デンジャラス・ショコラ



授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
優姫はロッカーに体育着をしまっていると、教室の片隅に集まった女子たちが小さな歓声をあげた。
吸い寄せられるように近付いて、その輪の中心を覗き込む。

『…ショコラトル・デーの特集記事?』

机の上に広げられた雑誌にはチョコレートの作り方や、可愛らしいラッピングの仕方が紹介されていた。

『優姫は誰かにあげるの?』

クラスメイトが肘で優姫を突きながら聞くと、集まった女子の視線が一斉に優姫に向けられた。
ショコラトル・デーを忘れていたわけではないが、ここに集まった女子よりは興味が薄かった。
誰にあげるの、と聞かれたが。
身近な異性といったら思い浮かぶのは、義父である理事長と零と。
あとは幼い頃から憧れを抱いているナイトクラスの寮長、玖蘭枢。
ただし、絶望的に不器用なせいで手作りなんて暴挙に出れる訳もなく。

『買ったチョコは有り難み少ないし、だからって手作りも無理っぽいし…あげたいんだけどね、』

『ナイトクラスの玖蘭先輩に?』

『それとも、おっかない錐生くん?』

雑誌の持ち主の女子生徒が身を乗り出して追求してくる。
優姫の憧れの人が玖蘭枢だということは、一部の友人には周知のこと。
しかし、ここで零の名前が出てきたのは意外だった。

『いや、枢先輩は…まぁ、憧れてるのは確かなんだけど。なんで零の名前が…』

『いつも一緒にいるじゃない。ねぇ?』

女子生徒は周りに同意を求めるように目配せすると、みんな揃えたように頷いた。
錐生くんって、カッコイイけど怖いよね。
でも優姫には懐いてるよね。
懐いてるって、犬みたいにな言い方すると悪いわよ。
そう好き勝手に言い出すものだから。
零はただの幼なじみだよ。
なんて反論しようとする気も失せてしまった。
無意識に小さな溜息をつくと、目の前にずいっと雑誌を押し付けられた。

『優姫!この雑誌貸してあげるからチョコを手作りして渡すのよ!!不器用とか忙しいとか言い訳してたら、愛は届かないよ!』

愛って…そんな大袈裟な、と尻込んでいたが、その勢いに負けて優姫は雑誌を受け取ってしまった。
みんなは誰にどんなチョコをあげるのか、という話題で盛り上がり始める。
話題から置いてけぼりになってしまった優姫は、雑誌をぼんやりと見つめていた。
《簡単手作りチョコ》
簡単なら…私にも作れるかも。
失敗したら、あげなきゃいいわけだし。
今年の私は違うんだぞって見せてやりたい。
頼ちゃんに材料の買い出しを付き合ってもらおう。
そのカラフルな煽り文句につられるように、根拠のない自信が溢れ出した。




『…で、なんで俺なんだよ』

湯煎にかけたチョコをゴムベラで丁寧に混ぜながら、零は何度目か分からない愚痴をこぼした。
隣で包丁を振りかざし、チョコは疎か、まな板まで切断する勢いの優姫には聞こえていない。
ダン、と振り下ろされた包丁。
チョコの端を掠めただけで、小さな破片が冷蔵庫まで吹き飛んだ。
そりゃねーだろ。
一体どこからツッコミを入れてやればいいんだろうか。

『あれ?切れてない?』

標的はほぼ無傷のまま、まな板に鎮座しているのを見て優姫は首を傾げた。
またもや包丁を振り上げる優姫を零は制止した。
このやり方はいくらなんでも怪我をする(俺も含めて)

『包丁の先っぽをまな板に付けて、手で押さえて。そこを支点にして柄に近い方で切れよ』

『え?なに?まな板の先っぽを手で押さえるの?』

『………………もういい、貸せ』

優姫の切り替えしに、零はガクッと頭を下げた。
聞き間違いにもほどがある。
ボケるとかツッこむとか言うレベルじゃない。
もう俺の説明力不足、ということにしとこう、うん。

