茜色心中



背後から吹きすさぶ風を追い越すようにして、銃声が立て続けに二発響いた。
広がる硝煙の香り。
聴覚を支配した耳鳴り。
右手にじわりと染み込んだ、発砲の衝撃。
狂った手負いの吸血鬼と、それを見下ろす浅紫の瞳。
宝石のように鮮やかな瞳は鏡のようにターゲットを写し込むだけで、何の感情も伺えない。
ただ最後の審判を下すが如く、静かに引き金に指をかけた。
最後を悟った吸血鬼は、嘲笑うように声を上げた。

『お前…ハンターの皮を被った吸血鬼だろう?分かるぞ、同じ匂いがする。これが己の末路だと胸に刻め!お前もいずれは…』

まくし立てる吸血鬼の言葉を遮るように、躊躇なく引かれた引き金。
聞きたくないと耳を塞ぐ代わりに、何発も何発も撃ち続ける。
壊れたように引き金を引き続け、マガジンが空になってやっと我に返った。
ターゲットはすでに灰に成り果て、風に攫われ散り散りになっていた。
鳴り止まない、耳鳴り。
右手に染み付いた、硝煙の香り。
引き金を引いた瞬間の、血が湧き躍る感覚。
満たされることのない、渇ききった心と身体。
どれも、狂ってる。
君が去った世界はこんなにも酷く。


カラカラ、と耳に障る音。
俯いてみれば、足元に散らばる薬莢の数に自分でもウンザリする。
色濃くなる自身の影は、不気味に伸びて醜く歪んでいた。
まるで化け物だ。

また今日も狂ったように吸血鬼を殺した。

傾きかけた太陽が、空を燃やすように赤く染めあげる。
零は銃をホルダーに押し込むと、夕焼けから目を背けた。
眩しすぎる、今の自分には。
足元の薬莢を蹴散らして、フラリと歩き出す。
興奮と緊張が途切れると、一気に脱力感に襲われた。
身体がひどく重たい。
力の入らない左手を見下ろすと、指先から血が滴り落ちていた。
点々とこぼれ落ちた血が足元を濡らす。
コートの肘が派手に破けて、鮮やかな赤が滲んでいた。
吸血鬼とやり合う中で負傷したのだろう。
小さな舌打ちをひとつ。
今更ながら、左腕がじわじわと痛み出した。

【己の末路を胸に刻め】

元、人間の吸血鬼の最後の言葉が蘇る。

『痛いほど、分かってる…』

俯いて小さく呟く。
傷口に爪を立てて、零は苦しげに嘲笑った。


身を隠すように薄汚れた路地を歩く。
さすがに派手な怪我を晒しながら表通りを歩くのは憚られた。
壁伝いに重たい身体を預けながら暗く湿った角を曲がる。
荒く繰り返される吐息。
覚束ない足元と霞む視界がもどかしくて、零は苔むした壁を力任せに殴った。
襲いくる喉の渇き。
脈動と共に疼いては、身体を蝕む感覚に小さく呻いた。

『大丈夫?』

突如響いた、愛らしい少女の声。
こんな陰気な路地に似つかわしくない上品なシフォンのドレスがフワリと翻る。
まるで待ち伏せていたように、靴を鳴らして零に歩み寄った。

『…また会った、な』

血まみれの指がジャケットに潜り込む。
流れるように無駄のない動作でホルダーから引き抜かれた銃は、迷うことなく少女の胸元に。
ひやり、と素肌に触れた銃口に怯みもせずに、少女はあどけなく笑った。

『ふふ、…久しぶりだね』

笑うと一層幼く見えるその姿が過去の残像と重なる。
何のしがらみも無く、無邪気に戯れた日々に。
しかし、干渉に浸る必要はなかった。
彼女は宿敵なのだから。

『…玖蘭、』

思いを断ち切るように、新しく少女に与えられた名前を呼ぶ。
優姫は一瞬驚いたように目を見開いて、寂しげに微笑んだ。

『…今日、この近くで夜会があるの。お兄様の目を盗んで散歩してたら、騒ぎが聞こえて…』

狭い路上に湿った風が吹き抜ける。
まるで別人のように長く伸びた髪が風の形に揺れた。
それを手で押さえながら優姫は、突然クスクスと笑い出した。

『…なんて、今さら嘘で取り繕っても無意味だよね…本当はね、あなたの血の匂いがしたから…』

だから、心配して駆け付けたの。
だから、血の香りに酔って喉の渇きを覚えたの。
そんなの、どちらが自分の本音なのか解らない。
ただ血の香りに導かれるまま駆け出していた。
人間だった過去と、吸血鬼に成り果てた今。
その境界線は滲んだインクのように曖昧になっていた。
それでも僅かばかりの理性で、吸血鬼衝動を押さえつけて笑いかける。

