校一の問題児である伏黒だが、愛想が無い・言葉数が少ない以外は、世の男子全員が羨むほど容姿・学力・運動神経など全てにおいて完璧以外のなにものでもなく、叶わない思いだとわかっていながらも密かに思いを寄せる女子生徒は数多くいた。そんな一見彼女なんて選り取り見取りの伏黒だが、今まで女の子との浮いた話等一切なく、姉である津美紀とその友人以外の女子と会話している姿を周囲の人間は見たことがなかったため、今目にしている光景に女子たちは、いろんな意味で卒倒していた。そんな突然阿鼻叫喚と化した空間に名無しは「えっ?えっ?」とわけがわからず慌てたが、その場から一刻も早く離れたい伏黒はそんなことはお構いなしに名無しの手首を掴んだまま歩き続けた。


「伏黒さん。あの・・・・やっぱり怒ってますか?」


学校から少し離れた場所まで辿り着くと、恐る恐ると言った様子で名無しは伏黒に声をかけた。


「別に怒ってねぇよ」


その言葉を聞いて伏黒も掴んでいた手をすっと離した。どことなく気まずさを感じた伏黒は何も言葉を発さなくなった。そういえば、こうして名無しと会うのは名無しの初任務以来だ。と伏黒はこの時に気づいた。高専に着いた後も名無しは目を覚まさず、家入さんの治療を受けたあとそのまま医務室で眠っていた。一方、伏黒はというと、宣言通り五条よりもたくさん肉を食べ、「ねぇ、取り寄せたの僕なんだけど、なんで恵の方が食べてるの?」と、文句を言われながらお腹がはちきれる寸前まで食べ続けた。


「伏黒さん、その・・・・先日はっ」
「その話はもういい。目的の3級呪霊は俺がちゃんと祓った。任務はちゃんと成功してる。それだけで十分だ」
「はい・・・・すみません・・・・」


先日の任務のことを思い出したのと同時に、伏黒に怒鳴られたことも思い出した名無しは地面の視線を向けた。3級呪霊をちゃんと祓えたからいい。と伏黒は言うが、あの時、ワガママを言って足を引っ張って迷惑をかけたのは事実だ。ちゃんとそのことも謝らなければいけない。と、地面を見つめていた名無しは顔を上げて伏黒の顔を見つめた。


「あのっ」
「怒鳴って悪かった」
「えっ」
「五条さんからお前の話を聞いた・・・」
「私の話をですか?」
「あぁ。この前の帰りに、お前の子供の時の話とか、神様に取り憑かれた経緯とか色々聞いた。だから、お前がなんで俺を避けてたのかもわかった」
「そうですか」
「嫌じゃねぇのか?」


話を聞いた後にこんな質問するのは間違ってるとわかっていながらも、伏黒はどうしてもその質問をしてしまった。自分だったら自分のいない場所で誰かが勝手に自分の過去を不躾に赤の他人に話すのは嫌だ。と思ったからだ。しかし、名無しはまるでなんてことないように「そうですか」と答えた。この善人は本当に何も思わないのだろうか?と伏黒は内心首を傾げた。


「聞いた方が不快に思わないなら私は何の問題もないです」
「そうか」
「それにあの時伏黒さんがおっしゃったことは何も間違っていません。守っていただいてる身であんな自分勝手なことを言った私が悪いんです」
「でも、俺を『不幸』に巻き込まないように。考えて言ったんだろ?」
「そうですけど、それは自分のためです。自分の心が傷つかないように言ったんです。だから、やっぱりあれは私が悪いです」


笑顔でそう言う名無しを見て、やっぱりこいつは善人だ。と伏黒は改めて思った。それと同時に呪術師に向いてないとも思った。


「そういえば、今日は神様連れてきてねぇのか?」


名無しの周りに神様がいないのを見て伏黒は名無しに尋ねた。神様の体を覆っている瘴気は広範囲に広がっているため、どこかの陰に隠れていない限りその姿が見えないことはない。


「はい。悟さんが一緒にいるなら大丈夫ですが、人が多い所はまだ少し怖いので、今日は寮でお留守番です」


神様に関してはまだ不明瞭な部分が多く、扱いについても細心の注意が必要である。そのため、五条が一緒にいる時は連れて歩けるが、一人またはその他の人と外に出る時はなるべく寮に置いてくるようにしている。


「そうか」
「そういえば、悟さんから心霊スポットに行くことは聞いてるのですが、何しに行くんですか?」
「お前、その情報だけでよく来たな」
「あ、なんというか・・・そのことを聞いた時にはすでに車に乗せられていたと言いますか・・・」


