最近奇妙な夢を見る。その夢は毎回同じで、どこかの特異点なのか、その場にはいつも藤丸立香とマシュと『聖女様』がいる。だけど、その夢はいつもそこで終わる。その場にいた者たちと城の中のような場所という情報以外わからない程短い夢だった。名無しと一緒に寝るようになってから見なくなった悪夢の変わりに最近は毎晩のようにこの夢を見る。そして、決まってこの夢から覚めると、隣で眠っている名無しが上半身を起こした状態で額を押さえている。


「やっぱりどこか痛いんでしょ」
そんな名無しに声をかけると、はっ!とした顔をした後、心配をかけないようにと、笑いながら「なんでもないよ」と返事をする。これも何度も見た光景だ。毎日毎日そんな状態でよくもまぁそんな嘘を・・・・と思った。


「そんなに毎日痛むならちゃんと診てもらいなさい」
私も体を起こして、名無しの額に手を置いた。


「ありがとう。でも、これはほんとになんでもないんだ」
それでもなんでもない。と答える名無しに私はそれ以上何も言わなかった。


「はぁ・・・・・」
そのことを思い出してため息をついていると、「あら、ため息なんてついてどうしたの?」と声をかけられた。手に持っている本から目線を外して声がした方を向くと、そこにはブーティカがいた。


「なんでもないわよ」


「そんな感じには見えなかったけど、話ぐらい聞くわよ?」
ブーティカは、強制的に私の隣の椅子に座った。それを見て、名無しは今はダヴィンチに呼び出されていないし、ちょっとした暇つぶしにでも。程度で私は口を開いた。


「最近、変な夢を見るのよ」


「夢?どんな?」


「どこかの特異点の夢みたいなんだけど、私の記憶に一切ないのよね。なんでか、自分の夢って感じもしないのよ。しかも、毎回一瞬で終わるものだから情報は何もないし、毎朝消化不良で起きるのよ」
はぁ・・・・と私はまたため息をついた。原因もわからないし、また今夜もあの夢を見るのだろうと思うと、軽くイライラしてきた。ブーティカは私の話を聞きながら、手を顎に当てて、うーん。と何か考えていた。


「しかも、その夢見るようになってから、名無しは体調悪いみたいで、毎朝頭を押さえてるのよ」
痛そうにしている割りには薬を飲んでる様子もないから、本当になんでもないのかもしれないけど、あんな姿を毎日見ているとさすがに心配になる。


「なるほど、それは不思議な夢ね。名無しくんは定期的に医務室に出入りしているし、何かあればその時にちゃんと言うでしょ。・・・・そういえば、彼、首に大きな火傷があるけど、あれってどうしたの?」
普段名無しは首を覆い隠すように常にタートルネックを着ているけど、顔まで侵食していることや、たまに暑い時に少し襟を折りたたんでいるから、あの傷を見たことがあるサーヴァントは数名ほどいる。その傷については私も以前から気になっていたから何度か聞いたことがあるが、いつもはぐらかされて明確な答えが返ってきた事はなかった。恐らくサーヴァントによるものだということはわかっているけど、カルデアにいるサーヴァントは皆身に覚えがないというし、唯一知ってそうな者たちは皆その話題になるとあいつと同じように話をはぐらかす。


「さぁ、知らない」


「そっか。じゃあ、特異点の記録でも見てきたら?」
まるで名案を思いついたかのようにブーティカは手をぽんっと叩いた。


「えっ?」


「どこかの特異点かもしれないってことはわかってんでしょ?じゃあ、見たらどこかわかるんじゃない?」


「そんなものあるの?」
特異点の記録?なにそれ?と私は首を傾げた。そんなものがあるなんて1度も聞いたことないけど。でも、それがあるならやることは一つ。
私はすぐに食堂から出てお目当ての人物を探していると、そいつはタイミングよくシミュレーションルームから出てきた。「ちょっと来なさい」と首根っこを掴んで歩くと、「えっ!なに?!」っと、状況がまったく理解できていない男は戸惑いの声を出した。


「えっ?!俺なんかしましたか?!オルタさん!俺なんかしちゃいましたか?!」
何か失態をして怒られるのかと勘違いした男は、私が首根っこを掴んで歩いている間ずっとぎゃーぎゃー騒いでいた。目的地について、中に入ると、中にいた人間たちは私たち2人を見て、ぎょっとした顔をした後、「ムニエルが何か失礼を?!」「申し訳ございません!」と次々に私に頭を下げてきた。首根っこを掴まれたままの男も何故か、「すみません!すみません!」と謝罪を繰り返していた。


