宿り木の下のキス



灰色の空と。
舞い落ちる粉雪。
暖かな人の気配と。
浮足立つ、クリスマスの空気。
それらが混ざり合って。
ふと、幼い日の淡い記憶が蘇る。

溜息をつけば、白く煙って視界がぼやけた。




幼かったあの日。
玄関先に母の後ろ姿を見つけた。
普段家にいることの少ない母の姿を見つけて嬉しかったのを覚えている。
母さん、何をしているの?
今日は仕事お休みなの?

自分と鏡写しの顔をした弟と二人、母の足元に纏わり付いて次々に疑問を投げ掛けた。
仔犬みたいにはしゃぐ俺達を見て母は声を上げて笑った。
小さい俺達の目線に合わせてしゃがんだ母の膝の上には、細く絡まる木の枝があった。
なにこれ?
なんの木の枝?
さっきから質問ばかりの俺達に、優しく諭すように母は言った。

『クリスマスが来るから、ヤドリギを飾っているのよ』

ヤドリギ?
なにそれ?
母がヤドリギと言ったそれは、細い枝の塊に貧弱な葉が申し訳程度に生えたものだった。
華やかなクリスマスツリーに比べたら、あまりにも質素なヤドリギを母は大切そうに抱きしめた。
そんな木を飾る意味を知らない俺達は、不思議そうに首を傾げて顔を見合わせた。
母は立ち上がると、玄関先のランプにヤドリギを括り付けた。
目新しい飾りに興味津々な俺達は、食い入るように母の背中を見つめた。
吹き抜けた北風が、ランプにぶら下がったヤドリギを揺らした。
風に乱れた髪を押さえながら振り向いた母は穏やかな声で言った。

『ヤドリギの下に女の子がいたら、男の子はキスをしなくちゃいけないのよ』

古い古い言い伝え。
おまじないみたいに語り継がれてきたのよ、と母は続けた。
それなら、母さんにキスしなきゃ!
はしゃいだ弟は母に駆け寄り、母の頬に飛び付くようにキスをした。
ほら、零も早く!
そう弟に急かされて自分も母に歩み寄ると、背伸びをして母の頬にそっとキスをした。

その時の母の横顔がなぜか脳裏に焼き付いている。
微笑んでいるのに、少しだけ悲しげに歪んでいた。
諦めたような。
憐れんだような。
その感情は誰に向けられたものだったのか。
母の複雑な表情からは、子供だった俺が理解できる感情は見つからなかった。
母さん、どうしてそんな辛そうな顔をしたの?
そう聞く事も出来ないまま。

母は次の年の冬、死んだ。




我ながら感傷的だっただろうか。
足早に通り過ぎるだけの家路の途中、何となしに目に留まったもの。
鮮やかになクリスマスの飾りの片隅に、寂しく揺れるヤドリギが。
吸い寄せられるように手にして、思わず買い求めてしまった。
腕の中でカサカサと音を立てるヤドリギを、潰してしまわないように抱きしめると、あの日の母と自分が重なった。
クリスマスになぜヤドリギを飾るのか。
母が亡くなってから、改めて知った。
今ならば、あの時の母の感情を知り得ることができるだろうか。
零は自嘲ぎみに笑うと、古びたアパートの階段を上がりはじめた。
木の床が騒がしく軋む中。
一瞬、足が止まる。

伏し目がちだった瞳を階上に向けると、切なげに眉をしかめた。
よく知った懐かしい気配と吸血鬼の気配が混じり合ったもの。
自室が近付くにつれて、色濃くなる気配。
電気ひとつない薄暗い廊下に、膝を抱えて座り込んだ少女の影を見つけた。
闇に染み付いたように、動かない影に零は声をかけた。

『…何してる、優姫』

冷淡な声色にピクリと肩を震わせて、優姫はゆっくりと顔を上げた。

『…理由がなくちゃ、逢えないの?』

泣き腫らした赤い瞳。
虚ろに闇を映しては揺らめく。
それを見下ろすように、立ち尽くす零は無表情のまま首を横に振った。

『理由があってもなくても、ここには来るな』

『…それでも、逢いたくて…』

心を切り捨てた零の情に訴えかけるように、優姫は瞳から涙をこぼした。
零の形の良い眉が歪む。
まるで泣いた優姫を咎めるように。
優姫はその表情に萎縮したように身を震わせた。