名無しがなにやら言いにくそうに話すのを聞いた伏黒は、なんとなくその時の状況を察した。つまり無理矢理連れてこられたのだろう。


「心霊スポットとかは学校とかと同じで呪いが溜まりやすいんだ、だから高専関係者が定期的に巡回してる」
「なるほど。ちなみに今日はどちらに?」
「公園と、駅の近くにある廃ビル。両方とも大して距離は離れてねぇから歩いて行く」
「公園ですか?」
「あぁ、普段普通に使われてる公園だが、ちょくちょく幽霊を見たって噂が出てる。昼夜関係なく見た人がいるから、これからそこに向かう。その後に行く廃ビルは、最近有名な動画配信者がそこで撮影した動画を投稿してちょっとした話題になってる。こっちは少し注意した方がいいだろうな」
「わかりました」


伏黒が携帯電話のマップ機能で目的地までの経路を画面に表示させながら公園に向かって歩き、その後ろを名無しがついて歩いていると、ずっと前か携帯電話の画面しか見ていなかった伏黒がちらっと名無しの顔を見て口を開いた。


「連絡先」
「えっ?」
「連絡先教えろ。これからもこうやって突然お前が来ることありそうだし、その方が便利だろ」
「えっと、電話番号でしょうか?」
「それも。ショートメールだと一回に送れる文字制限あってめんどうだから、LIMEのIDも教えろ」
「あ、あの・・・・」


伏黒が連絡先を聞くと突然またおどおどし始めた名無しを見て、伏黒は眉間に皺を寄せた。


「他意はねぇよ。任務で使うから教えろって言ってるだけだ。どうしても嫌ならいい」
「いえ、そうではなくて・・・・」
「じゃあ、なんだ?」
「あの、私、LIMEやってないんです。というか、アプリができない携帯で・・・」
「は?」


今時の携帯でアプリが落とせないなんてことあるのか?と伏黒は首を傾げた。そして、ある可能性に気づいた。そうか、名無しは折りたたみ式の携帯なのか。と。たしかに、画面をタッチするという動作が苦手な人が未だに折りたたみ式の携帯を愛用している情報は伏黒も聞いたことがあった。恐らく名無しもそうなのだろう。と思った。だから、名無しがリュックの中に入れているポーチの中から取り出したものを見て驚いた。確かに名無しの手に握られている携帯電話は折りたたみ式のものだった。しかし、妙に丸くて小さいその機械からは先端に指をひっかける輪がついた紐が伸びていた。自分も幼い時から携帯電話を持っていたが、これは使ったことがなかったため、こういうものがある。という知識しかなかった。だから、この時、伏黒は初めて実物を見た。


「・・・・キッズ携帯か?」
「はい。そうです」


「昔、悟さんからいただいたんです。すごく便利で」と、どこか嬉しそうに話す名無しに伏黒はなんと声をかけていいかわからず、「そうか」とだけ答えた。


「ここの横のボタンを押すとすぐに悟さんや伊地知さんに連絡ができます!」
「・・・・そうか」

登録していたり、履歴が残っていれば他の携帯でもそうだ。と思った伏黒だが、それは口にしなかった。


「あと、防犯ブザーもついているので、なにかあっても安心です」
「・・・・そうか」


リュックの中にあるポーチに後生大事にしまっているのに、いざという時に瞬時に使えるのだろうか。と疑問に思ったがそれも口にしなかった。


「俺の連絡先はこれな」
「えっと、あの・・・・」
「どうした?」


さっきまで笑顔でキッズ携帯の便利さについて話していたというのに、伏黒がスマホの画面に自分の連絡先を表示した瞬間、名無しは顔色を曇らせた。


「あの・・・登録の仕方がわからなくて」


今まで名無しの携帯電話に連絡先を登録する時は、教えてくれた人に自ら登録してもらっていたため、操作方法を知らない名無しは苦笑いを浮かべながら伏黒の顔を見た。


「なんだ、そんなことか。貸せよ」


そう言って伏黒は名無しの携帯電話を受け取りボタンを押した瞬間、眉間に皺を寄せた。


「なぁ、名無し。この待ち受け画面」
「はい。悟さんの自撮り画像です」


携帯電話の画面に映った決め顔をしている五条の写真を見て、伏黒は、一度携帯電話をパタンと閉じた。その様子を見て、訳がわかっていない名無しは「えっ?えっ?」と、驚きの声を出しながら戸惑った。伏黒は、はぁ・・・・と一度ため息をついた後、もう一度携帯電話を開くとやはりそこにはさっきと同じ画像が表示されていた。なんだこの決め顔は。しかも、いつもは目隠しをしたりサングラスをつけたりして隠している癖に、わざわざそれを取ってウインクまでしている。むかつく。という気持ちを押し殺しながら、伏黒は自分のスマホと名無しの携帯電話を片手ずつに持ち慣れた手つきでお互いの連絡先を登録していた。しかし・・・・


「名無し。このメアド・・・・」
「携帯を買った時に悟さんが決めてくださいました」
「だろうな」


satorukundaisuki1207@〜と表示されたメアドを見て伏黒の表情筋は死んだ。なんだこの恥ずかしいメアドは。そこらへんのバカップルでもこんな恥ずかしいメアドにはしない。と五条に対してバカなんじゃねぇか。という感情がじわじわと広がっていった。連絡先の登録の仕方もわからない名無しがそのメアドを変更できるはずもなく、買った当初からずっとこのメアドのままである。伏黒はこのメアドを自分のスマホに登録するために打つのも嫌だったのに、名無しは嫌じゃないのか?と疑問に思ったが、この善人はそんなこと気にもしないのだろう。と一人で納得した。


