星屑シャンデリア




折り重なる華やかな旋律。
豪奢なシャンデリアが煌めくダンスホール。
その真ん中で踊る君。
管弦楽の調べに乗って、
新調したばかりのドレスを翻しながら。
たどたどしく踏むステップも、照れたようにはにかむ表情も。
乱反射する明かりに照らされて輝いて見えた。
煌めく瞳が見上げるその中に、自分じゃない誰かを映しても。
それでも幸せ、だなんて脳ミソがお花畑になってしまったんだろうか。
賑わうダンスホールの片隅で、壁に背中を預けた零は眩しそうに目を細めた。



『…緊張したっ、心臓が壊れそうだった!』

ワルツの生演奏が終わると、ダンスホールの真中から真っ直ぐに優姫が駆けてきた。
優姫は高陽して赤く火照る頬をペチペチと叩いて、大きく深呼吸を繰り返した。
ごく自然に、零の隣に立って同じように壁に寄り掛かると、またひとつ大きく息を吐いた。

『…良かったな、玖蘭枢と踊れて』

新たな演奏が始まり、賑わうダンスホールを見ながら零は笑った。
どこかぼんやりとしたような零の横顔を見上げて、優姫は声を出さずに頷いた。

『緊張で寿命が縮んじゃったよ…上手く踊れてた?』

『酔っ払いの千鳥足みたいだったぞ』

ふ、とこぼれた零の笑みと皮肉に、優姫は子供のように唇を尖らせた。
嘘だよ、ちゃんと踊れてたんじゃねーの?
ダンスのことなんて分からないけれど、そう訂正してやれば優姫の突き出した唇は綺麗な弧を描く。

『ねぇ、零は踊らないの?』

結い上げた髪がはらり、と解けて頬を撫でる。
不器用な手つきで整えるが、長さの足りない髪は後を追うようにはらはらと落ちてくる。
諦めた優姫は髪の束を無造作に耳にかけて、零の顔を覗き込んだ。

『…踊らないんじゃなくて、踊れないんだよ』

それに、俺がダンスなんてガラでもないだろ。
着崩した制服のポケットに手を突っ込んで、小さく笑う。
まばゆいばかりのホールで、寄り添い繊細なステップを踏む生徒たち。
目の前で繰り広げられている舞踏祭は、まるでテレビの中の映像のように現実感がない。
他人事みたいに感じるのは、少しの疎外感からだろうか。
自分には関係ない。
向こう岸の賑わいを眺めているだけ。
それでも、満足できてしまうのは。

『踊ろうよ、零』

にこり、と屈託のない優姫の笑顔に目を奪われる。
ポケットに隠した手を引き抜かれると、優姫の小さな手に力強く引かれた。
向こう岸で笑ってくれているだけで満足だった。
遠くから見てるだけで、幸せだった。
心の奥底で願っていたこと。
言葉にするのは苦手で、不器用な自分はいつだって指をくわえて見ているだけだった。
けれど、優姫は自分が飛び越えられない溝を軽々と飛び越えて、無意識に伸ばしたこの手を取って笑う。
その笑顔がほしかった。





『こっちこっち!』

優姫に手を引かれるがままに、夜の渡り廊下を小走りで駆け抜ける。
賑わうダンスホールから逃げるように抜け出して、静まり返った校舎を後にする。

『こっちって…どこ行く気だよ』

不満を含んだ零の声に、いいから早く、と笑う優姫の振り返った横顔にドキリとした。
月明かりに照らされて淡く輝く輪郭と、濡れたように光を跳ね返す瞳。
優姫が少しだけ大人びて見えて、零は頬に熱が集まり視線を反らした。
夜空には満月と数え切れないほどの星。
揺らめく星の輝きはシャンデリアに負けないほど綺麗だった。

『到着!』

優姫は捕まえていた零の手を離すと、華奢なヒールのサンダルを芝生の上に脱ぎ捨てる。
裸足で芝生の上を子供のように跳びはねて、くるりと振り向いた。

『零も裸足になりなよ!気持ちいいよ』

校舎から少し離れた庭園。
青い芝生が敷き詰められた広場は、疎らなガス灯と月光に照らされて仄暗かったはずなのに。
目が慣れてしまえば、月明かりが眩しいほど。
素足で楽しげに芝生を踏み締める優姫の姿に、零はまた目を細めた。

『ったく、ガキじゃあるまいし…』

零は呆れたように笑ながらも、靴と靴下を脱ぎ捨てた。
ちくちくと足裏を擽る芝生の感触が、どこか懐かしくてこそばゆい。
夜露を含んでキラキラと輝く様は緑の絨毯のようだった。
その真ん中で優姫は拍子を取りながら確認するようにステップを踏む。

