モノクローム革命-黒-



今日も授業中の居眠りのペナルティーで、補習を言い渡された。
よりによって大の苦手とする、数学のプリント。
意味不明な数字と記号の羅列に、優姫は吐き気を覚えた。
隣には機械みたいに、ひたすらシャーペンを走らす零。
その指先をこっそり盗み見る。

『カンニングすんな』

『ちょっと写すだけだから、ね?いいでしょ』

『いいわけねーだろ。自分でやれよ』

零は肘でプリントをガードしながら、にじり寄る優姫の頭を押しやった。
それでも何とか隙間から覗いてやろうと、じたばたする優姫は零の脇腹をシャーペンで突いた。

『いてっ?!』

『あ、ごめん…くすぐったいかなーと思ったんだけど、違った?』

『尖ってるほうで突っつけば痛いに決まってるだろ!』

脇腹を摩りながら怒鳴る零は、優姫の頭を勢いよく叩いた。
小気味のいい音と、大して痛くない衝撃に優姫はケラケラと笑い転げた。
それを呆れ顔で見ていた零だったが、優姫につられてはにかむ。
無邪気な笑顔と、穏やかな時間。
優姫は思わず目を細める。
眩しいのは差し込む夕日か、それともふとこぼれた零の笑顔か。
こういう時間がとても好き。
零も、そうだといいな、と願いながら微笑み返す。

『あの、黒主さん…。ちょっといいかな?』

突然聞こえてきた声に、二人とも振り向く。
教室の入口の隙間から、遠慮がちにヒョイと顔を覗かせる男子生徒。
たしか隣のクラスの、名前は曖昧な記憶で思い出せなかった。
人目を引く栗色の髪に、爽やかな雰囲気の少年。
たしか、サッカーが上手な人気者で、同じクラスの女子にもファンがいたような。
名前は分からずとも印象深いのは、所謂モテる子だからだ。

『…え、と。風紀委員の仕事があるから少しだけなら、』

黒板の上にかかった時計を見上げると、まだ教室の入れ替えまで時間はある。
だか、目の前のプリントは白紙だ。
こっちのほうを仕上げないと、明日先生に大目玉を食らうに違いない。
零が写させてくれたらいいのに、と期待したが、すでにプリントを鞄に仕舞い込んでしまった。
鞄を抱えて立ち上がった零は、先に行ってる、と言い残して、早々に教室から出て行ってしまった。

『なによ、あんなにさっさと行かなくてもいいのに』

『もしかしたら、錐生くんは気を使ってくれたのかも』

すぐ後ろで聞こえた声に振り向くと、男子生徒が一つ前の机に腰掛けていた。
優姫は慌てて補習のプリントを机に仕舞う。
頭が悪いのは周知のことだが、目の当たりにされると恥ずかしい。

『ごめんね!え、と…』

『あ、間宮です。ちゃんと話すのは初めて、だよね。』

間宮の人懐っこい笑顔につられて優姫も笑う。
面識もほとんどないし、話したこともない。
一体、何の用件なのか気になりながら、机の上に散らばった筆記用具を片付ける。

『突然親しくもない奴にこんなこと言われて迷惑かもしれないけど…』

早くも本題に触れるような真剣な声音に、優姫は顔を上げた。
差し込む夕日が色鮮やかに教室を染め上げていた。

『好きなんだ、黒主さんのこと』






騒ぎ出す女子生徒達に向かって、通称【殺されそうな眼差し】で威圧する。

『錐生のケチ!』

『少しくらい、いいじゃない!』

批難の言葉を浴びても、顔色ひとつ変えずにガーディアンの仕事をこなす。
優姫が不在のためか、普段より恐ろしさが増した零の視線に女子生徒達は無言で後ずさった。
さっきの男。
多分、優姫に気がある。
直感で察した零は、気を使って席を外した。
今思うと、何に対して気を使ったのやら。
あの雰囲気から逃げた、と言ったほうが正解だ。
たとえ自分が邪魔な存在だろうが、優姫の隣に図々しく居続けるべきだった。
じゃなきゃ、今頃こんなにもムシャクシャしてなかっただろうに。
零は乱暴に髪をかき上げると、大きな溜息をついた。
教室の入れ替えは滞りなく行われ、騒がしかった女子生徒達も寮へと戻って行った。
夕闇には星が控えめに輝きだして、夜の始まりを告げている。

