私の人生は第3者から見ると恵まれていないらしい。

私は、数百年の歴史をもつ名無し家の末裔としてこの世に生を享けた。しかし、次代当主の父は、正室との間に子をもうける前に使用人との間に子供を作った。それが私だ。私が生まれた後2人は祖母の家の前に私を捨て逃げるように駆け落ちし、殺された。ずっと子供に恵まれず周囲からプレッシャーをかけられていた正室の女性はそれがきっかけで自殺をしたらしい。

祖母は現当主の側室で、子供に恵まれなかった正室の代わりに子供を産み、その子供は正室と当主の子。所謂、嫡男として名無し家で大事に育てられた。用済みとなった側室の祖母は何十年も使われていなかった東京の山奥にある古い別邸にたった一人住んでいた。そこに突然やってきたのが私だ。何も事情を知らなかった私は家に祖母しかいない状況に何の疑問も感じることなく、ただただ代わり映えのない毎日を過ごしていた。

私の人生が大きく変わる事件が起きたのは3歳の時だった。ある晩、いつものように家で過ごしていると、突然知らない人物が家にやってきて私をどこかに連れ去った。この時期、祖母は何故か夜になると、どこかへ出かけていた為、誰にも気づかれることなく私はある場所に連れて行かれた。その場所は、父の正室の家だった。正室のご家族は自殺の追い込まれた娘の恨みを晴らすために私を殺そうとしたのだ。両親の顔も知らないが、抵抗する術を持たない私はそのまま死を受け入れようとした。しかし、その時、ある人が私を助けてくれた。そのおかげで私は殺されずにすんだが、代わりに私を殺そうとした正室のご家族が全員殺された。

この事件は、これだけで終わると思っていたが、突然正室の一族全員が死んだ為、なぜこうなったかの原因を名無し家が追求した結果、私の存在に辿り着いた。それまで、次代当主に子供がいたことを知らなかった当主は、すぐに私に家に入るように命じた。しかし、それを祖母が拒否した。祖母が側室として名無し家に入る時に、1つだけどんな願いも叶える。という約束を当主がしており、「名無しを呪術師にしないこと。そのために別邸で自分が育てる」と。祖母は当主に願った。そのおかげで私の身柄は別邸で保護されることになった。

祖母のおかげで本家との繋がりがなくなり、また平穏な毎日が戻ってきたと思っていたが、事はそう上手くはいかず、今回の件で私の存在が呪術界に知れ渡ってしまい、現当主の代で終わると思われていた名無し家に実は亡くなった次代当主が残した子供がいる。と大きな話題となり、年始に加茂家所有の屋敷で毎年行われる御三家を始めとした呪術界の関係者たちが参加する新年会に、数百年続く由緒正しい名無し家の末裔として参加することになった。祖母はすでに側室として嫁いだ時からずっと欠かさず参加させられていたが、そこに私を連れてくるように当主は命じた。祖母は私のことを思いその命令を拒否したが訴えは通らず私は新年会に参加することになった。普段から祖母以外の人間と話すことがない私は敬語どころかろくな言葉も話せないため、それは悲惨な状態だった。そんな私をくすくすと笑いながら陰で悪く言う人はたくさんいたし、同い年の子たちにもたくさん意地悪なことを言われたり、されたりもした。新年会に参加しろ。と命じた祖父は私を呼んだものの我関せずといった様子で、一番最初に各御当主に挨拶回りをする時に連れて歩いた後は、まるで用が済んだかのように言葉どころか目も合わせてくれなかった。

祖母は、各家から必ず一人参加しなければいけない女性のみが参加する『和の会』という半日かけて、花・茶・歌を楽しむ会に参加する為、その間、私は一人で過ごさなければいけなかった。私の存在だけではなく、名無し家の術式も呪術界の人たちから嫌われる要因になっており、人がいる所にいれば終始嫌な笑い声と共に「人殺しの一族」「寝取ってできた子」という意味が理解できない言葉が耳に入ってくるため、挨拶周りが終わった後はいつも逃げるように人通りが少ない庭の片隅にじっと座り半日時間を潰していた。1月の外はとても寒かったが、それでも中にいるよりもずっと気持ちが楽だった。祖母が迎えに来る頃にはいつも体は芯から冷え、手足も頬も氷のように冷たかったがそれも苦だとは思わなかった。たまに、そんな私をからかいに来た子たちに泥団子をぶつけられ祖母が買ってくれた綺麗な着物や髪の毛が汚れることもあったが、買ってくれた祖母に申し訳ない気持ちはあったが、それ以外は何も感じなかった。