『さっすが零!』

結局、零の手によってサクサクと細切れになっていくチョコ。
優姫は雑誌片手に次の工程をチェックする。

『次は生クリームを入れて、冷やす、だって零』

『また俺かよ!』

零のツッコミを無視して、優姫は生クリームをボウルに注ぐ。
跳ねた生クリームが白い水玉模様を作った。

『あ、こぼれた』

『ちゃんと分量を量ったのかよ?』

零はチョコを掻き混ぜながら優姫の持つ雑誌を覗きこんだ。
こつん、と触れあった頭。
肩を寄せ合うようにして、真剣な眼差しで雑誌に食い入る。
頬に触れた銀色の髪がくすぐったくて、優姫はムズムズと身じろいだ。
こんな近すぎる距離なのに零は顔色ひとつ変えずに、雑誌を眺めていて。
意識してるの、私だけだなんて、なんかムカツク。

『い、今から量るもん!』

ムッとした表情で計量カップをつかみ取る。
細かい事に煩いんだから、零は。
優姫の失敗を寸でのところで零がフォローして。
口喧嘩しながらも、チョコは何とか雑誌に写っている形状になった。
ミルクの効いた生チョコをビターチョコでコーティングしたトリュフ。
零は雑誌と完成品を見比べて、満足げに頷いた。

『………それ、イガ栗?』

零は視線を横にずらし、優姫の前に置かれたチョコを一瞥して呟いた。
トリュフと言うには巨大なそれ。
卵ほどの大きさだ。
更に、鋭利に突き出したチョコのコーティング。
異様なそのイガ栗、いや、トリュフを見て、零は顔を引き攣らせた。

『だって…チョコのコーティングした後に、フォークでチョンチョンってすると可愛い模様ができるって書いてあったから………』

『いや、この殺人的な刺々しさはチョンチョンどころじゃないだろ!』

零はその研ぎ澄まされたように鋭い刺に思わず身震いした。
これ、食う時ヤバイだろ。
口ん中、痛そう。
まぁ、俺が食べるわけじゃないから別にいいけど。
優姫は雑誌のトリュフと見比べながら首を傾げた。

『どこで間違っちゃったのかなぁ…』

まず大きさだよ!
そう言ってやりたいが、零は優姫が不憫になって口をつぐんだ。
とことんセンスがない。
そんな悲惨な結晶とも言うべきチョコを貰う奴はさそかし気の毒だ。
優姫がチョコをあげる奴は安易に想像出来た。
ナイトクラスの玖蘭枢。
その天敵とも言うべき相手へ送るチョコを、成り行きで一緒に作っている自分も大層気の毒だが。
まぁ、あれを食うよりはマシだ。
零は雑誌のラッピングを忠実に再現しながら、優姫の黒光りするトリュフをチラリと見た。

『やだ、どーしよう…蓋が閉まらない!』

ピンクの可愛らしい箱からは、激しく主張するように突き出したチョコの角。
零は思わず吹き出して、ふるふると笑いを堪える。
もうトリュフには見えないあのイガ栗にかぶりついている玖蘭枢を想像すると、ヤバすぎる。
最高に面白いんじゃないか?

『…蓋は諦めて、可愛い袋に入れよ!』

笑いを堪える零を尻目に、優姫は花柄の袋にトリュフをゴロリと入れると、真っ赤なリボンで飾る。
ふんふん、とご機嫌で鼻歌なんか歌いながら。
その手元でラッピングされていく、凶器のようなイガ栗トリュフ。
玖蘭枢が食べるだろうと想像して、また零は笑いを噛み殺した。
これは見物だ。
夜回りの時に部屋を覗いてやろうか。
そう悪戯心を巡らせて、零は喉の奥で笑った。
雑誌のトリュフと見間違うほどに完成された、自作のトリュフを箱に詰めてスカイブルーのリボンをかけながら。
…はて、このチョコ、俺は何のために作ったんだ?
こんなに気合いを入れてまで。
優姫の勢いに押されて一緒に作ってしまったが、ここまで完璧にする必要はなかった、と今さら我に返る。
自分で食べにしても虚しいような気がして、優姫の横顔を盗み見る。
どうせなら優姫にくれてやったほうがマシか、と零は小さく笑った。

