「とりあえず、名無しの生い立ちと、『神様』に取り憑かれた経緯と、なんで呪術師をやってるのかはわかりました」


高専へと向かう車の中で、小一時間かけて名無しの今までの話を聞いた伏黒は、はぁ・・・・と一つため息をつきながらノンストップで話続けた五条にもう十分です。ということを伝えた。


「別に、同情で仲良くして欲しいと思ってこの話をしたわけじゃないから」
「わかってます」
「ただ、恵には名無しのことを勘違いしたままでいて欲しくなかっただけ」


任務後に不穏な雰囲気になっている名無しと伏黒の様子を見て、五条なりに心配をしてあえて名無しの話をしたんだということは伏黒もわかった。この人意外とそういう気遣いとかできるんだな。と感心までしたぐらいだ。


「で、どう?自分よりも不幸な子の生い立ち聞いてちょっと泣けた?」


前言撤回だ。と伏黒はすぐさま思った。10秒前の言葉と気持ちをすぐに返して欲しいと本気で思った。


「別に他人と比べて自分が不幸だ。と思ったことはありません」
「へー。そうなんだ」


自分から話を振った癖に大した反応が返ってこなかったら、興味無さそうに話を終わらせる五条に伏黒は眉間に皺を寄せた。五条が軽く1時間以上かけて話した名無しの話は内容が濃すぎて、正直2時間弱の映画見るより脳が疲れた。と伏黒は感じていた。


「名無しさ、『神様』の瘴気に引き寄せられた負のエネルギーを一身に受けてるんだよね。つまり、不幸を引き寄せやすいの」
「じゃあ、尚更呪術師なんて辞めるべきです。向いてません」
「僕もそう思うよ。ほんと呪術師には不向きだよね」
「わかってるなら」
「できるならとっくにそうしてるよ。でも、家の事情でできないんだよ」
「なんでですか」
「『神様』に取り憑かれた名無しを高専で預かることになった時に、名無しの当主と名無しがやっかいな約束してんの」


伏黒は、名無しが名無しという呪術師の一族の末裔だという話を、会った時に五条から聞かされていた。その時はただの情報として聞いていたが、ただでさえ呪術師にろくな人間がいない中、そんな呪術界に長く身を置く一族がろくでなしだという事は、禪院家とすでに縁を切っている伏黒ですら十分に理解していることだった。そんな一族の当主から提案された内容となれば、ろくな内容ではないだろう。と伏黒は思った。


「やっかいな約束?」
「そう。元々神様が住んでた社がある場所は名無し家の土地で、両面宿儺の呪いのせいで神社として使い物にならなくなった後、人が立ち入れないように立ち入り禁止区域にしてるんだ。名無しは浄化が終わった後、神様を元の場所に還してあげたい。と思っているから、ジジイに立ち入り許可を求めたんだ。そしたら、高専在学中に1級呪術師になれたら、立ち入りの許可どころか『神様』が住んでいた土地を名無しに譲渡する。って条件を出したの」
「無理ですよ」
「だよね。普通ならこんな条件断るよ。だけど、あの名無しだ。二つ返事でOKしてきちゃったってわけ」
「バカなんですか?」


五条悟のような特級呪術師なんていう規格外の等級のものが存在しているから、呪術師の等級に関しての認識がバグるようなことが起きるが、普通は、準1級が等級の頭打ちだ。1級ということはそれ以上になる。そして、その分なるための条件は厳しくなり、なろうと思って簡単になれるものではない。なった後も、1級呪霊というそれ以下の等級とは比べ物にならない規格外の強さの呪霊を祓わなければいけない。1級の呪霊にもなると、強さだけではなく知恵も備わっており、常に残酷な選択を迫ってくる。それに、あの蝿頭すら倒せなかった名無しが4年間で1級を祓えるほどの強さになるイメージがどうしても伏黒には浮かばなかった。


「まぁ、名無し名無しはそういう人間だ。ってこと。だから、どうしても名無しを1級のレベルまで引き上げなきゃいけない」
「五条さんは名無しが1級になれると思ってるんですか?」
「名無しが呪力も術式もちゃんと使いこなせるなら無理な話ではないと思ってるよ。なんたって、腐っても数百年続いてる一族の末裔だからね。歴史が長ければ長い分末代に受け継がれていく術式は磨かれていくから。まぁ、歴史が長い分名無しの術式は呪術界に情報だだ漏れで、対策とかバッチリ立てられちゃってるから、呪術師相手の戦闘はマジで向いてないけどね」
「そういえば、名無しの術式って」