そんな新年会を5度体験した7歳の時にある人がまた私の人生を変えた。いつものように挨拶周りを早々に終わらせた私は人気のない中庭に逃げ込んだ。こうしてじっとしていればすぐに半日が終わる。それだけを思ってしゃがみこんだまま微動だにせず、じっと地面を見つめていた。すると、子供の声が聞えてきて、少しした後罵声と共に頭・背中・肩に強い衝撃がきた。また、泥団子を投げられたのだろう。と思い、何も思うことなく全ての情報を遮断した脳でただただ地面を見つめ続けた。きっとすぐに終わるだろうと思っていると、何故か突然子供の悲鳴が聞えてきた。え、何があったんだろう?と、顔を上げてそっと後ろを覗き見ると、「なに、それ趣味?」と声をかけられた。声の主を見た私はすぐに立ち上がって頭を下げた。寒い中ずっとしゃがみこんだ姿勢でいた為、膝の関節が固まっており、激痛が走ったがそんなことは気にしていられなかった。なんで五条家のご子息がこんな所に?という疑問を持ちながらも、「明けましておめでとうございます」と言葉を発した。挨拶回りをしている時にもご挨拶をした記憶はあったが、ろくに敬語も知らない私は失礼に当たらない言葉がわからずこの言葉を言うしかなかったのだ。

五条さんは思っていたよりもずっと優しい方で、敬語をろくに使えない私にすぐに気づき、敬語は使わなくていいから普通に話して。と言ってくださった。その後、数度言葉を交わした後、私が今日を機に禪院家の次代当主に嫁ぐことになっていることを知った。しかも、まだ正室がいないにも関わらず、側室に。とのことらしい。たしかに、こんな名無し家の恥を集めたような娘をわざわざ家に入れるだなんて、誰もやりたがらないことだろう。正室ではなく側室である事も納得はできる。初耳だったためそのことを聞いた時はとても驚いたが、祖父が絡んでいることを知り、その決定に対して拒否する気持ちもなかった。

名無し家は数百年の間ずっと男児しか産まれていないある意味呪われた一族だ。そのせいか子宝には恵まれず兄弟が生まれるのは稀で、ほとんど一人っ子ばかりだった。そんな中、女児として産まれた私は名無し家からすると、気味の悪い存在で不吉の象徴だった。祖父はそんな私でも呪術師になるのならば当主の座を譲る気があったようだが、祖母との約束があるため、私を次代当主にすることはできない。だから、なるべく利用してから一族から私を追い出そうとしたのだろう。名無し家の未来のために後ろ盾が欲しい祖父は、禪院家に名無し家を守ってもらう代わりに、次代当主の側室として私を差し出したようだ。こんな私でよければ。とそのことを飲み込んだ。何か望んだとしても全て無駄だ。何も私の手に入ることはない。と最初から諦めている私に気づいた五条さんに「お前はどうしたいの?」と聞かれた私は「幸せになりたい。その為に、おばあちゃんに笑顔でいてもらいたい」と伝えた。

その後は、とんとん拍子で事が進み、何故か禪院家との話は破棄され、私は五条家に嫁ぐことになった。祖父だけは最後まで反対していたらしいが、『五条家所有の呪具から2級以上のものを一つ名無し家に譲渡すること』『なんらかの理由で婚約が破棄となった場合も名無し名無しが生存している間は、名無し家に五条家が力を貸すこと』『万が一、五条悟が死亡。または、それに準ずる状態になった場合、禪院家次代当主の元に嫁ぐこと』を条件を付け加えた所、首を縦に振ったらしい。その条件で、どちらにせよ後ろ盾を失わない祖父が納得したのは理解できるが、何故禪院家も納得したのかは未だに不明だ。悟さんと婚姻を結んだ結果、祖母は喜ぶどころか激怒したが、禪院家よりはまだマシだ。とのことだったのでよかった。

