赤ずきんに気をつけて



静まり返った寮の廊下。
ノックしようとしたドアは無用心にも半分開いて、部屋の中は明かりひとつない。
支葵は音を立てないように部屋に滑り込むと、チェストの上の小さなルームランプを燈した。
オレンジの柔らかい光が遠慮がちに部屋を照らす。
この部屋の住人は余程疲れていたのだろう。
黒い靴は歩き出したようにちぐはぐに脱ぎ捨てられ、愛用の革のトランクは床に転がっている。
ベッドの上にはトレードマークのツインテイルの髪も解かず、ジャケット姿のまま眠っている莉磨。
支葵は困った様に小さく笑った。
授業に出てこないと思ったらこれだ。
日中、モデルの仕事があったのだろう。
昼は人間のように振る舞い、夜は人間のように眠る。
吸血鬼らしからぬ姿に支葵はまた声を殺して笑った。
足音を立てないようにベッドに近付いてみたが、僅かな気配に長い睫毛が震えた。
ゆっくりと開く青い瞳が支葵を捉えた。

『…今、何時?』

支葵がいることに驚く風でもなく、莉磨は起き上がると目を擦った。

『9時、みんな授業中』

『あんたは?』

『見ての通りサボリ中。莉磨がいなかったから授業がつまんなくてさ』

支葵は堅苦しいブレザーを脱いで、莉磨の隣に腰掛けた。
軋むスプリングに合わせて莉磨のツインテイルが揺れる。
黒いシルクのリボンに指を絡ませ引っ張ると、結び目は難無く解けた。
青い硝子玉みたいな莉磨の瞳が解けた毛先を一瞥すると、また支葵は悪戯っ子みたいに笑った。

『髪…解いたら?どうせ今日は授業なんか出るつもり無いでしょ?』

反対側のリボンも指先で弄んで、ねぇ?と首を傾げる。
甘えたような支葵の仕種に莉磨は小さく頷いた。
起きぬけで身体か言うことを聞かないのか、のろのろと伸ひてきた手が支葵の頬に触れた。
なぁに?といいたげな支葵の表情を尻目に、指先は下降して緩く結ばれたネクタイを引き下ろす。
開けたシャツの隙間から見える首筋に莉磨は無言で牙を寄せる。
ひと呼吸置いて、柔らかな肌に牙を突き立てた。
皮膚を破る感触の後に、じわりと広がる血の味。
喉を鳴らして飲み込んでから、自分はこんなにも渇いていたんだ、と改めて気付く。
この人にしか、支葵にしか癒せない乾き。

『…っ、莉磨、飲みたい時は先に言ってよ。いつもいきなりで…、襲われてるみたい』

甘い痛みに眉をしかめながら、支葵は拗ねたように唇を尖らせた。
莉磨は牙を抜くと、唇を舐めて笑った。

『突然飲みたくなるんだもん』

悪びれもなく言う莉磨は、鼻先を支葵の首筋に寄せた。
自分が付けた噛み跡から香る血の臭い。
あぁ、また欲しくなる。
浅ましいほどの欲望に自分でもウンザリしながら、また唇を舐めた。

『なにそれ。じゃあ、莉磨はお腹が空けば誰彼構わず噛み付いちゃうわけ?』


支葵は緩みきったネクタイを解いて、ベッドの上に放り投げた。
シャツの襟に血が付いてしまわないように、二つボタンを外して胸元を寛げる。
あっという間に血が止まった支葵の噛み跡を、爪で突きながら莉磨は上目遣いで睨んできた。

『そんなに節操無しに見える?』

皮膚に食い込む指先を制するように握れば、莉磨はムッとした表情になる。
だったら嫌だな、と思って。
そう伏し目がちに笑う支葵は髪をクシャクシャと掻き交ぜる。

『なに?珍しく詮索したりして…。私は、支葵以外の血は別に欲しいと思わない。だから突然噛み付きたくなるのもアンタだけ』

莉磨は支葵の乱れた髪を仏頂面で撫で付けた。
珍しく素直な莉磨の言葉に気を良くしたのか、支葵は顔を近付けるとまた悪戯に笑った。

『…それ、最上階の殺し文句だって分かって言ってるの?分かってないなら危ないな。俺以外の男を口説いたらっ…い、ぁっ、』

支葵の言葉が終わらないうちに、莉磨はまた目の前の首筋に噛み付いた。
さっきとは少しズレた場所に牙を立てたので、また皮膚が裂ける感覚にゾクリとする。

『…だから、事前に言ってから飲んでって言ったばっかなのに…』

諦めたように脱力する支葵に馬乗りになる。
今日は莉磨にペースを乱されて、いつもと立場が逆転してしまった。
赤ずきんに襲われる、間抜けな狼。
それもたまには悪くないな、と抵抗をやめて天井を仰ぎ見る。
するり、と背中に腕を回されたら無抵抗の証。
莉磨は愛しい人の血を啜りながら、こっそり笑った。




おしまい
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