「ちょっとお願いがあるんだけど」
手を離しながらムニエルに向かってそう伝えると、恐怖から開放されたからか、「なんでしょうか!」と意気揚々に返事をした。


「特異点の記録が見たいんだけど」


「特異点の記録ですか?いいですけど、一体どこのですか?ちゃんと全部残しているので、どれでも見せることは可能ですけど」
何を言うと勘違いしていたのか、私が用件を伝えると、なんだそんなことか。ぐらいのテンションでムニエルは言った。全部揃ってるならあの夢の光景はどこかにはありそうね。


「えっと、藤丸立香と、マシュと、『聖女様』がいて、たぶんどこかの城の中で戦ってたわ」
毎日一瞬だけ見える夢から情報を思い出してムニエルに伝えた。すると、ムニエルは、それどこだっけな。と考えている中、一人の職員が、「それって・・・・」と何か思い出したように口を開いた。しかし、すぐその口を自分の両手で押さえた。何故か、私以外の者たちはその様子を見て、同じように、はっ!となって、視線をさまよわせた。ムニエルも同じだ。


「あー、その特異点は覚えがないですねー・・・・」
冷や汗を流しながら苦し紛れにそういうムニエルを私は睨みつけた。「ひえっ!」と声を出しながらもムニエルは、首を横に振った。その視界の端で一人の職員が部屋の外へこそっと抜け出したのが見えた。手には何も持っていなかったからどこかにデータ持ち去ったわけでは無さそうだ。この反応からすると、この情報に当てはまる特異点は存在し、その記録があることは間違いなさそう。


「あるんでしょ?早く出しなさいよ」


「いや、そんな特異点はないで・・・・」
ムニエルがない。と言い切る前に、私は、壁をバンっ!と叩いた。その音に驚いて、その場にいた者たちは、どうする?と視線をさまよわせていた。よっぽど私に見せたくないようね。こんなにも隠す記録って一体・・・・


「ねぇ、何を隠してるの?」
段々イライラしてきた。さっき壁を叩いた拍子に割れた破片がパラパラと落ちる音しか聞えない部屋で私は静かに目の前の男にたずねた。


「そ、それは・・・・言えないです・・・・」
今にも失神しそうなほどぶるぶると震えているにも関わらず、それでも私に隠し続けた。その様子を見て、頭にかっと血が昇った瞬間、ドアが開いた・・・・


「その記録はあるよ」
そう言ってさっき出て行った職員と一緒にダヴィンチが中に入ってきた。


「おやおや、大事な職員をこんなに怯えさせて、君は一体何をしているんだい?」
ダヴィンチはやれやれ。と言った様子で困ったような視線を私にぶつけた。


「特異点の記録が見たい。って言っただけよ。それなのに、こいつらが私に隠そうとするから」
隠そうとしなければ、私だってこんなことはしていない。


「隠すってことは君に『見せたくない』と判断してのことだけど、それでも君は見たいのかい?」


「えぇ。そうよ」


「なぜ?今まで一度だって君が記録を見たいと言ってきたことはなかっただろ?」
たしかに私が記録を見たいと思ったことは一度もない。だけど、それはこんな夢を見ることなんてなかったからだし、記録が残っていることを知らなかったからだ。この夢がなんなのかわかるのなら、見て損はないでしょう。


「最近変な夢を見るのよ」


「変な夢?」


「そう。どこかの特異点の夢。藤丸立香とマシュと『聖女様』が出てくるの。お城のような建物に中で戦っていたわ。・・・・そういえば、藤丸立香はなんか変な模様が描かれたとこに立ってたわ・・・」
今日何度目かになる説明をもう一度口にした後、そういえば。と思い出したことを口にした。藤丸立香の足元には変な模様が描かれており、何か、透明な膜がはられたようになってた気がする・・・・


「その情報に当てはまる特異点はあったし、その記録もある」
ダヴィンチがそう言うと、周りにいた職員たちは、言ってはいけないことを言ったかのように慌てていた。


「じゃあ、見せ・・・」


「だけど、見せるのは反対だ」


「なんでよ」
私の見る夢に当てはまる特異点は存在して、その記録もあるというのに、何故見せられないというのだろうか。


「名無しくんが嫌がる」


「はっ!なんでここであいつが出てくるのよ?もしかして、私があいつのサーヴァントだからそう言えば引き下がるとでも・・・・・」


「絶対に君が傷つくから」
私の言葉にかぶせるようにダヴィンチは言葉を口にした。私が傷つく・・・・・?なんで・・・・?


