先に目覚めた白雪姫



首筋まできっちりとかけられた柔らかな毛布。
ほのかなプリムローズの香り。
ゴシック調の見慣れない天井。
うっすらと霞む意識の中、自分がどこにいるのか分からずうろたえた。
目覚めたばかりの身体は鉛のように重たくて、まばたきすら軋む。
元々丈夫ではない身体。
なのに無理をしたせいだろう。
あちこちから鈍い痛みを感じた。
そして、謂れのない虚無感は…。

閑さまは私の体から出て行かれた。
そして、もうどこにもいらっしゃらない。

確信は持てなかったが、ぼんやりと感じることができた。
一筋の涙が無意識にこぼれた。
私は悲しいのだろうか。
自分の感情すらあやふやで、考えることが出来なかった。
ただ脳裏にポツンと浮かんだのは、壱縷の姿だった。

『い、ちる…ちゃ…』

小さく呟いてみたが、喉が掠れて声にならない。
まり亜は重たい身体を起こそうと身じろぐと、指先を何かがサラリと掠めた。
銀糸のような髪が仄かな明りを受けて冷たく光っている。
壱縷はベッドの縁に頭だけ乗せて眠っていた。
コートからは、むせ返るような血の匂い。
この血が誰のものなのか間違うはずがない。
緋桜閑はいなくなった。
鈍い思考の中でも、難なく確信できた。
そして、魂の入れ物だったまり亜の身体は必要無くなった。
お払い箱になり、壱縷にここへと運ばれたのだろう。

『もう、私は…いらないの?』

まり亜は上半身だけ起こすと、壱縷の髪にそっと触れた。
さらさらと落ちてくる髪の隙間から覗いた涙の跡に、ドキリと心臓が跳ねた。
閑を想い、泣きながら眠ったのだろう。
赤く腫れた瞼がそれを物語っている。
縋るように毛布の端を握りしめる手は、閑が成り果てた灰で汚れていた。
その手に自分の手をそっと重ねる。
冷たい壱縷の手を温めるように。

『壱縷ちゃん』

先程よりはっきりした声で、でも起こさないように小さな声で名前を呼んだ。
閑に仕えていた壱縷に恋心を抱いたのはいつからだっただろう。
吸血鬼に仕える人間なんて。
そんな興味はあっという間に姿を変えて、まり亜を捕らえて離さなかった。
今思えば、一目惚れだったのかもしれない。

まり亜はベッドから抜け出すと、壱縷と同じように床にしゃがみ込んだ。
毛布をかき集めると、壱縷を抱きしめるように包み込んだ。

『すき』

伝えるつもりがなかった言葉を呟いた。
閑にだけ、忠実に、献身的に尽くす壱縷を見てきた。
それは愛とも依存とも取れる、暗く深い感情。
壱縷の心は閑のものだった。
自分には入り込む余地など無いと分かってはいたものの、この想いは燻り続けていた。
好きだと伝えたら、優しい壱縷は困ってしまうだろう。
そして、自分の前から消えてしまうのではないか。
甘くて、苦い感情。
まり亜は悲しげに笑うと、壱縷の頬にかかった髪をそっと払った。
青白い頬に、小さな赤い切り傷。
そのコントラストに目を細めると、傷口と同じ色をした赤い舌をペロリ、と這わせた。
甘い、血の味。
まり亜はもう一度、壱縷の頬に唇を寄せてキスをした。
散った閑の仇を討つために、壱縷は争いの中に身を擲つのだろう。
まり亜をそこから遠ざけたのも、その争いが佳境を迎えている証拠だ。
もっと私が強ければ。
私に力があれば。
壱縷の青白い顔をじっと見つめながら、己の非力さを呪った。
カーテンの隙間から朝焼けの眩しさが目に突き刺さる。
朝日が世界を照らし始めれば、その眩しさで壱縷も目覚めてしまうだろう。
目覚めたら、また遠くへ行ってしまう。
それなら、少しだけ。
太陽が昇るのを待ってくれないかしら。
まり亜は壱縷の頬にそっと手を伸ばす。
乾きかけた頬の傷口に爪を立てると、鮮血がじわりと滲んだ。
微かな痛みに眉をしかめた壱縷は身じろいだ。
まり亜は壱縷の頬に唇をよせて傷口の血を舐めとった。
壱縷の睫毛が小さく震えた。
きっと、もうすぐ目覚めるだろう。

甘くて、甘い血の味。
苦くて、苦い片思い。
ああ、太陽なんか粉々に砕けてしまえばいいのに。
まり亜の頬に一粒涙がこぼれた。




おしまい
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