『ダンス、踊ろうよ零』

差し出された小さい手。
咄嗟にその手を取りたくて、ポケットの中の指先がぴくりと震えた。
しかしそれに答えることはなく、浅紫の瞳をそっと伏せた。

『だから、踊れないっつーの』

溜め息まじりに吐き出された言葉。
踊りたいけれど、踊れない。
煌びやかなシャンデリアの下で、玖蘭枢に頬を染めた優姫の幸せそうな顔が脳裏に蘇る。
女の子が喜ぶような気の利いた台詞も知らない。
スマートなエスコートなんて出来ないし、ワルツのステップも踏めやしない。
同じように優姫に微笑んで欲しくても、自分には足りないものだらけで踊れない。
怖くて、その手を取れずに零はただ立ち尽くした。

『教えるから!…って言っても私も下手くそなんだけどね』

ふわ、とドレスの裾を跳ね上げて零に駆け寄ると、ポケットに隠した手を引き抜く。
優姫にエスコートされるように、広場の中心に手を引かれた。
少しだけ絡まった指先が熱い。
指先が解けないように、優姫の導くままについてゆく。
優姫は振り向き様に解けかけた髪に手をやると、ピンクの薔薇を模った髪止めを外ずし、零の胸ポケットに飾った。

『…ドレスコードでしょ、男子は胸元に一輪の薔薇』

元々ダンスを踊るつもりなどなかった零の胸元は淋しいものだった。
それでもこうして優姫に手を引かれて、胸元を薔薇で飾って。
シャンデリアに負けないほどの満天の星空の下で踊ろうとしている。
あの笑顔を自分にも向けてくれるだろうか。
ダンスホールの片隅の壁に寄り掛かり、欲しがりな子供みたいに切望していたのは、なにものでもない優姫の笑顔だった。

『零の右手は…私の腰で、あれ?左手?どっちだっけ?』

どうしたらいいのか分からなくて棒のようになった零の腕を上げたり下げたりしながら優姫は首を傾げた。
結局どちらかわからぬまま優姫の背中に適当に添えられた手。
慣れない距離感に戸惑いながらも、顎の下であーでもないこーでもないと独り言を言っている優姫が微笑ましくて、強張っていた肩の力が抜けた。

『小難しいステップは無し!フィーリングで前後左右自由に!』

するり、と背中に回った優姫の手の感触に、背筋が伸びる。
それに気付いた優姫は、大丈夫、適当でいいから、と声をかけた。
思いの外、緊張しているのに感づかれて、零は苦笑いするしか出来なかった。
優姫がゆっくりと唱える拍子に合わせて、ゆらゆらとステップを踏む。
リードしているのは優姫。
優姫の動きに合わせて戸惑いながらも足の先を進めてゆくが、慣れない体制と動きに腕やら背中が攣りそうで零は顔をしかめた。

『『…あっ、』』

二人同時に上げた声。

『足、踏まれたー』

『…ごめん』

至近距離から見上げてくる優姫の瞳が気まずくて、零は目を反らした。

『ふふ、裸足だから痛くなかったよ』

零は首を竦めるようにして笑う優姫のつむじを申し訳なさそうに見下ろした。
ダンスなんて踊ったことのない自分が確実にやらかすだろう失態。
予測していたとはいえ、自分で自分に呆れる。
比べたくなんてないが、玖蘭枢のようにスマートな振る舞いとは程遠くて情けなくなってくる。
やっぱり、あの笑顔は自分に向けられるものじゃない。
そう悟って零はステップを踏むのを止めた。
止まってしまった零の足元を除き込んでいた優姫は、俯いたまま話し出した。

『ステップが違っても、足を踏んずけちゃってもいいの。零と踊りたいなぁって思ったから、下手くそでも楽しいよ』

優姫は大きな黒い瞳を嬉しそうに細めて笑った。
その笑顔は欲しくて欲しくて堪らなかったあの笑顔だった。
優姫の真っ直ぐな笑顔に胸が締め付けられる。
手放したくない。
この腕の中にいてほしい、と。
閉じ込めるように両腕を優姫の背中に回して、きつく抱きすくめる。
驚いて小さく声をあげた優姫の耳元に唇を寄せた。

『…踊れねーんだよ、ばか』

絞り出した声が掠れて熱が篭る。
ぱちぱちとまばたきを繰り返していた優姫もしばらくすると、そのまま動かない零の背中に手を回した。

『…ん、でもまた踊ろう、ね』


下手くそなダンスの変わりに抱きしめさせて。
シャンデリアのような星屑が消えるまで、ずっと。





おしまい
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