go up Tuesday
昨日は、ひょんなことから『錐生と優姫が付き合ってるかもしれない事件』が勃発した。
体操服姿の優姫の登場で最高潮の盛り上がりを見せたものの、当人の呆気ない否定によって幕引きとなった。
『何がどうなってあんな騒ぎになったんだろうねー』
他人事のように呑気な声をあげて優姫は校舎の階段を上がっていく。
階段の踊り場の窓には、今にも折れてしまいそうなほど細い月が架かっていた。
ガーディアンの見回りの最中。
優姫の数歩後を気怠るそうにして付いていく零は返事をするのも面倒で、これみよがしに大きな溜息をついた。
自分の言葉が足りなかった事と、若葉沙頼の余計な一言と。
それらが不幸にも上手く噛み合って、あらぬ方向に飛躍してしまった。
だが、もっと深く掘り下げてみれば、事の発端は優姫の度重なる失態のせいだ。
そう言ってやりたいのを飲み込んで、零はまた溜息をついた。
『零ってば、聞いてるの?』
いつまでも返ってこない返事に、ちらりと振り向いてみる。
見下ろした浅紫は仄暗い光を集めてやけに鮮やかに見えた。
そういえば、こうして零を見下ろすことなんて滅多にないかもしれない。
優姫は階段の途中で足を止め、ノロノロと階段を上がってくる零に向き直った。
『……ねぇ、ってば、』
突然立ち止まった優姫の足元から二段下の位置で零も足を止める。
怪訝な表情をした零がゆっくり顔を上げると、真正面からじっと見つめてみる。
階段二段分のペナルティー。
それを加えてやっと零と同じ視線になることを知って、改めて零って背が伸びたなぁ、なんて今更ながら感心する。
『…んだよ、早く階段上がれよ』
『背、同じだね』
不機嫌そうな零の言葉を無視して、優姫は背くらべをする要領で手を頭の上に翳してみせた。
くだらないことで得意げに笑う優姫につられて、零も少しだけ表情を崩す。
『ばーか、まだ俺のほうがでかい』
すい、と零が姿勢を正すと、優姫の目の前には零の顎の辺りがきてしまった。
勝ち誇ったように笑う零の表情が妙に悔しくて、優姫は唇を突き出した。
『いいもんね。もう一段上がれば、私のほうが…』
対抗するように優姫は零と向かい合った状態で後に一歩、階段を上がろうとした時。
踏み締めたはずの階段から踵を滑らせて、優姫は思い切りバランスを崩した。
あっ、と短い悲鳴の後に咄嗟に零の制服にしがみつく。
同時に零から両腕が伸ばされたので、階段から転げ落ちるのは免れたが。
零の腕の中にすっぽりと収まってしまった身体。
ふわふわする足元の感覚。
零に抱き留められたおかげで、つま先が地に付いてないことに気付くのに数秒かかった。
意外と肩幅あるんだな、とか。
頬に当たる銀髪は見た目通りサラサラだ、とか。
いまさらながら新しい発見をしつつ、優姫はじわじわと頬に熱を篭らせた。
『あ、りが…』
『重い、』
『ちょっ!なんだとぉ!?』
乙女に対して許すまじ発言に、優姫はもたれていた身体を起こすと、零を睨みつけた。
『重いなら、さっさと降ろせ!』
優姫は小さな拳を作って零の肩をボカスカと殴ってやる。
吹き抜けの構造になっている階段に、優姫の怒った声と、零の控えめな笑い声が響く。
夜間部は授業中だというのに、じゃれあう声が聞こえたら厄介だ。
零は優姫の腰に手を回すと、軽々と持ち上げた。
『うるせーな。重くなんかねーよ、チビ!』
『わっ、なに?!』
不安定な体制に驚いて、優姫は思わず零の首にしがみついて、目を白黒させた。
至近距離にある浅紫の瞳が悪戯っ子のように、きらりと光った。
と思うと、零は優姫を抱えたまま階段を駆け上がり始めた。
『屋上まで一気に行くからな!』
『えっ?えっ?待って、ちょっとぉー!』
2段飛びで階段を駆け上がる零に縋り付いて、優姫はうろたえて叫ぶしか出来ない。
優姫に対する気遣いなんか全く無し、と振り落とすほどの勢いで階段を猛スピードで上がる。
『怖い怖い!落ちる!』
『じゃあ、しっかり掴まってろ』
怖がり腕を絡める優姫にほくそ笑みながら、わざと跳ねるように階段を駆け上がる。
ここはまだ2階だから、屋上まではまだまだ。
からかうのが楽しい、なんて言ったら、耳元で歎く優姫には申し訳ないだろうか。
けれど、好きな子ほど虐めたい、なんて子供じみた感情を抑えるほど大人でもなくて。
好きだ、と簡単に言えるほど子供でもない。
優姫を抱き上げた腕に力を込めると、零はさらに階段を駆け上がるスピードを早めて笑った。
おしまい
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