[番外編]の木の女神様

これは今から200年近くも前の話。

私は山の奥で桃の女神様に出会ったことがあるのです。
お会いできたのはその一度きりだったのですが、それはそれは見目麗しい女神様でした。

こんな話をすると、神社のみんなにはあの山にそんな女神様がいるだなんて聞いたことがない、きっと夢でも見たんだろう、と言われてしまうのですが、とんでもない。
私は確かに女神様にお会いしたのです。
だって、私はあの日桃の女神様にもらった黄金の桃のお陰で兄の命を救うことができたのですから。


昔、まだ人間の姿にもなれなかった頃、私は弱くなんの役にも立たないただの兎でした。
祠を守るべく生まれた神の遣いであるにもかかわらず力が弱く、何をしても下手くそなだめ兎だったのです。
しかし私にはとても強い兄がいました。
同じようにして生まれたはずなのにどういう訳か兄は力が強く、霊力も高く、祠に悪さをする妖怪もあっという間に追い払ってしまえるのでした。
そんな兄に私は憧れ、いつも兄様、兄様と慕っていたのです。

ところがある日、その兄が高熱で倒れてしまいました。
熱は何日も引かず、兄は苦しみ続けました。
その姿を見て私は祠の主様に訪ねました。
どうにかして兄の病気を治す方法はないのかと。
祠の主様は答えました。
治すことができるかはわからないが、薬草を煎じ熱を下げることができれば兄の苦しみも少しは癒えるだろうと。
私はそれを聞いてすぐにその薬草を探しに行きました。

来る日も来る日も薬草を探しました。
しかし、見つかりません。
歩いて歩いて、もう山中を歩いたようにも思えるのに、私にはその薬草に似た形の植物さえ見つけることができませんでした。
それでも諦めきれずに薬草を探していたある日のこと、私はそれまで見たこともない景色に出会ったのです。
もう11月にもなるというのに桃の花が咲き乱れ、野原には蝶が飛んでいたのです。
桃の花はこの辺りでよく見かける濃紅色の五弁花とは違い、薄紅色のそれは立派な八重咲きでした。
山中を探したと思っていたのに、まだこんなところがあっただなんて。
私は希望を持ちました。ここならきっと探している薬草もあるに違いないと。
前足をあげ、立ち尽くしていた私は不意に聞こえてきた人の声に慌てて木の陰に隠れました。
力が弱いとはいえ神に仕える霊獣、人に姿を見られるわけにはいかないのです。

しかし、木の陰から見えた声の主もまた人ではないようでした。
私はそのあまりに美しい姿に目を奪われました。
袖のひらひらした淡い色の着物を纏い、両手を広げ、桃の木の下で舞い踊っている。
ああ、きっと桃の女神様なのだろうと思いました。

その足取りは、舞というよりは若干何というか、神酒を嗜みすぎた時の主様に似ている気もしたのですが、そこは女神様です。そんなはずはありません。きっと何か深い意味のある舞なのでしょう。

女神様ならばきっと薬草のことも知っているだろうと思った私は思い切って話しかけてみることにしたのです。

「女神様、こんにちは。」

振り返ったそのお方は、まさに桃の花のように頬を染め上げ優しく微笑んでいらっしゃいました。
これはいよいよ桃の女神様に違いないぞ、と私は思ったのです。

「あれ?君、見かけない子だね。こんにちは。」

女神様は兎である私に合わせるべくわざわざしゃがんでお話しして下さいました。
近づいてみるとヒックと小さなしゃっくりが聞こえてきます。大丈夫でしょうか。

「ここは貴方様のお庭か何かですか?山頂の方ではもう紅葉が始まっているというのに桃が咲いていて驚きました。」

「紅葉…?ああ、君山から迷い込んじゃったのか。まあそんなところだよ。綺麗でしょ。」

女神様は陽気に笑って私の頭を撫でて下さいました。

「実は私、兄の病気を治すため、ある薬草を探しているのです。山中を探したのですが見つけることはできず、ここへ迷い込んでしまったのです。何かご存知ではないでしょうか。」

私の話を聞いた女神様はいくつか私に質問をしました。
最初は兄の症状のお話をしていましたが、私達が神使であると話すと、女神様は難しい顔をしました。
あまり難しいことははっきりと覚えていないのですが、その後で石像の置かれている方角、私と兄の霊力の違いなんかもお話ししたように思います。
私の話を聞き終えると、女神様はうーん、と唸って随分考え込んでしまいました。

「その薬草なら僕の畑にもあるけど、それじゃあきっと君のお兄さんは治らないね。」

暫くして女神様はとても言いづらそうにそう言いました。

「え…」

「その薬草じゃあ一時的に熱を下げることくらいしか出来ないんだ。苦しみを癒すには投与し続けるしかないわけだけど、それは今の季節の日本ではどんなに探しても見つけられないものなんだ。」