「それでも見たいなら、見せてあげるよ。ただ、君はとても傷つくことになるだろう。そして、そんな君を見て、きっと名無しくんは苦しい思いをする。その覚悟があるなら見せるよ」
いつもへらへらと空気が抜けたように笑っているダヴィンチが、真剣な顔をして私のことを見つめた。まるで、興味だけで見ることは許さない。と言わんばかりに。私が傷つくと名無しが傷つく。なんでよ。と鼻で笑ってやりたかったけど。それができなかった・・・・だって、本当にあいつは傷つくから・・・・


「覚悟はあるわ。傷つく覚悟も。あいつを傷つける覚悟も」
でも、きっとこの機会を逃せば一生見ることができない気がした。そして、これを知れば、名無しが私にずっと隠していたこともわかる気がした。ダヴィンチが「はぁ・・・」と息を吐いて、パソコンの前に座っている職員に目配せすると、職員は静かに頷いて、目の前にある大きなモニターに映像が映し出された。


「これが、第一特異点『邪竜百年戦争 オルレアン』において、復讐の念に染まった“竜の魔女”と戦った記録さ」
これが第一特異点。そういえば、前に名無しが第一特異点には参加していたと言っていたはず。あの夢がこの特異点の夢だったとすると、あの場に名無しもいたはず。だけど、どこにも姿は・・・・そう思いながらモニターを見続けていると、ある光景を見て私は息を飲んだ・・・・


「これは・・・・私・・・・」
見間違うはずがなかった。そのモニターに映し出されたのは、ニヒルな笑みを浮かべた私だった。


「これは、『裁定者(ルーラー)』の君。ジル・ド・レェによって生み出された、ジャンヌダルクの復讐心を持ったとされる君だ。そして、“竜の魔女”だ。」
同じ自分のはずなのに、今は、『復讐者(アヴェンジャー)』として存在しているせいか、この時に記憶は私には残っていなかった。その内、藤丸立香たちと一緒に名無しの姿が映像に映し出された。今と違いタートルネックは着ておらず、鎖骨が見えるほど襟首が開いた服を着ていた。髪の毛も今は、肩にギリギリ付くか付かないかぐらい伸びているが、映像の名無しの髪は短かった。そして、今は痛々しいほど残っている火傷もこの時はなかった。傷一つなく真っ白な肌だけがそこにあった。


“竜の魔女”は竜の大群を率いて、カルデア陣営に対して攻撃を仕掛けた。ファヴニールとの大戦を引き受けたジークフリートは見事ファヴニールの倒した。そして、ファヴニールを倒したことで周りにいたワイバーンたちはパニックを起こし戦闘不能の状態となり、“竜の魔女”の陣営は圧倒的不利な状況となった。“竜の魔女”は一度現状を建て直すために城へと逃げ、新たなサーヴァントを召喚するため“竜の魔女”の腹心であるジルがカルデア陣営の足止めをした。清姫とエリザベートがジルの相手を引き受け、藤丸立香・マシュ・ジャンヌダルク・名無しは“竜の魔女”の元へと向かった。通常のサーヴァントを召喚する時間がなかった“竜の魔女”は量産型のサーヴァントを複数体召喚し、カルデア陣営の足止めをしたが、すぐに量産型のサーヴァントたちは一掃された。ようやく決着をつけるため、ジャンヌダルクと“竜の魔女”が対峙した。


「あいつ、なんであんなにガンガン前に出てるのよ!」
サーヴァントに混ざって敵と戦っている名無しを見て私は冷や冷やしながら映像を見ていた。


「名無しくん強いだろ?臆せずワイバーンとも戦う。マスター候補生の時からすごく優秀な魔術師なんだよ」
ダヴィンチはどこか懐かしむように名無しが敵と戦う様子を見ていた。あいつの強さは一度だけ見たことがある。あれは、シミュレーションでやらかした私を助けに来た時だ。あの時の名無しはたしかにこれと同じぐらいの強さだった。途中で首の傷が痛まなければきっと敵を殲滅していただろう。