「メールは悟さんと伊地知さん以外ではほとんど使うことがないので、誤字が多いかもしれません・・・・」


申し訳なさそうに言う名無しのその言葉を聞いて、伏黒の脳内にはある疑問が浮かんだ。


「幼馴染のやつは?」
「幼馴染?・・・あ、タクミくんですか?タクミくんは家の電話番号を知っているので、用がある時はそっちに連絡してます」
「そうか」


そのことも知ってるんですか?の一言もなく、さらっと答えた名無しに、踏み込んだ質問をしてしまったか?と一瞬心配した伏黒は少し安堵した。『罰』に巻き込まれて大怪我を負い反転術式で怪我を治してもらったことまでは聞いているが、その後のことは何も知らない。


「でも、学校で彼女ができたみたいで、もう連絡してくるな。って言われました」


少しだけ寂しそうに笑う名無しの顔を見て、伏黒は自然と視線を地面に移した。本当に彼女ができたことが理由なのだろうか。いや、恐らくあの一件が原因で2人の関係がこじれたのだろう。と伏黒は察した。寂しそうに笑った名無しにかける言葉が見つからず、何も言わないままお互いの連絡先を登録し終えた携帯電話を名無しの手に返した。


「あ、伏黒さん。公園、あそこでしょうか?」


少し遠くに見える木の看板を見つけた名無しが指を刺しながら一歩前に踏み出した瞬間、「ひゃあ!」という声と共に伏黒の体をドンッ!と強い衝撃が襲った。瞬時に受身を取ろうとしたが、ポケットに入れようとしていた携帯電話をまだ手に持っていることに気づき、そっちを守ることに気を取られて受身を取りきれないまま2人一緒に地面に倒れた。


「いってぇ・・・・」


伏黒は、反射的に頭をぶつけないように倒れたが、一番衝撃が大きかった背中が痛んだ。下腹の辺りに柔らかい感触がして、自分の上に倒れている名無しに視線を向けると、自分の胸下に顔を乗せて倒れている名無しが映った。「うううぅ・・・・すみません・・・」と、謝りながらも倒れた時にどこかぶつけたのか中々起き上がれずにいる名無しが、なんとか起き上がろうと伏黒の上で少し身じろぐと、その度に自分の下腹辺りで柔らかいものが自分の体の形に合わせて押しつぶされる感触が伝わり伏黒は一瞬目を見開いた。すぐに、がばっ!と上半身を起こすと、自分の上に倒れていた名無しはごろん。と地面に転がった。


「・・・・悪ぃ。大丈夫か?」
「・・・・はい。こちらこそ、すみません」


のろのろと体を起こした名無しは、そのまま土下座をして伏黒に謝罪した。伏黒は立ち上がった後に「大丈夫だ。気にするな」と、名無しの腕を掴み上に引き上げると、名無しはゆっくりと立ち上がった。両膝を強くぶつけたようだが、タイツを履いていることもあり、血が出るような怪我はしていなかった。名無しの無事を確認した後、ぶつかった時に何か落ちた音が聞こえた気がした伏黒は、周囲に視線を向けると、ピンク色の小さな機械が少し離れた所に落ちているのが見えた。名無しの携帯電話だ。


「名無し。地面に落としたけど壊れてねぇか?」
「っへ?・・・あ!私の携帯電話!」


落ちていた携帯電話を伏黒が拾い名無しの手に渡すと、名無しはすぐに携帯電話を開いて壊れていないか確認したが、どのボタンを押しても画面が真っ暗なままだった。


「こ、壊れました!」
「見りゃわかる」


外側は落ちた時に下になっていた部分が少し削れていただけだったが、中身は衝撃で損傷したようだ。


「名無し。巡回が終わったらそのまま携帯ショップ行くぞ」
「えっ、でも、これお気に入りで・・・・」
「だから、修理に出しに行くぞ」
「はい!・・・・あ、でも」
「俺が店に連れて行くから大丈夫だ」
「伏黒さん、ありがとうございます」


元はといえば自分が連絡先を交換しよう。と言って後生大事にリュックの中にしまわれていたものを取り出したのが原因だ。と、少し責任を感じた伏黒はちゃんと最後まで面倒を見ようと思った。
リュックの中にしまい、更にポーチの中にまでしまっているのを見た時は、なんでそんな持ち方してるんだ?と疑問でしかなかったが、恐らく彼女はこうやって自分の身に降りかかって来る不幸から身を守っているのだろう。と伏黒は気づいた。ただの能天気な善人だと思っていたが、新しい一面を知った気がした。あと、やっぱりラッキースケベはやっかいだ。と思った。





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