消滅(キ)える愛(モノ)だから、美しいと囁いて…。
貴方に寂しい顔をして頂きたかったの…。
片隅でも、私を遺して頂きたかった…。


だから…


これは貴方の、三好様の為ではないのです。
私の、ただの自己愛。


言い切ってみせましょうね…?








「ねぇ、三好の部屋にこのコ置いてて〜」


「如何して?神永、お前が掬って来たんだろう。何故僕の部屋なんだ。リビングの方が皆が見れるだろ」


「三好は殆ど、部屋から出ないじゃん。クーラー入れた時だけで良いから。俺、絶対に死なせちゃいそうだしさ」


「…成程ね。仕方無いな。良いよ。貸して。」


「やった!温度調節してあげなくちゃ、夏は直ぐ死んじゃうもんな」



ちゃぷ…ン


私は、優雅に尾鰭を蠢かせた。
夜の神社の通り、神永様と仰る少年と隣にいた可愛らしい少女に選んで頂いた…。
何百匹といる私と同類から、奇跡的に掬い上げて頂いたのだ。




---やっぱりこのコが1番キレーじゃん。


---そうだね、神永君。綺麗だね。



おじい様とおばあ様に、心から感謝致しました。
素敵な…この家族に姿を見せる事が出来るのだから。
硝子鉢の中、オーロラに輝くビー玉のお家に陰を作る水草。
そしてお世話をしてくれるのはご友人様の様だった。
お名前は三好様。
私に名前も下さった。
下さった名前はxxx。
指先で貴方様が毎日、とても美しい顔で


コン、コン


と硝子を叩き、合図を送っては名前を呼ぶものだから…嬉しくて堪らず、その指先に幾度となく接吻けた。
私は貴方様に抱えられ、リビングと貴方様のお部屋に移動され…誰よりも近くに居座る事が出来るのだ。
私はクルリとドレスの裾を、ほんの少し持ち上げ、軽く水床をステップする。
貴方様の後ろ姿を眺めつつ、毎日毎日…ワルツを踊っていた。




……
………------




「起きて下さいな…此処では起きていなければ、貴方が死んでしまいますわ」




ゆっくりと…僕は目を開けた。
思考がグラつき、霞んで見える風景だ。
左右にスローモーションの様に、首を動かせば、圧力が掛かった様に鈍く動く。




すぅ…-----




「………ッ…?!


カ…ハッ…っ」


何だ-----


空気を肺に入れた瞬間だ。
喉咽の根本を鷲掴まれた様に、息が出来ない。
両目を見開き、掌で喉咽を胸元を押さえ込む。


「無理はなさらないで…。そっと、私の目を見て下さいな…目線、合わせて………そう……」


小川が流れる様な、透き通った音が聞こえ、僕はその音の主を見遣る。
片目は苦しさから閉じ掛けるが、確かに…誰かいるのは気配で判る。
僕は霞む目を必死でその音に合わせる様、見開いた。


黒い……女性。


「そう、そのまま…そのままでいて下さいな」


「………ん……ッ?!」


目の前の女性に、僕は顎を人差し指と親指で持ち上げられる。
丁寧に彩られた、黒地に桜が描かれたネイル…。
紅い口唇がゆっくりと近付き、僕と重なった。
柔らかな感触が伝わり、濡れた何かが口唇を割る。
歯列をなぞるものだから、僕は無意識の内に濡れた生温かい物の侵入を、許してしまったではないか。


舌先……?


ヌラリと口腔で蠢き、僕の舌と絡まる。
激しく無限を描くものだから…僕は熱気を発した。
向こうからしてきた接吻けに、僕の方がヤられている。
後頭部を押さえ付け、左手を掴み左右に傾きを変化させるた


「っ……はァ……」


「……ハァ、っ……
さて、息は出来まして?三好様」


「…な…んで…?……出来てる…」


「それならば良かったですわ。さて、何をして遊びます?」


ふわりとホルターネックドレスの裾を軽く持ち上げ、クルンと一回りして見せる。
僕は立ち尽くし、首を傾ける音の主に尋ねた。
貴女は誰なんだ…。


「私の名前…お忘れですのね」

「すみません…覚えていなくて。失礼だとは思ったのですが」

「敬語でなくとも良ろしくてよ。貴方様が常に傍に置いて下さったのですから。そうでしたわ!名前…


xxxと申します。いつも眺めて下さって有難うございます」


ちゅ-----


僕の頬を人差し指でなぞると、慈しむ様に一つキスを贈る。
僕は言われた言葉の意味が不思議で、けれど貴女…xxxさんがごく当たり前の様に言うものだから、流された。


気分が良い…


「じゃあ…xxx、髪如何して濡れてるの?」


僕は指先で貴女の髪に触れる。
と、驚いた。
触れ心地はサラリと乾いているにも関わらず、ポタリポタリと雫が髪先から滴る。
睫毛にも雫、ドレスからも雫…。


「xxx、貴女は…」


「三好様の髪は綺麗ですわね…」


「ぁ………いや、」


言葉が…詰まった。
無言の圧力を掛けられた様に、優しさの中の深い瞳に縛られたからだ。
白い指先で僕の髪に触れ、そのまま前髪に触れたかと思えばクシャリと掻き上げるんだ。
ひんやりとして、そして滑らかな掌…。
額に触れた途端、余りの心地好さで僕は瞳を閉じてしまう。