一瞬、この流れで名無しの術式を聞いていいものなのか伏黒は悩んだ。というのも、術式はそれ自体が切り札になっていることもあり、手の内を明かすという意味では、他人どころか仲間にも秘密にしておきたいと思う呪術師も存在するからだ。それを、今、しかも本人からではなく第3者の口から聞いていいものなのか?とも思ったが、その悩みは一瞬で終わり、これだけ赤裸々に生い立ちを聞いたなら術式ぐらいいいだろ。という気持ちに切り替わった。


「あれ、見てないの?」
「見てません。蝿頭すら祓えなかったですし、3級呪霊の時は即気絶だったので。五条さんは見たことあるんですか?名無しの術式」
「いや、ない」
「そうですか」


術式どころか、呪具を扱っているところを少し見た程度だ。あの調子では、そもそも術式が使えるのかすらわからない。果たしてあんな状態の名無しがまともに戦闘できるようになる日がくるのか?と伏黒は一瞬頭を抱えたが、すぐに首を横に振って思考を止めた。


「とりあえず、名無しの経験値を上げないことには1級どころか3級も厳しいから、これからは恵との任務を適度に入れていくからよろしくね」
「わかりました」


今日はたまたま五条の付き添いの元任務を行ったが、日頃全国各地を飛び回っている特級呪術師の五条が今後も毎回任務に付き添うと思えなかった伏黒はあの名無しを一人で何とかしなければいけないのか。と、正直憂鬱な気分になったが、教育係を引き受けた以上、ここで投げ出すようなことはできない。と、覚悟を決めた。


「神様って他の人に取り憑いたりできないんですか?その例の池に入ってるなら五条さんにも取り憑けるんじゃないんですか?」


さっき五条から聞いた名無しの話の中に、神様が名無しに取り憑けたのは神様の通力で満たされた池の水の中に入ったから。という話を思い出して、それなら、同じように池の水の中に入った五条になら取り憑けるのではないか?と伏黒は考えた。名無しの呪力では通力に変換して浄化するのに何十年かかるかもしれないが、五条のような規格外の呪力を持っている人間ならもっと早く終わるのでは?と思っての質問だ。


「いや、なんでもいいわけじゃないよ。名無しはたまたま条件を満たしてただけ」
「そうなんですか」
「もし、憑いた相手が悪い人間だったら、呪って呪霊化させることだって可能だからね。体を共有しているなら尚更その影響は大きい。神様だって取り憑く人間は選ぶってことさ」
「最低限、善人であることが条件ってことですか?」
「まぁ、それは大前提だろうね。一緒に池に落ちたぬいぐるみは、名無しが生まれた時からずっと持ってて名無しの思念がこもってるものだから取り憑く条件を満たしてただけ」


ぬいぐるみや人形は人間の思念がこもりやすい代表物だ。その期間が長ければ長いほど、思念はこもりやすい。名無しのように生まれた時からずっと持っていたものともなると、自分の分身のような存在になっていてもおかしくはない。そのおかげで取り憑く・・・・正確に言えば、触れる存在条件を満たしたというわけだ。


「ただ善人だったらいいって訳じゃないよ。名無しは特に神様好みの体だったんだ」
「神様好み?」
「そう。名無し、処女だから」
「は?!」
「え、もしかして恵、神様が処女好きって知らないの?!恵、知らないの?!」
「でけぇ声で何回も言わないでください!」
「二人とも落ち着いてください。名無しさんが起きちゃうので」


急に場違いの下世話な話をし始めた五条に伏黒は驚き、『処女』という単語を繰り返し言う五条を止めるために大きな声で制止すれば、運転をしている伊地知に注意された。結構な声量だったため、今ので本当に起こしてしまったかもしれない。と伏黒は名無しが寝ている助手席をちらっと覗き見たが、名無しは起きる様子もなくすやすやと眠っていた。もちろん神様も姿を現していないため、狸寝入りをしているわけでもない。