“竜の魔女”との戦いは、カルデア陣営が苦戦を強いられていた。


名無しは、藤丸立香のために床に何かの模様を書いて魔力を込めた。そして、その中に藤丸立香を入れた。私は名無しが書いたその模様に見覚えがあった。これは・・・・と気づいた時には、夢で見たまんまの映像が目の前にあった。これだ、これを見たんだ。


相変わらず、カルデア陣営の劣勢は変わらなかった。
マシュが攻撃を受け止め、『聖女様』と名無しで攻撃をしかけていたが、決定打を決められず、しばらくその攻防は続いていた。“竜の魔女”の一瞬の隙をついて、マシュが守りではなく、攻撃に加わり、“竜の魔女”がバランスを崩した。マシュは後方に投げ飛ばされたが、体勢が崩れた所に、『聖女様』と名無しが畳み掛けるように攻撃をした。攻撃は見事に“竜の魔女”に決まり、“竜の魔女”は片膝をついた。その様子を見て私は複雑な気持ちをかかえながらも、名無しが無事なことにほっとした。なんだ、何もなかったじゃない。私が傷つくことも、名無しが傷つくことも、何も・・・・。勝利を確信したのは私だけではなかった・・・・


「マシュ!」
後方に飛ばされたマシュに藤丸立香は駆け寄った。その様子に、『聖女様』が視線を向けた瞬間、片膝をついていた“竜の魔女”が手にした旗を振り上げて、『聖女様』を払いのけた。


「しまった!」
『聖女様』は、とどめを刺す前に隙を作ってしまったことを悔いた。そして、そのできた一瞬の隙で・・・・・


「これは憎悪によって磨かれた我が魂の咆哮──『吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)』!!」
“竜の魔女”は宝具を撃った。それは、マシュに駆け寄った藤丸立香に向かっていた・・・・そのことに気づいた藤丸立香は足を止めた。これは直撃する・・・・誰もがそう思った。しかし・・・


「立香くん!!」
宝具を受けるはずだった藤丸立香はそこのはおらず、代わりに名無しがそこに立っていた。


「がああああ!!」
自分の体を襲った炎に名無しは苦しげにその場に勢いよく倒れた。


「名無し!」
私は、映像の名無しに向かって精一杯叫んだ。しかし、映像の中の名無しは呼吸もままならない様子で苦しげに悶えていた。


「「「名無し(さん)!!!」」」
3人はすぐに名無しの元へと駆け寄ろうとした。距離的に一番近い藤丸立香が名無しに手を伸ばそうとした瞬間、マシュが藤丸立香の前に出て、藤丸立香に向けた旗を振った“竜の魔女”の攻撃を弾いた。攻撃は防ぐことができたが、その反動で2人とも後ろへと飛ばされた。


「あ・・・・・ぁ・・・・・」
藤丸立香を後方に突き飛ばした状態で宝具を受けた名無しの体は、藤丸立香に向かって伸ばした腕から顔の方まで燃えていた。


「あーぁ。人類最後のマスターを殺すはずだったのに・・・・。まぁ、いいわ。狙いははずれたけど、アンタだけでも地獄につれていくわ!」
そう言って“竜の魔女”は名無しの燃えた肩をぐりぐりと踏み潰した。


「あ゛ああああぁぁ!!!」
呼吸をするのもままならない状況だが、あまりの痛みに肺に入ったわずかな空気を出し切って苦しげに悲鳴をあげた。やめて、やめて、そんなことしないで!今にも死にそうな悲鳴を聞きながら、私は思わず両手で目を覆いたくなった。これ以上こんな光景を見たくない。見せないで。止めて。一瞬目を両手で覆った・・・・・だけど・・・・さっき私は言った。傷つく覚悟がある。と。目を背けてはいけない。これは、私が見なければいけないものだ。


「名無し・・・・生きて・・・・」
これは記録だ。この記録の内容が変わることはない。今、名無しが存在している時点で、あの時から名無しはずっと生き続けている。こんなこと言わなくても名無しは生きている。だけど、私は伝えたかった。私が目を背けている間に、“竜の魔女”は『聖女様』に倒され、名無しは、痛みで気を失ってぐったりと倒れていた。体を焼いた炎は消えていたが、痛々しいほど黒く焼け焦げ、焦げた皮膚の下からは、赤い肉が見えていた・・・・・


