狼少年



『一条さん、大好き』

唐突に支葵は一条に抱きついた。
莉磨は片方の眉だけピクリと動かすが、何も言わずに雑誌を読み続けた。

『わぁ、嬉しいな。でもこのチーズケーキは渡さないよ』

一条は皿に乗ったチーズケーキを持ち上げると、ニコリと笑った。
ちぇっ、と拗ねたような声をあげると、支葵はソファーに体を投げ出した。
ここは藍堂と架院の私室。
いつからか、みんなのたまり場と化している。
授業を終えると誰となくフラフラ集まってくるのだ。
今日は支葵と莉磨がお菓子を片手に。
瑠佳が枢のために焼いたケーキの失敗作の処分に。
一条がオススメのマンガを山のように貸し付けにやってきた。

『こんなに美味しいのに失敗作なの?』

藍堂はチーズケーキをつつきながら、不満顔の瑠佳をチラリと見る。

『だって枢様には完璧なものを差し上げたいじゃない!このケーキは…焼き色が駄目』

つん、と澄まして自作のケーキを一瞥する。
たしかに…、と納得する藍堂に腹を立てた瑠佳が突っかかって、いつもの言い合いが始まる。
架院はその横で黙々とチーズケーキを口に運ぶ。すでに3つ目を平らげようとしている。
莉磨は賑やかな部屋を見回すと、小さくため息を零して雑誌に目を戻した。
いつもの賑わい。
ほんの少しの憂鬱が邪魔をして、楽しめない自分がいる。
とはいっても、常に物静かな莉磨はいつもと変わらないように見える。
私の不機嫌なんて、きっと誰も気付かない。
テーブルの上のクッキーに手を伸ばすと、空の箱がパタンと倒れた。
知らぬ間にほとんど食べてしまったようだ。
犯人は多分、支葵。

『莉磨、ほら紅茶。あ、お菓子なら戸棚にあるから出してよ』

口論で瑠佳に打ち負かされた藍堂が、罰として紅茶をいれる係になったらしい。
とばっちりを食らった架院は、お湯を沸かしに行かされたようだ。
僕らの部屋なのに何故くつろげないんだ、と嘆く。
そんな藍堂を後目に、莉磨は雑誌をたたむと、戸棚からお菓子の箱を出す。
黒に金縁の豪勢な箱。
ワインレッドのベルベットのリボン。
莉磨はそっと箱を開ける。
色とりどりの細工がされたチョコレート。
あまりにも綺麗で見とれていると、支葵が背中越に覗き込む。

『わー。高そうなチョコ。食べていいの?』

支葵は目を輝かせて藍堂の返事を待っている。

『ふん。庶民が口にするのは難しい代物だぞ。この僕だから手には入ったと言っても…』

『いただきまーす』

『わ、豪華なチョコだね。僕もいただきー』

藍堂が言い終わる前に支葵はチョコレートを口に放り込む。
それに続いて一条も頬張る。

『コラコラコラー!まだ話が終わってないだろ!』

こうなると、みんな藍堂を無視してチョコレートに釘付けだ。

『そんなこと言ってもさ、藍堂はこのチョコをみんなで食べるためにとっておいてくれたんでしょ?』

憤慨している藍堂を宥めるように一条は言った。

『わぁい、藍堂さん。大好き』

支葵は取って付けたように大袈裟に煽ててみる。
満更でもなさそうな藍堂を見て、一条と瑠佳が笑いを堪えている。
ただ、莉磨だけは無表情のままチョコレートと睨み合っている。
ほら、また心が曇ってきた。
でも誰も気付いてくれない。
一番気付いてほしいアイツが私を不機嫌にさせてる。
支葵は突然、莉磨を後ろから抱き締めてチョコレートに手を伸ばす。

『莉磨はどれにするか迷ってるの?これはどう?』

支葵はホワイトチョコのキューブをつまみ上げると、莉磨の唇に押し当てた。
コロリ、と舌に転がると甘く、噛み砕くとラズベリーの酸味が広がった。
甘いけど、酸っぱい。
そのギャップに思わず眉をしかめる。
好きだけど、嫌い。
莉磨はまた小さくため息をつくと、支葵の腕の中からスルリと抜け出した。