「なんとか、なんとか苦しみを和らげる方法はないのでしょうか。兄様は毎日とても苦しんでいるのです。」

どうにかして兄の苦しみを和らげたい、その一心で私は食い下がりました。
しかし女神様は悲しそうに目を伏せてしまうのでした。

「それだけならいいけどね。君の話を聞く限り、原因は霊力の不足だよ。本来君とお兄さんは同じだけの霊力を持ってるはずなんだけど、君のお兄さんは一気に発散してしまうタイプみたいだから。」

話がよくわからなくて、困った顔で首を傾げる私を見て女神様はああ、ごめんねと言って言い直してくれました。

「簡単に言うと君が3日かけて消費する霊力をお兄さんは1日で使い切ってしまうってこと。だから霊力が足りなくなってしまうんだ。このまま放っておけばそのうち魂ごと消えてしまいかねない。」

「そ、そんな…」

難しいお話はよくわかりませんでしたが、兄が消えてしまうという事だけは私にも理解できました。
私は途方に暮れました。
兄はいつも私を助けてくれるというのに私は兄のために何もすることができないだなんて。
私は、両手で顔を覆って打ちひしがれました。
兎なので泣くことはできませんが、もしも泣くことができたのならきっと涙で水たまりができるほど泣いてしまっていた事でしょう。

「そんな…。こんな私ではやはり何の役にも立つことができないのですね。兄様、主様、ごめんなさい。」

私があまりにも気を落としてしまったので女神様は気の毒に思ったのでしょうか、掌を閉じた瞼の上にあてて黙り込んでしまいました。

まいったなあ、あの鬼に怒られるだろうなあ、でも仕方がないよなあ、そんな声が聞こえきたかと思うと、しゅるると何かが解けるような音がして不意に沸き立つように濃厚な桃の香りが鼻をかすめました。

顔を上げると、女神様が持っていた風呂敷を開け、包まれていた立派な桐の箱を開けているところでした。

中から出てきたのはなんと、黄金に輝く桃でした。

「これをお兄さんに食べさせなさい。」

女神様が差し出した桃を受け取ると、それはずっしりと重く、陽の光の下でもわかるほど、確かに輝いておりました。

「あの、これは?」

「特別な桃だよ。ここでも100年に一度しか実らないんだ。大丈夫、それを食べればお兄さんの病気はすぐに良くなるよ。」

「ほ、本当ですか!ありがとうございます。そんな貴重なものを。女神様、ありがとうございます。」

ありがとうございます、と私は何度も繰り返しました。

「め、女神様?まいったなあ。僕はシンジュウなんだけど。」

シンジュウ?と聞くと女神様はなんでもないよと言って笑いました。

元の山道へと帰る道すがら、女神様はお話をして下さいました。
女神様は私を片手で抱えながら手に持っていた瓢箪で、不思議な香りのするお水を飲んでいました。

「君はもっと自信を持ったほうがいい。自分は何の役にも立たないだなんて、言うものじゃないよ。」

「ですが、私は本当に取り柄がないのです。体も弱いし、力もない、霊力だって兄様に到底かなわないのです。」

「取り柄ならあるよ。君はとても美しい魂を持ってる。長く生きてきた僕が言うんだ。間違いないよ。」

「うつくしい、たましい?」

「そうだよ。僕は薬のことならなんだって知っているけど、それだけで全ての人を癒せるわけじゃあない。君にしか癒せない人が、いるはずだよ。」

女神様は優しく笑って私を見つめました。

「それに力がなくたって、役に立つことはできるよ。」

首をかしげる私に女神様はこめかみの辺りを瓢箪を持った方の手の人差し指でさしました。
少し舌ったらずな話し方でしたが、妙に説得力があります。

「知識をつけることだよ。なんでも知っているに越したことはないからね。さあ、行って。ここならもうわかるよね?」

「はい。」

そっと降ろされて振り返ると女神様のお姿は殺風景な山道の中で酷く不釣り合いに見えました。

「いつか桃源郷へおいで。兎を弟子にとる薬局があるから。」
「薬局、ですか?」
「うん。極楽満月って言うんだ。そこへ行って学んでみるといい。」
「まなぶ…」
「君が知りたいと望むなら、世界は変わるよ。」

そのお言葉は、不思議な響きを持って私の中に残りました。


祠へ戻り、兄に黄金の桃を剥いて渡すと、もうずっと食欲がなかったのが嘘のように美味しそうに食べました。
あまり美味しそうに食べるので、こっそり一切れ貰って口に入れてみると、それは今までに食べたことのないような味がしました。
濃厚なのにみずみずしく、柔らかな甘みが身体中に広がっていくかのようでした。

黄金の桃を食べた兄はその翌日には走り回れるほど回復し、翌月にはなんと人の姿を取ることができるようになりました。
主様は大変驚いたようでしたが、元気になった兄の姿を見てほっとしたように笑っていました。
そして5年ほど遅れて、私も人の姿を取ることができるようになり、少しは祠をお守りするのに役立てるようになりました。


黄金の桃の種は祠から少し離れた原に植えるとすくすくと成長し、綺麗な花を咲かせました。
その花はあの女神様のお庭で見たような薄紅色の美しい八重咲きだったのですが、いつまで経っても実がなることはなく、毎年春に美しい花を咲かせるだけでした。






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