「もういいだろ」
隣にいたダヴィンチがそう言った瞬間モニターからは映像が消えた。


「今までこの記録を見せなかったのも、今まで名無しくんのあの傷のことを黙っていたのも、全部君を傷つけないためだ。恐らく君がずっと見ていた夢は、名無しくんが見ていた夢。マスターとサーヴァントは見た夢を自動的に共有してしまうんだ。でも、一瞬しか見なかったってことは、名無しくんは君にこの光景を見られないようにすぐに目を覚ましていたんだろう」
ダヴィンチの言葉を聞いて、じゃあ、私が悪夢を見ていた時もあいつは同じ夢を見ていたのか。と気づいたけど、そんなことは今どうでもよかった。会いたかった。すぐに、あいつに。


「名無しくんはもう部屋に戻ったよ」
そのダヴィンチの言葉を聞いて、私は何も返事をしないまま部屋を出た。あいつの部屋に向かって歩いている間もさっき見た名無しが傷ついた映像が頭から離れなかった。きっと痛いと泣き叫びたかっただろう。あんな苦しみからすぐに解放されたかっただろう。
名無しの部屋の前に辿り着くといつも通りノックをせずにドアを開けた。すると、名無しがそこにいた・・・・。
シャワーを浴びていたのか、下はズボンを履いているが、上は裸で、ポタポタと髪の毛から滴り落ちる水をタオルで拭いていた。


「あ、オルタおかえり!ちょっと待ってて」
そう言って、名無しはタートルネックの服を手に持ってシャワールームの方へと歩いて行った。きっとあの傷を見せないように気づかったのだろう。私はすぐにその背に抱きついた。まだ水分を含んでいる名無しの髪から落ちた水滴は、私の髪の毛や服を濡らしていった。


「オルタ?!どうしたの?」
名無しは突然抱きついてきた私に驚き、どうかしたのか問いかけてきた。だけど、私は、名無しの背中に顔を押し付けたまま、首を横に振った。


「なんかあった?誰かとケンカした?嫌なことされた?嫌なこと言われた?」
名無しは思いつく限りの要因を次々に口にしたが、私はどれも首を横に振った。


「・・・・・じゃあ、嫌なものを見た?」
名無しは一呼吸置いた後、さっきよりも明るい声で私に聞いた。私はその問いかけには答えず、代わりに力強く名無しの体を抱きしめた。


「そっか・・・・」
私が抱きしめている腕をぽんぽんと優しく叩いた後、名無しは体を反転させた。正面から向き合う形になり、名無しは私の肩に顎を乗せて、ぎゅっと抱きしめた。名無しが私の右肩に顎を乗せたから、私の目の前には火傷の傷が広がっていた。


「この傷・・・・わた・・・・」
この傷私がつけたのね。そう口にしようとした瞬間、私の唇は名無しの唇と重なった。まるで、その先を言わせないように、何度も短いくちずけを繰り返した。その優しさに私が身をゆだねていると、名無しは、すっと唇を離した。


「これをつけたのはオルタじゃない。だから、君が傷つくことはなにもない」


「でも・・・・・」
この傷がなければ、今でも優秀な魔術師として魔力を自由に使うこともできたはずなのに・・・・そう思った言葉を飲み込んだ。


「これは俺があの時最善だと思ってやった行動の結果だ。前に君に言ったよね。『俺は、たとえ一生消えない傷を負ったとしても、やれることをやらないで後悔するのは大嫌い』って。全部自分で決めたことの結果なんだ。だから、君が気に病むことなんてないんだ」
そう言って名無しは私を安心させるために満面の笑みを向けた。その笑顔を見ただけで、さっきまで感じていた心臓の中を抉られたような感覚がすーっと抜けていった。


「名無し・・・・」


「それに、この傷を負った痛みや苦しみよりも君と出会えた嬉しさや、君と過ごす毎日の幸せの方がずっとずっと大きいんだ。君と出会えて俺は幸せだよ。愛してる」

あぁ・・・・なんて愛おしいのだろう。そう感じたのは、私を許したからではない。私を責めなかったからではない。彼自身に愛おしさを感じたのだ。
その愛おしさを感じたまま、目の前に広がる忌々しい火傷の傷に優しく唇を寄せた。


「私もよ」


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