「大丈夫。名無しは一度寝たら中々起きないから」
「起きたとしても、五条さんのせいなので大丈夫です」
「えー。今のは恵のせいでしょ」
「アンタがあんなこと言わなきゃ俺だってあんな声量出しませんでした」
「恵はほんとウブだね。こんなことでそんな慌てるなんて」


完全にからかうモードに入っている五条に伏黒は眉間に皺を寄せた。めんどくさい。このまままともに相手をすれば更にひどいいじり方をしてくるだろう。と、察した伏黒はいちいち反応せず冷静に淡々と返事をして極力黙っていよう。と思った。


「真面目な話。神様は生娘が好きなわけ」
「もうそれはわかりましたよ」


一体何回その話すんだよ。もうわかったよ。と伏黒は窓の外に映る街灯に視線を向けた。


「だから、神様に仕える巫女さんだって本来生娘しかなれなかったの。まぁ、今はそんなルールなくなってると思うけどね。生娘かどうか調べる術もないし」
「その話、そんな掘り下げる必要ありますか?」
「あるある。名無しは今その条件を満たしてるから『神様』が憑いてるけど、その条件が満たさなくなった場合、恐らく名無しは呪力を神様に与えれなくなる。最悪、あの状態の『神様』が力を制御できなくなって暴走したり、消滅したりするとも思ってる」
「それって危険なんじゃ・・・・」


やっと五条が何を言おうとしているのか理解した伏黒は窓の外に向けていた視線を五条に戻した。今までずっと自分をからかうためにあえてその話をし始めた。と思っていた伏黒はようやく五条の話に耳を貸した。


「そう。消滅してくれる分には僕的には万々歳だけど、名無しは望んでないから阻止したいってわけ」
「名無しはそのこと知ってるんですか?」
「もちろん。保健体育の授業もろくに受けてない、赤ちゃんはコウノトリさんが運んできてくれるの〜。って未だに思ってるような子だったから、そこから教えるのは色々と大変だったけどね」
「それってセクハラにならないんですか?」


仮にも教師と生徒の関係だろ。まだ名無しは高専生ではないからギリギリ教師と生徒の関係ではないにせよ、そういうことを教えるのはアウトなのでは?いや、逆に教師と生徒の関係だからこそ、保健体育の授業として知識を教えるのはセーフか。いや、この人がただ単に必要最低限のことだけを教えるとは思えない。やっぱりアウトなのでは。と伏黒は一人考えていた。


「大丈夫でしょ。名無しはまだ高専の生徒じゃないし、なにより僕の婚約者だから」
「そうですけど」


たしかに、婚約者。という関係性なら変なことまで教えてたとしてもセーフか。と一瞬思ったが、ふいに頭の中で、「ひゃ〜!」と顔を赤くさせて本で顔を隠している名無しと、「げへへ〜」とふざけた笑顔を浮かべながら名無しに色んなことを教えている五条の図が浮かび。やっぱりアウトだ。と伏黒は結論を出した。


「あんまり変なことを名無しに教えないで下さい」


いくら婚約者といえど最低限の節度は守れ。と伏黒は五条に顔を軽く睨みつけたが、そんな伏黒の顔を見て五条は、っふ。と軽く笑った。


「さすが名無しのお世話係」
「お世話係じゃないです。教育係です」
「それ言い方の問題なだけで、中身同じだよ?」
「世話と教育では意味が全く違います」
「恵はほんと細かいなー」
「細かくないです」


小指で耳の穴をぽりぽりと掻きながら小煩いといった様子で伏黒の話を聞く五条に伏黒は眉間の皺を深めた。これが仮にも教鞭を執る人間がする反応なのか?と伏黒が不満を感じていると、ふと五条が伏黒の方に顔を向けた。


「恵。名無しのこと頼んだよ」
「わかってますよ。ちゃんと名無しのことは守ります」


五条から一通り名無しの話を聞いた伏黒は自然とその感情が芽生えた。もしかしたら、これが狙いで五条は自分に名無しの話をしたのではないか。とも思ったが、どんな思惑があったにせよ、彼女のことを知ればいずれこう思っていたのではないか。と思う。もちろん命を投げうってまで守る事は望まれていないが、守るべき善人だということは伏黒も理解した。


「あ、言い忘れてたけど、名無しの不幸の中にはラッキースケベも含まれてるから気をつけてね」
「は?」


それならそうと先に言って欲しかった。と、伏黒は思った。




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