『お前は吸血鬼で、俺はハンターだ』

吐き捨てたのは、ありのままの現実。
言葉にすると、お互いの宿命が浮き彫りになる。
分かってはいたけれど、恋しさだけを頼りにここまで来た優姫の心を折ってしまう酷い言葉だった。

『…ぜ、ろ』

溢れる涙を拭うこともせず、優姫は手を伸ばした。
涙で霞んだ視界の中、カサ、と音を立てたのはヤドリギだった。

古い古い言い伝えは、こうだ。
【ヤドリギの下で出会ったのならば、敵同士であろうが武器を捨て、愛を持って口づけを交わすのみ】
神話と宗教が重なりあった情緒的な伝説。
幼かったあの日。
無邪気にキスをしたあの日。
母が諦めていたのは、ハンターという立場だった。
争いの中に身を置いて、命のやりとりを交わす日々。
ハンターにとって武器を置くことは死を意味していた。
自分は言い伝えを守ることは出来ない、という諦めか。
その裏には、ありきたりの平穏への憧れがほんの少しあったのだろうか。
母が憐れんでいたのは、散っていった吸血鬼だろうか。
それとも人間と吸血鬼の長きにわたる争いの元を経つことが出来ない自分自身の無力さ、だったのろうか。
やはり、まだ今の自分には母の気持ちは理解出来ないようだ。
だが、あの頃より大人になって分ったことがひとつ。
俺は、狩ることでしか存在の証明が出来ない。
ハンターに生まれたのだから。
きっと母もそうだったはず。
与えられた武器で吸血鬼の命を刈り取る。
この命が尽きる時まで。
それだけは、変えられない。
だけど、母が掲げたヤドリギのように、古い言い伝えに願いを委ねてみたかった。
クリスマスの今夜だけは。
零はヤドリギを扉の上に括り付けると、座り込んだ優姫の前へ膝をついた。

『っ、ごめ、…もう帰る、から…』

嗚咽を漏らして泣く少女の頬は寒さで真っ赤に染まっていた。
その痛々しい頬を両手で包んでやると、優姫は驚いたように潤んだ瞳を見開いた。

『…ヤドリギの言い伝え、知ってるか?』

優姫は知らない、と小さく首を横に振った。
不安げな優姫に優しく諭すように言葉を紡ぐ。

『ヤドリギの下にいる女の子にはキスしていい』

そう言うと優姫の顎を持ち上げて、触れるだけのキスを落とした。
驚いた優姫の額に、こつんと額を合わせて零は目を閉じた。

『敵同士だろうが、ヤドリギの下では争い事をしてはならない。許されるのは、愛を持った口づけのみ』

敵同士、という言葉が胸に刺さって、優姫は唇を噛み締めた。
望んで敵同士になった訳じゃないのに。
心は何ひとつ変わりはしないのに。
歯痒い思いは上手く言葉にならなくて、代わりにまた涙が溢れた。

『…ヤドリギの下でキスをした恋人同士は、永遠を約束される』

でも、残念ながら俺達は恋人同士なんかじゃないから、この言い伝えは関係ないな、と零は笑った。
胸が締め付けられて、上手く呼吸が出来ない。
けれど、優姫は息を深く吸い込んで、零に疑問を投げ掛けた。

『それなら…、ヤドリギの下でキスした敵同士には、どんな未来が待ってるの?』

憂いと期待を含んだ優姫の囁き。
零は浅紫の瞳を少しだけ細めて、苦笑いをした。

『…さぁ、どうなるか一緒に試してみるか?』

華奢な身体をそっと抱きしめる。
すると答えるように優姫の腕が背中に回った。
しがみつく小さな両手が、零のコートに深い皺を作る。
触れるだけの優しいキスはもう充分だから。
今度は壊れるくらい熱いキスを。
銀髪に指を差し入れて、キスを催促する。

『…早く、試して…』

呟くと、ねだるようにその唇を舐めた。


ヤドリギの下のキスが予見する、儚い未来を私に見せて。




おしまい
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