悟さんは20歳になったのを機に色んな所から縁談の話を持ち込まれていたらしく、いちいち断るのがめんどう。という理由で縁談避けの為に私をもらってくれたらしい。そのため、この縁談は一応紙を交わしているが、私と五条さんの間では口約束ぐらいの効力しか持っていない。お互い好きな人ができたらお付き合いしていいし、結婚したい人がいれば婚約を破棄して結婚してもいい。もし、適齢期になっても結婚相手がいない場合は、正室にも側室にもなっていい。という私にとっては何とも好条件の婚約だった。こうして私は呪術界に名無し家の末裔としてだけではなく、五条悟の婚約者として身を置くようになった。婚約者といっても、年に1度会う頻度は大して変わらず、特級呪術師としてお忙しい悟さんはたまにふらっと現れて、不思議なお土産を渡してはすぐに去っていくまるで通り雨のような人だった。


そんな中、私は今後の人生を大きく変える出来事のきっかけを作ってしまった。別邸の敷地内には小さな池がありその横に小さな祠があった。詳しくは知らないが池の中に住んでいる神様のものだ。と、祖母から聞いた。「神様なんてこの世に存在しない、しているなら私はアラブの石油王と結婚してもっと大金持ちになっているはずだ」と信仰心の欠片もないことを平気で言う祖母はその祠にお供えどころかこの地に住むことになった時に1度見ただけでその後は行っていないという。

長年清掃されることなく放置され続けていたせいか、祠には苔がびっしりついており、扉が開かない状態で、周囲は細かい木の枝やよくわからない葉っぱがたくさん落ちていた。池も同様に水が見えなくなるぐらいたくさんの葉や虫が水面を覆っていた。周辺に何もない田舎の村に住んでいる私は何もすることがなかったため、毎日せっせと掃除をした。正しい掃除の仕方がわからない為、苔は使い古した歯ブラシで地道に落とし、池の水に浮かんが葉っぱ等は、「子供は虫を掴まえて遊べ」と、虫を全く触れない私に祖母が買ってくれた虫取り網を使って除去した。

掃除をし始めてから1ヶ月経つと、祠も池もその周辺も見ていられる程度には綺麗になった。「綺麗になってよかった。神様喜んでくれるかな」と一人言をつぶやくと、突然、ぷしゃ!っと池から水しぶきがあがり、虹が目の前に広がった。その美しい光景を見た私の気持ちは高揚感で満ち溢れ、すぐに池の中を覗き見たが、透明な水の奥底にある白い石以外何も見えなかった。目には見えないが今のが神様なのだ。と何故か確信し、神様の存在に興味津々だった私は祖母がいない時間はずっとそこにいるようになった。道で摘んだお花を飾ったり、祖母から作り方を教わったおはぎをお供えすると、それに答えるように池から水しぶきがあがるが、話しかけたり、その日起きた出来事や、学校でこんなことがあったと話しても、それにはまったく反応がなかった。


神様の所に通い始めて数年経ったある日、私はある事件を起こした。
小学校は村にある1クラス2〜3人しかいないような小さな学校に通っていたが、村には中学校がない為、片道1時間程の距離にある中学校に通うことになった。たくさんの生徒が通う、所謂マンモス校と呼ばれる学校で、初めて学校にたくさん人がいる光景を見た私は驚きながらも未知の世界に胸を躍らせた。事前に悟さんが中学校というのはこういう所だよ。と私に教えるためにプレゼントしてくれた、『頂点(テッペン)目指す』という中学校が舞台のほのぼの・・・・では決してない、殺伐とした雰囲気の漫画(全12巻)を読んでいなければ、きっと驚きすぎて卒倒していたと思う。漫画に描いてあったような、毎日のように誰かがケンカをしている状況はまったくなかったが、田舎の村からやってきた子。ということもあり、街に住んでいる子たちからは嫌な事を言われたり、されたりすることは多々あったが、毎年行われている新年会で散々それらは経験しているため、それに比べれば大したことはなく、3秒後にはケロっと忘れる事がほとんどだった。

中学3年生になり自分の進路のことを考えなくてはいけない状況になったが、その前にある修学旅行の話を聞き、今まで旅行どころか、悟さんとしか街中にも行ったことのない私はその日浮かれに浮かれていた。浮かれついでに、いつもは部屋の中に大事に飾っている、両親が私を捨てた時に一緒にカゴの中に入れてくれたクマのぬいぐるみをわざわざ持ち出して池に来ていた。