『零、ごめん遅れて!』

ぼんやりと空を見上げる零を見つけると、声をかけながら駆け寄る。
あぁ、もう教室の入れ替えは終わったんだ。
薄暗い広場には零がぽつんと立っているだけで、閑散としていた。
息を切らせながら、もう一度ごめん、と呟いた。

『別に…。夜回りはサボんなよ』

素っ気なく言うと、零は踵を返して男子寮へと戻ろうとする。

『あの、零。これから予定ある?』

『は?これからって…寮に戻って、飯食って、夜回りだろ』

零は足を止めて優姫を振り返る。
優姫はちょこちょこと走り寄ってきて、零のブレザーの裾をぐい、と引っ張った。

『相談、のってほしいの』

お願い、と手を顔の前で合わせる。
このお願い攻撃に弱い零は、眉をしかめながらも渋々首を縦に振る選択肢しかない。

『いいけど…何?』

『えーと、あー…うん、あのね、』

零を目の前にしたら、ごちゃごちゃした頭の中が整理出来ない。
口から出てくるのは、言葉と言うには未完成な単語ばかりで。

『長くなりそうだな。寮の部屋、行くか?』

親指で背後にある男子寮を指差す。
それとも、ここで立ち話か。
そう付け足して、言葉を選んで悩む優姫を見下ろした。

『いや、だって基本的に女子が男子寮に入っちゃうのは問題ありでしょ。それにみんな寮に戻ってる時間だし…零のルームメイトに迷惑だろうし、』

『あぁ、相部屋の奴は部活で戻るのが遅いから気にすんな。あとは…窓から入れば問題無いだろ』

窓からって…充分問題あるでしょ。
いや、問題あるから窓から入るのか。
しかも女の子に向かって窓から忍び込め、とは。
しれっとした顔でとんでもない事を言うものだ。
そもそも零に異性として扱われた事なんてなかった。
大切にされてる自覚はあるけれど、女の子として…は別だ。
兄妹のような関係で育ってきたから。
お互いに極力異性としての感情を、無意識に排除してきたのかもしれない。
そうしないと、いつまでも隣にいられないような気がして。
お互いに誰か別の大切な人が現れたら、おしまいになる関係。
そんな危ういバランスを保つ為に、隣には誰も置かないできたような。
兄妹なら、いつまでも隣にいるのが許される。
そんな幻想は大人になるほど、脆く崩れ去る。
そう知りながらも、今はまだ、と縋りついているのは零への甘えだろうか。
優姫はいつもと何ら変わりのない無愛想な零を見つめ返した。
普通、部屋に女の子を呼ぶって特別じゃないわけ?
あ、私は女の子じゃないから意識もしないってことか。
どこまでも無神経な零と、逆に過敏に反応する自分との温度差に若干腹を立てながらも、優姫は踏み出した。
相談を持ちかけたのは自分だもの。
それに問題はそんな事じゃなくて、さっきの【告白】されたこと。
女の子扱いしてくれない零と。
兄妹みたいに、どこまで行っても不偏な関係と。
ついでにこのゴチャゴチャした説明のつかない感情も。
いっそのこと、全部。
劇的な変化で解決出来ないだろうか。
まるで、革命が起きるよう。
黒から白へ、鮮やかに。

『窓開けておいてね!』

優姫は突っ立たままの零を追い越して男子寮へ足を向けた。




モノクローム革命-白- へつづく
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