霧雨の向こう



いつも当たらない天気予報。
横目でチラリと確認すると、今夜の予報は雨だった。
どうせ今日も当たらないだろうと踏んで、傘を持たずに来たのが間違いだった。
ひとしきりの校舎の見回りを終えると、雲は分厚く垂れ下がり、雨がパタパタと音を立て始めた。
濡れた土の匂い。
早まる雨足に、景色は砂埃でボンヤリと霞んでしまった。

『うわ、降り出してきちゃったね…』

優姫は中庭の木の下で、雨宿りをしていた零に駆け寄った。
制服に付いた雨粒をはたき落とす。
零も同じように雨に降られて、木の下に逃げ込んだのだろう。
白銀の髪から一筋、滴がこぼれた。

『ねぇねぇ、ここはハンカチとか貸してくれたりしないの?』

優姫は冗談混じりに笑うと、零は片眉だけピクリと動かしてポケットを探る。
深緑のタータンチェックのハンカチ。
優姫が去年買ってあげたものだ。
自分のことには無頓着な零は、着るものや身につけるものの世話を優姫が焼いたりしている。
零は折れ曲がったハンカチの皺を伸ばして、無言で差し出した。

『あは、催促しちゃった?でも嬉しいな。使ってくれてるんだね』

優姫は手を伸ばすと、ハンカチごと零に手を掴まれた。
覗き込む浅紫の瞳に射抜かれて、触れあう手が熱を帯びる。
零の血色の薄い唇が、優しく孤を描いた。
こんな風な零の笑顔、久しぶりかもしれない。
一瞬、見とれて胸が高鳴る。

『…このハンカチ、一週間は洗ってないけど、どうぞ』

『なにそれー!』

優姫は手を振り払おうと暴れたが、両手を拘束されて動けない。

『嘘だよ。じゃあ、トイレに行ったけど手を洗ってない』

『余計イヤー!』

大袈裟なリアクションの優姫に零は声を出して笑った。
捕まえていた両手を離すと、ハンカチを優姫の頭に置いた。

『ははっ、全部嘘だって。ちゃんと綺麗だよ。お前、本当にからかい甲斐があるな』

優姫はよほど悔しかったのだろう。
眉間にシワを寄せて、下唇を噛み締めている。
頭の上のハンカチをむしり取ると、零の頭をグイッと引き寄せた。

『バカ!アホ!ガキ!』

ヘッドロックを決めると、白銀の髪をガシガシとハンカチで拭く。

『ちょ、やめろ!』

優姫の腕から脱げ出そうと僅かにもがく。
それでも、楽しそうに仕返しだ、と笑う優姫を本気で振りほどけない。
むしろ、零は心の底ではこのままで…と浅はかな願いを唱えた。
そんな零の儚い思いを知ってか知らずか、ひとしきり零の頭をグシャグシャにして楽しむと、優姫は腕の力を緩めた。

『仕返し完了!』

満足げにポンッと零の頭を叩くが、無反応だ。
本気で怒らせてしまったのか…と優姫は零の俯いた顔を覗き込んだ。

『…おーい、零』

黒目がちな優姫の大きな瞳。
視線を絡め取ると、零は優姫を閉じこめるように抱きしめた。

『…頭ボサボサだね』

甘えるようにもたれかかった零の髪を撫でつける。
こんなふうにじゃれあっていられるのも、いつまでか。
急に冷えていく頭。
無邪気に笑い合った反動は、酷く切ない。
そんな些細な幸せは、自分なんかに許されるのか。
けれど、この手が恋しくて、すがりついた。
優姫に髪を梳かれる感覚に零は目を閉じた。
雨足はいつの間にか弱くなって、木の葉をサラサラと掠め撫でる音しか聞こえなかった。

『もう少し、雨が止むまででいいから…このまま』

耳のすぐ後ろから、零のかすれた声が聞こえた。
夜の雨は、人を不安にさせる。
視界を奪い、音を閉じ込め、孤独を誘うのだ。
きっと零もそんな雰囲気に当てられてしまったのかもしれない。
他でもない、優姫もしなやかな糸のような霧雨に目を細めた。

『…止まないと、いいね』

こつん、と頭をくっつけると、零は優姫を抱き締める腕に力を込めた。
お互いの体温も気持ちも溶け合ったのなら、霧雨が止んだ向こうには何が待ってるのだろうか。
その先はきっと晴れ渡っていて、ずっと一緒に歩いていける。
そう信じて、優姫は零の広い背中に手を回した。
雨を映していた瞳を閉じて、優姫は痛いほどの抱擁に小さな吐息を漏らした。





おしまい
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