いつものように今日あった出来事を神様に話しながら、完全に頭の中が沸いていた私は、片腕にクマのぬいぐるみを抱えたままもう片方の手でスカートの裾を持ち、くるっと一回転した。その時だった。「あっ」と気づいた時には私の手からぬいぐるみが落ち遠心力によって、ぽーん。と、池の水の中へ飛んだ。待って!と手を伸ばした時には時既に遅く、私はぬいぐるみと一緒に池の水の中に落ちた。

4月といってもまだ水は冷たく、制服を着た私の体はどんどん冷えていき、水を含んで重くなった制服に引きずられるように水底へと体が落ちていった。ゴーグルもなくかすんで見える視界の中で、なんとかぬいぐるみを掴まえたが、泳げない私はその状況で上に上がることができなかった。上から、水底を見た時はそれほど深いと思っていなかったのに、いざ中に入って見ると10mほどの深さがあった。体の中の酸素が失われていくせいで苦しくなっていると、目の前にうっすらと白い何かが見えた。

段々私に近づいてくるそれを一体なんだろう。と目を細めて見たが、水が邪魔をして大雑把に白い何かがいる。ということ以外何もわからなかった。私の目の前まで近づいたそれは私の首に手をかけ「どこへも行かせない」言った。呪霊かと思ったが不思議と怖さはなかった。むしろ、ずっと前から知っているような気すらした。何の根拠もない。だけど、私にはそれが神様に見えた。かすんだ視界ではっきりと見えていないはずなのに、何故か、泣いているように見えた。どうして泣いているのだろう。悲しまないで欲しい。そう思った私は、目の前のその存在を抱きしめずにはいられなかった。こんな水の中でちゃんと伝わるはずがない。もう口に残ってる酸素なんてほぼない。それでも・・・・「大丈夫。一人じゃないですよ」と、声に出して伝えたかった。

その後の記憶はない。ふと目を覚ますと、私はびしょ濡れの状態で池の周りに横たわっていた。頭がぼーっとして状況が理解できないまま家に戻ると、祖母はそんな私を見て、なにがあったのか尋ねた。池に落ちた記憶以外曖昧にしか覚えていなかった私はそのまま祖母にそのことを伝えると、ドジな子だ。と、すぐにお風呂に入れてくれた。

その不思議な体験をした次の日の朝、私の家に幼馴染の男の子が一緒に学校に行こうと迎えにきた。小学校に通っていた時はよく登下校を共にしていたが、中学にあがってからは彼と一度も登校したことはなかったから、突然来たことにも誘われたことにも驚いた。きっと、3年生でようやく同じクラスになったことを彼も嬉しいと思ってくれているのだろう。と勝手に納得し2人で学校に行くことにした。小学生の時は、2人しかいないクラスメイトということもあり、同性のように仲良くしていたが、そういう風習がない人の目というのは怖いもので、中学生になると私たちはどちらから決めることもなく、一切言葉を交わす事はなくなった。

彼と話すのは久しぶりだったが、私に気を使いながらも、学校でのことなどたくさん話してくれた。その内、何か言いづらそうに話し始めた彼の口から「久しぶりにこんな風に話せて嬉しい。一緒に行こうか迷ったけど誘ってよかった」と言われ、「私も」と笑顔で答えた。そんな時だった、大きなガラスを荷台に積んで走っている軽トラックが私たちの横を通過しようとした瞬間、ガラスをおさえていた紐が切れて私たちに向かって10枚はあるガラスが一気に倒れてきたのだ。私がこのことに気づくよりも前に、隣にいた彼がそのことに気づき、「危ない!」と私を押しのけた。

彼から距離が離れていく中、その時初めて『事故が起きる瞬間』を目撃した。ガラガラっ!と、盛大な音が聞こえ、彼の上にガラスがのしかかった。彼の上に乗れ切れなかったガラスはスライドするように、そこから地面に落ちて木っ端微塵に割れた。目の前の情報量が多すぎて、何から処理を始めていいのかがわからなかった。頭から血が出てること。服の上からでもわかるぐらい体中にガラスが刺さってること。ガラスの重さで折れたのか少し変な方向に曲がった足。口から血を吐き出して呼吸をしているのかわからないほどピクリとも動かない顔。そのおぞましい光景に、悲鳴さえ出せなかった。本当にこの一瞬で何が起きたのか理解できなかったのだ。彼の名前を叫びながら、安否を確認するために彼の元に近づき地面に膝を付けた瞬間、まだ荷台に残っていたガラスが私の上に倒れてきて気を失った。





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