『え、お義父さんの店で働くの?』
ゆらゆらと湯気の立つココアを片手に優姫は、思わず驚きの声を上げた。
さっき校門で別れた零がドアを開けたらいたのにも驚いたが、まさか義父の店で働くことになっていたとは。
『…えーと、まさかホス、』
『キッチンスタッフだ!』
最後までは言わせまいと早々に言い切ると、零はさっき蹴飛ばして溢したお茶を布巾で拭いた。
駄目にしたお茶の代わりに、と新たにココアを入れ直している優姫の義父は二人のやり取りに声を出して笑う。
『まさか優姫のクラスメイトだったとはねぇ。はい、どうぞ錐生くん』
優姫の登場で自己紹介も難なく終わり、まぁみんなでお茶でも…とテーブルを囲んでいる訳だが。
優姫の義父であり、ホストクラブの店長である眼鏡の男は、年頃の娘がいるには若すぎる風貌だった。
いや、もしかしたらもっと若い時はNo.1ホストで泣かせた女は数知れず。
ぽわわん、とした今の風貌からは想像しがたいが、夜の街に数多の色恋の華を咲かせてきたのかもしれない。
例えば、禁断の愛の末に幸せな家庭を築くも、母親は彼と幼子を残し夜の町に姿を消した。
彼は残された娘のために人気絶頂の中、ホストを引退。
彼こそが、後世語り継がれる伝説のホスト…。
『私、養女なんだー』
零の妄想が最高潮に達した時、優姫が突然口を開いた。
繰り広げた妄想の腰を折るように、優姫はあっけらかんとマフィンを摘まみながら話を始めた。
『亡くなった両親の友達だったのが、お義父さんで…いわゆる育ての親、みたいな?』
まぁ、両親の記憶は無いし、義父って言っても本当の父親とだと思ってるんだけどね。
少しだけ照れながら説明する優姫と、娘にデレデレして口の端からココアを垂らす店長。
そのだらしない表情に零の妄想は砕け散った。
『…なんだ、伝説のホストじゃなかったのか』
『え、伝説のホストって何?』
『いや、こっちの話だ』
優姫の訝しげな視線は無視して、零はココアひとくち啜った。
そんな心温まるエピソードを聞いておきながら、お前の義父で安っぽい妄想をして一人盛り上がっていたとは言えたものか。
店長はそんな妄想をされていたとは露知らず、だらしない顔のまま分厚いファイルを笑顔で零に差し出した。
『うちのお店の説明をするね』
ファイルを開くと華やかなホストの写真が目を引く。
店名の【under the rose】は【秘密】という意味で、お客様と秘密の時間を共有する、という意味を含んでいるのだそうだ。
それから店名の薔薇にちなんで、ホストには決まった色の薔薇を胸元に飾る決まりがあると言う。
人気No.1の玖蘭枢は、僅かに影を孕んだ美形。
胸元には深紅の薔薇。
二番手のいかにも王子様なルックスの一条拓麻は、純白。
枢を崇拝する後輩の藍堂英は、オレンジ。
藍堂の従兄でワイルドな風貌の架院暁は、黄色。
ミステリアスな雰囲気の支葵千里は紫色。
客は店のエントランスに飾られた色とりどりの薔薇を一輪選び、店の中へと入る。
その薔薇の色が指名を意味するのだそうだ。
『まぁ、分からないことがあったら私に聞いてね』
隣で三個目のマフィンを頬張りながら、優姫は零の肩をパンパンと叩いた。
『私もキッチンやってるから。よろしく後輩!』
先輩って呼んでくれてもいいからねぇー。
びしっ、と親指を立てて優姫はウィンクする。
学校のクラスも同じで、バイト先も一緒。
これは波乱含みな予感がしてきた。
分厚いファイルの並み居るホスト達にも、一筋縄ではいかなそうな顔ぶれだ。
まぁ、間違いなく退屈はしないだろう。
『…んなら、勉強みてやってる時は、俺のことちゃんと先生って呼べよ。先輩』
そう毒づいてやれば、優姫は途端に顔をしかめて零の肩を思い切り叩いた。
つづく
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