play sick Wednesday
例えるならば、何だろう。
月夜に咲いている名前を知らない花だとか。
触れたら弾けてしまいそうな儚い宝石だとか。
叙情的に言葉を並べてみたけれど、結局辿り着くのは「綺麗」だということ。
まばゆい光を放つ浅紫。
言葉にしたことは無いけれど、けっこう好きな色。
その鮮烈な色彩に目を奪われてしまって、ついつい忘れがちだったけれど。
改めて至近距離から無防備な零の寝顔を覗き込んで、優姫はポツリと呟いた。
『睫毛も銀色、なんだよね…』
今は閉じられている浅紫の瞳を繊細に囲んでいるのは、霧雨のような銀髪と同じ銀色の睫毛。
あぁ、意外と睫毛長いんだな、なんて。
優姫はしげしげと零の寝顔を見つめながら、簡易ベッドの横のパイプ椅子に腰掛けた。
昼休みを挟んで、午後一番の授業。
後ろの席はポッカリと空席で、やたらと背中が寂しかった。
心配だから、という名目で自分も次の授業を抜け出して、探し回ってみたら。
『保健室で昼寝とは…優雅ですこと、』
呆れたように腕を組んで、苦笑いをこぼした。
留守にしている保健医の机の上に置いてあったノートには『錐生 零、発熱 38℃』と書かれていた。
深い寝息を繰り返す零の額にそっと手を当ててみる。
サラサラと流れる銀髪越しに伝わってくる体温は生温い。
むしろ、自分の手の平のほうが熱いのではないか。
こいつめ、仮病を使って寝不足を解消するつもりだな。
呆れつつも、その穏やかな寝顔に一安心する。
零の額に乗せていた手はハラハラと滑り落ちる銀髪を弄ぶ。
標準装備だと思っていたの眉間の皺は消えていて、あどけない寝顔は深い眠りを物語っていた。
それをいいことに優姫は、零の髪を梳く感覚を楽しんで微笑んだ。
こうして憎まれ口を叩かずに大人しくしている零を見るのは久しぶりかもしれない。
小さい頃、零が眠るまでこんな風に頭を撫でてあげていた記憶が甦ってくる。
あの頃はもっと刺々しくて、近付き難かった。
それでも積み重ねた時間とか言葉とか気持ちとか。
そういうのが積もり重なって、こうして隣にいるのが当たり前になったんだよね。
しみじみと思い出に浸っていたら、頭がぼんやりしてきた。
零の眠気が感染してしまったのだろうか。
そういえば昨夜、風紀委員の役目を終えて自室に戻ったのは、真夜中と明け方の狭間だった。
自分だって眠たいのは同じ。
私も眠気と戦うのを諦めてしまおうか。
零は寝ているし、他に誰もいない保健室。
優姫は大きな欠伸をすると、目尻に溜まった涙をゴシゴシと拭った。
喧騒から隔離された保健室特有の静けさに、じんわりと眠気が誘われる。
『私も、ちょっとだけ…』
優姫は椅子に掛けたまま、零の寝ているベッドに突っ伏した。
薄く開けられた窓からそよぐ風が、カーテンの裾をひらひらと揺らす。
それを視界の端に映しながら、優姫はいつしか夢の淵へと落ちていった。
息苦しい。
腹部の圧迫感に身をよじろうとしたが叶わなくて、零は眠りから目を覚ました。
腹の上に何か乗っかってる。
ぼやけた視界のまま、腹部にのしかかる何かに手を伸ばした。
さらり、と触れて擦り抜けた感覚に眉をしかめる。
それはよく知った感触で、間違いがなければいつも眼下をウロチョロする頭。
首を捻って確認してみると、案の定茶色い毛の塊が腹部に乗っかっている。
『……んだよ、腹の上で寝るなっつーの』
髪の隙間から見えた優姫はあどけない表情で眠っていて、零は気遣うように小さな声で文句を呟いた。
優姫がどこまでも無防備なのは、それだけ信頼されているから、だとすれば嬉しい。
けれど、同時に異性としての意識は皆無ではなかろうか。
嬉しいような、虚しいような。
まぁ、まだまだ子供ってことだ。
そして、こんな時にどうしたら良いか分からず、ただじっと枕代わりに徹する自分も、まだまだ子供ってことなんだろう。
いい加減、優姫の頭の重さで体制がきつくなってきた。
それでも優姫が目覚めるまでは律儀に体制を崩さずにいるだろう。
我ながら不器用で融通が利かない性格に敬服する。
でも、幸せそうな寝顔が見れたただけでも、よしとするか。
『ったく、アホ面しやがって…』
優姫が目覚めたら何て言ってやろうか。
零は少しだけ微笑んで頭の後ろに腕を組むと、お決まりの溜息をついた。
おしまい
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