rainfall Thursday
今朝から降り出した雨。
弱まるどころか更に激しさを増したようだ。
零は眠たそうに細めた瞳で、窓を打ち付けては滴る雨粒を追っていた。
『あ、傘忘れたんだった!』
その声に振り向いてみると、怖ず怖ずと上目遣いをしている優姫と視線がかち合った。
『あ、の…零は傘持ってたり、する?』
『…寮まで送る、行くぞ』
回りくどく聞いた優姫の言いたいこと。
傘を持ってるなら入てくれ、ということだろう。
どこか遠慮がちにしている優姫を一瞥して、零は鞄を掴み上げて歩きだした。
いつもはうざったいほどに無遠慮なくせに。
今日に限ってどうしたものか。
下駄箱へ続く廊下は雨の匂いと湿気が充満していた。
纏わり付く気怠い空気。
実は、嫌いじゃない。
自分と世界を遮断するように降り注ぐ雨。
その無慈悲な冷たさに安らぎを覚える、なんて言ったら不思議がられるだろうか。
一層強くなる雨音に、ボンヤリと思いを馳せてみる。
そんな零の後ろで、優姫はパタパタと雨が跳ねるような足音を鳴らし、置いてかれまいと駆けてきた。
零、と背後から名前を呼ばれて振り返ると、優姫が無邪気に笑って口を開いた。
『よかったぁ!零、嫌だって言うと思ったんだ』
『…そこまで薄情じゃねーよ』
鞄を振り回しながら零の隣まで追いつくと、優姫はまた笑った。
『相合い傘なんて、絶対嫌がると思ったから』
照れたように微笑む優姫が発した単語に、思わず足が竦む。
相合い傘。
一本の傘に二人の人間が窮屈に肩を寄せ合う、例のアレ。
想像してみたら妙に気恥ずかしくて、零は思い切り眉をしかめた。
『いまさら嫌だとか言わないでよね!』
零の嫌悪感たっぷりの表情に釘を刺すように言って、優姫は零の背中を叩いた。
『…ってぇな!傘貸してやるから一人で、』
『あー、そういうのはナシ!入れてってくれるって約束したでしょ?』
言葉尻を遮って優姫は零を睨みつける。
負けじと睨み返す零は、眉間の皺を一層深くして溜息をついた。
『二人で中途半端に濡れるより、お前が一人で傘さして帰ったほうが…』
『そしたら零が濡れちゃうじゃない、一緒に帰ろ?』
どうしても相合い傘が嫌なようで、傘を置いて逃げてしまいそうな零に詰め寄る。
ムスッとした表情の零。
一見怒っているように見えるが、実はこれで困っているのだ。
口下手な零は言い逃れが出来ずに、優姫に諭されて徐々に逃げ道がなくなっていく。
『…別に俺は濡れても、』
『良くないよ!ほら、帰ろう』
ぐい、と傘を持つ零の腕を引っ張ってエントランスの階段を下りる。
ったく面倒くせー奴だな、と聞こえよがしに零が呟いたけれど、優姫は知らん顔で鼻歌を歌っている。
その勝ち誇ったような横顔に舌打ちして、零は傘を開いた。
不機嫌に装ってる零の背中。
本当は照れてるんだって知ってる。
でも、これくらい強引じゃなきゃ隣にいれないもの。
本当は鞄の底にお気に入りの折りたたみ傘があるんだけど、今日は忘れた振りをしよう。
優姫は鞄を隠すように後ろ手で持って零に駆け寄った。
踏み出した先は濡れた石畳。
ぱたぱたと傘の上で跳ねる雨粒。
振り返って傾けられた傘の中の零は、やっぱり不機嫌な顔をしていた。
『ほら、入れバカ』
『……バカで結構ですよーだ』
渇いた階段から、濡れた石畳へ。
その境界線を意識しながらまたいで、零が傾ける傘の中に入った。
降りしきる雨が、世界から遮断してくれる。
雨音しか聞こえない。
景色も霞んで朧げに見える。
何も考えなくていい。
傘の中はまるで、独りぼっちの小さな世界。
その中に飛び込んできた存在。
招き入れてみたが、傘の中は思いの外狭くて戸惑いは隠せなかった。
せめて、濡れてしまわないように。
不器用に傾いた傘が揺れた。
『行くぞ、』
そう声をかければ、傘の柄を持つ手に優姫の温かい手が重なった。
その温かな感触に驚いて零は目を見開くと、傾きすぎた傘をそっと押し戻された。
『あんまり傾けると零が濡れちゃうよ』
くっついてれば、平気だよ。
そう言って優姫は子供みたいに零のジャケットの裾を掴んだ。
隔離された小さな世界。
誰も見ていないんだ。
だから少しくらい素直になってもいいのかもしれない。
そっと寄り添えば、背中に遠慮がちに零の手が添えられた。
濡れないように。
離れていかないように。
少しだけ濡れてしまった優姫の細い肩。
零は火照った指先で、ぎこちなく引き寄せた。
降りしきる雨は細やかな檻のよう。
絶え間なく降る雨は、二人を小さな世界にしっとりと閉じ込めた。
おしまい
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