『…私、部屋に戻る』

ポットを抱えた架院と入れ代わるように、莉磨は足早に部屋から出て行ってしまった。
飲みかけの紅茶だけがユラユラ揺れていた。



自分の立てる足音すら耳障りに感じるほど苛立つ心。
それを振り払うように、莉磨は階段を駆け下りる。
心の端っこがヒリヒリする。
支葵のせいで。

『莉磨ー、どーしたの?あのチョコ嫌だった?』

その元凶は何も知らずヒョコヒョコと付いてくる。

『別に』

不機嫌極まりない声で言い捨てると、莉磨はテラスへ降りた。

『完璧怒ってるし』

支葵は莉磨の前に回り込むと、通せんぼするように行く手を塞いだ。
なんで?と首を傾げて莉磨に詰め寄る。

『狼少年』

『へ?』

『嘘ばっかりついてると、本当に大切な時に信じてもらえないんだから』

莉磨はふんっ、とそっぽを向いてしまった。
何のことだか…と支葵は思考を巡らせるが、さっぱり分からない。

『俺、嘘付いてた?』

『大好きなのは…わたしだけって言ったくせに!』

誰それ構わず“大好き”だと言いまくる支葵にヘソを曲げているのだ。

『支葵にとっての“大好き”は沢山ありすぎ!そんなのと私を一緒にしないで』

莉磨は行く手を阻む支葵の腕を押しのける。
“大好き”は特別な言葉だったのに。
すべてにおいて無関心な支葵からもらった特別な言葉だったのに。
特別じゃなかったんだ、と気付いて、自惚れていた自分が恥ずかしくも寂しくもなった。

『待ってよ』

支葵が素早く莉磨の手を捕まえる。

『嘘じゃないけど、嘘つきだよ、俺』

ゆっくり振り返る莉磨にニコッと笑いかける。
嘘ではなくて、嘘つき?
訳が分からず莉磨はムッとした表示のまま、立ち止まった。

『一条さんや藍堂さんのこと、大好きなのは嘘じゃないよ。でも莉磨のことは…大好きじゃないから嘘つき、かな』

大好き、じゃない。
一瞬、莉磨のポーカーフェイスが哀しげに崩れかかった。
支葵はそれでもにこやかに続けた。

『莉磨のこと、大好きじゃなくて、愛してるよ』

サラリと言い放つと、莉磨の唇に音を立てて口づけた。
呆然とする莉磨の手を引いて、支葵は歩き出した。

『ちょっと、どこに行くの?それに今なんて…』

狼狽えた莉磨を振り返ると、支葵はイタズラっぼく笑った。

『チョコ、たくさん貰ってきたから莉磨の部屋で食べよ?』

よく見ると支葵は小脇に、さっきの豪勢なチョコレートの箱を抱えている。
きっと、素知らぬ顔をして、くすねて来たんだろう。
憤慨している藍堂の顔が目に浮かぶ…。

『男にさえヤキモチ焼いちゃうなんて、俺、愛されてるなぁ』

支葵は莉磨の手を強く引き寄せる。
バランスを崩して倒れ込んできた莉磨の腰に素早く手を回した。

『…うっさい!』

真っ赤な顔を見られないように身じろぐ莉磨に強引に寄り添う。

『チョコより莉磨のが甘そうだね』

ニヤリと笑う支葵と目が合うと、莉磨は慌てて逃げだそうとする。
また顔が真っ赤だ。

『来ないでバカ!そういう意地悪なところ嫌!』

『あぁ、お腹すいたな』

支葵はわざと大声で言うと、大げさな身振りで莉磨を追いかけ始めた。
莉磨は更に怒って逃げ回っているが、照れ隠しだろう。
柵をヒラリと飛び越えて、庭園を駆け抜ける。

『チョコでも食べとけば?バーカ』

振り返った莉磨の笑顔に、支葵もつられて笑顔になる。
やっぱりチョコよりも本気で君が食べたい!なんて言ったら、更に逃げ出しそうだから…早く捕まえないと。
狼少年の複雑な心境を少女が知る由もなく、じわじわと追い詰められるのであった。




おしまい
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