『ほら、やる』

トリュフの箱は緩い放物線を描いて、ぽん、と優姫の両手に収まる。
見開かれた真ん丸い瞳が輝いた。

『本当!もらってもいいの?』

零の顔と綺麗にラッピングされた箱を交互に見て、満面の笑みを作る。
両手で大切そうに箱を抱きしめると優姫は、ちょうど良かった、と言ってまた鼻歌を歌う。
ちょうど良かった?
なんだか分からないが、優姫が喜んでいるならいいか。
こっそり笑って、零は荒れ果てたキッチンを片付け始めた。




ショコラトル・デー当日。

『押さないでください!二列に並んで、順番にチョコを渡してください!』

いつもより色めき立つ女子に負けじと優姫が声を張り上げると、後ろの門が開いた。
大きな歓声が上がって、人垣に飲まれそうになった優姫は首根っこを掴まれて零に救出された。

『紛れんなよ、チビ…行ってこい』

零が顎で指図する方を見ると、人だかりの向こうに枢がいた。

『…いいの?』

『今日のために頑張って作ったんだろ?』

呆れたように笑った零は、優姫の背中を叩く。
今日だけはの大目に見てやるから行ってこいよ、と。

『ありがと。行ってくるね!…あ、零の分もあるから、後でね!』

優姫はニコリと笑って踵を返す。
そのブレザーのポケットからはみ出したスカイブルーのリボンを見送りながら、零はまた呆れたように笑った。

『…どうせまた毎年恒例のパシリ券だろーが』

ズボンのポケットに手を突っ込んで、ざわめく女子生徒達を傍観する。
さて、こっからあのイガ栗トリュフを貰う玖蘭枢の表情でも観察してやるか。

ニヤける頬を引き締めて、零は騒ぎから離れた木に寄り掛かった。



『優姫…凄く嬉しいよ。これは、手作りかな?』

少し歪んだ形をしたスカイブルーのリボンを指で撫でながら、枢はこれ以上ない優しげな眼差しで優姫を見下ろした。

『はい、手作りです(零の)…あ、風紀委員の仕事があるんで、また!』

優姫は慌ただしく駆け出すと、騒ぎ出した女子生徒たちの鎮圧に取り掛かる。
枢は遠巻きにこちらを見ている零に気付くと、優姫からもらったチョコを見せつけるかのように持ち上げた。
口元に寄せて、スカイブルーのリボンにキスをする。
みるみると眉の皴を濃くする零を視界の端に捉えて、クスリと笑った。
残念だね。
優姫の手作りチョコは僕のものだよ。

『ふふ、今年のショコラトル・デーは最高だね』

優越感たっぷりに微笑んで呟くと、枢は零に背を向けて校舎へと消えていった。



『あの箱…俺が作ったやつじゃねーか』

見覚えのあるスカイブルーのリボン。
間違いない。
優姫は零が作ったトリュフを枢にあげたのだ。
複雑な表情で考え込んだかと思うと、零は突然笑い出した。
あいつ、優姫の手作りだと勘違いして嬉しそうにしてたな。
残念ながらあれは俺の手作りだ。
これはこれで傑作だ。
喉を鳴らして一人で笑う。

『今年のショコラトル・デーは最高だ』

先ほど枢が呟いた言葉とは知らずに、零も同じ言葉をこぼした。
だが、零はまだ気付いていない。
この後、真っ赤なリボンで飾られた、優姫のイガ栗トリュフを受け取るのは自分だということを…。




おしまい
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