『辛そうだね、』

零の左手から滴り落ちる雫が、鮮やかな血溜まりを作る。
ごくり、と喉がなる。
渇く、渇く。
血が欲しい。
皮膚の下に隠れた真っ赤な雫を。
優姫の言葉にいつも澄ましている浅紫の瞳が血色に揺らめいた。

『ねぇ、私の血が欲しい?』

貧血で青ざめた零の頬に指を這わせる。
これは拒否できるはずのない甘い誘惑。
零は浅く苦しげな呼吸の合間に、小さく舌打ちをした。

『うる、さい…純血種』

胸元に押し付けられていた銃口は喉元を辿り、顎の下から突き上げられた。

必然的に顎先を押し上げられ、仰ぐようにように零と視線が絡まる。
カチ、と安全装置が外れる音がした。
このまま零が発砲したら、銃弾は顎から脳天まで一気に突き抜けるだろう。
そうしたら、あっさりと死ねるのかな。
優姫はまたクスクスと笑い出して、渇いて張り付いた喉を鳴らした。
小さな喉仏が、浮き沈みする。

『私は、零の血が欲しいよ』

開襟のシャツから見え隠れする入れ墨を爪でなぞる。
これみよがしに赤い舌で唇を舐めて見せると、零は歪んだ笑みを見せた。

『…はっ、じゃあ飲んでみろよ。お前がかぶりついてる間に、喉元ぶち抜いてやる』

皮肉なのか、本気なのか。
ぞくり、とするくらい鋭く光る浅紫の瞳に見下ろされて、優姫は目を細めた。
冷たいだけの銃口が、柔らかい皮膚に沈むほど強く押し付けられた。
私は、彼が誰よりも憎んでいる吸血鬼。
本気だとしてもおかしくない。
痛いほどに突き付けられた血薔薇の銃に、そっと指先を絡めた。

『それなら、どちらが先に灰燼になるか…確かめてみる?』

言っておくけれど、私は簡単には死ねないみたいだから。
きっといい勝負になると思うの。
まるで他人事のようにそう付け足して、零の首筋に爪を立てた。

『…勝手にしろ、』

投げやりに呟いた零の首筋に腕を回して、つま先立ちをする。
それに答えるように零はそっと屈んだが、銃口は優姫の喉元を捕らえて続けていた。
お互い片手で抱きしめ合うように身体を寄せ合うと、優姫は懐かしい匂いに頬を緩めた。

『……ねえ、一度だけでいいから…昔みたいに名前で呼んで』

ピアスが光る耳たぶに唇を寄せて、そっと囁く。
零は無表情を貫いたが、引き金に掛けた人差し指だけが小さく震えた。
気付けば、薄気味悪い路地裏に差し込む赤い夕日。
すべてを赤く侵食していた。
優姫はその眩しさに眩暈を覚えて、喉元に突き付けられた薔薇の銃に縋り付いた。
しばしの沈黙の後、零の血色を失った唇が開かれた。

『………優姫、』

懐かしい響き。
優姫は小さく鋭い牙を隠して、その唇を零の入れ墨に押し当てた。
喉は枯れるように渇いていたけれど、血に溺れた欲望は立ち消えていた。
思うのはただひとつ。
もう一度、あの日々に戻れたら。
叶わない願いだと知っているから、夢を見る。
夢は眠りの中にしか存在しない。
私はもう眠りに就きたいの。
どうせならば、あなたの手で眠りに誘われたい。
それが私の出した答え。

『ぜろのこと、好きだったの…』

今も本当は好き。
だけど、情が邪魔をしないように、過去形にしてしまった告白。
熱く潤んだ瞳を閉じると、涙が一粒こぼれ落ち、頬から銀色の銃へと滑り落ちた。

零は涙に濡れたその銃の軽さに自嘲気味に笑った。
軽さの理由は弾倉は空になっているから。
レベルEを殺した際に銃弾は撃ち尽くしてしまった。
それを知りながら優姫に銃を突き付け、安全装置を外すという小芝居までやってのけた。
無意味な行動の影に潜ませていたのは。

『俺も、だったよ…』

俺も、終わりにしたかったからかもしれない。
自分の末路を鏡に映したような吸血鬼を殺す日々。
吸血鬼を狩る狂気に苛まれ、心も身体はボロボロだった。
それでも一日を終えてベッドに突っ伏した時だけは安堵する。
そして同時に明日に絶望する。
明日は我が身かもしれない、と。
もう頼りない未来に縋るのに疲れ切ってしまった。
どうせならば、優姫に未練もろとも食らい尽くしてほしい。
そんな期待を抱いていた。

『…撃たないの?』

『お前こそ…その牙は飾りか?』

牙を隠した吸血鬼と、撃てない銃を構えたハンター。
抱き合った二人は似た者同士。
息の根を止める武器などないくせに、殺すふりして死にたがり。
終わりの時を焦がれてたなら、茜色の空の下で心中しましょうか。

絡まった影が宵闇に飲まれたら、ひっそりと…。





おしまい
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