「夏は……お好き?」


「そうだな…余り好きじゃないな。暑くて思考が鈍るし。だからって、クーラーの部屋ばかりにはいられないだろ?」


「そうですわね。でも、何故最近は毎日クーラーを入れられるのですか?」


「ん?あぁ、金魚がいるんだ。たった一匹なんだけど。黒くて、夜店で神永が掬っって来たんだけど、一番綺麗な金魚だったらしくて。皆も気に入ってるし。夏だから、気温には気を付けないとな」


「……綺麗?」


「金魚の事?」


「えぇ。その黒い金魚…。普通は、赤い金魚の方が綺麗だと思うので。可愛いのが…お好きでしょう?」


「漆黒は綺麗だろう。良い色だ。綺麗な物は綺麗なんだ」



綺麗…。
彼女は何だか嬉しそうに呟き、知らない言葉で歌を歌い始めた。
不思議と…眠たくなる声で、僕はそのまま意識を吸い取られてく…。
まるで手招きされる感覚が、包み込む様に。





……
………-----




「…あれ…僕…ん?」


額に自分の掌を宛てた。
確かにベッドの中にいるのだが、何だか雲の上でも歩いたかの様な、浮力感があるのだ。
机を見れば、一週間前に置かれた金魚鉢。
ビー玉の絨毯、浮草に隠れて、静かに佇む黒い小さな金魚。


「お早う…xxx」


ベッドから這い出て、真っ先にガラスを突(ツツ)く。
それに気付いたのか…いや、偶然だろう。
僕の指先にそそくさと寄って来ては、接吻ける如く口を当てる。
僕はその行為が愛らしくて仕方なく、もう一度、「お早う」と笑い掛けた。


「入るよ―。オハヨ!なぁ、三好、図書館行くだろ?」


「あぁ、お早う。何か用事があるのか?」


制服でドアを開けて来たのは神永で…僕は伸びをしながら顔を向ける。
腕の中には、数冊の文庫。



「これ返して来て欲しいんだけど…良い?」


「良いよ。そこに置いといて」


「さっすが三好。ぁ、xxx、オハヨっ」


神永も僕と似た様に、指先で金魚に触れる。
鉢越しだが、プクプクと小さな泡を口から浮かばせ、クルンっと一回り。
返事でも返す様に…。


「じゃね、三好」


「あぁ」


僕はさっさと身仕度を済ませ、バッグを手にする。
携帯を開けば、実井からのメールが入っており…。


「行って来るな、xxx」


そう金魚に声を掛け、ドアノブに手を架けた


行ッテラッシャイマセ…


「ぇ………?





……空耳か…」


静かな川の流れの様な声がしたのだ。
僕は一瞬振り向いたが、ふ…っと勘違いに笑い、気にも留めなかった。
だって、この部屋は僕の部屋。


つまりは、僕しかいないし、いてはいけないのだから…。





……
………-----



髪を手櫛で整えて、ドレスの裾直し。
その仕種一つ一つが優雅。
僕は床に座り込む貴女の目の前に、丁寧にラッピングされた包みを開き出した。


「何ですの?それ……キレイ」


「だろう?水晶…クリスタルチェスだよ。インテリアに置こうと思って」


「キラキラ…三好様、素敵ですわね。チェスって」


「ちょっと高かったんだけどな」


「……2つ多くありません?」


「金魚鉢の中に入れてやろうと思って。遊び物になるだろ?」


僕は金魚鉢の隣にボードを置き、一つ一つ丁寧に持ち上げ…揃えて行く。
その時だ。
貴女がそっと僕の肩に寄り掛かり、うっとりとした目線を向ける。

冷たい…。

まるで氷水でも触れる様で、蒸し暑い躰の体温を下げる。
濡れる訳ではないが、指先で髪先を摘めば、僅かにしっとりと指先には水の跡。


「綺麗…だな……」

「えぇ、本当に綺麗」

「違う」

「ぇ……?……三好、様」


「貴女が…

xxxが綺麗過ぎるから…っ」



ドサ……っ------!!


僕は貴女の腰と手首を掴み、ベッドに落とした。
僅かに開かれた口唇は濡れて輝き、瞬きを繰り返す瞳は僕を一心に映す。
心が急く。
噛み付く様に吸い付いて、暴れる訳ではないのに手首を持つ僕の指先は力が篭る。
貴女の瞳が閉じられている事にも気付かずに、単に自分の気持ちが先走るままに、舌先を突っ込む。
自ら絡ませて来る舌だけれど、僕の熱をやはり全て奪うが如く、冷たくて仕方ない。
手首から話した掌で、僕は貴女を見下ろしながら…早急にシャツの釦を外してく。
貴女だって、反応しているのが判った。
薄い布…そう、サテンの様な艶いだ生地のドレスだが、所詮は薄いただの布。

勃ってるし……。

熱が上がる感覚が芽生えた…。
ドクリと波打った血液の流れで、"あぁ…興奮してるんだ"と僕は自分の感覚を実感する。
貴女は、ノーブラだろう。
でなければ、主張する頂きはこの様にはっきりとは判らない筈で。


「三好、様…」


ダメ、だ-----


「ッ……ごめんっ!


何やってんだ。僕…っ」


慌てて貴女を突き放す様にして、僕は離れた。
胸は未だにドクドクと激しく鳴るが、もう、これは興奮からではない。
過ちを犯しそうになった、未知の世界から、急に離れた事への慌てからだ。
僕は自分を罵倒しながら、前髪を握る様にしてうなだれた。

抱こうとしてしまった。

未だ、良くも知らない女性をだ。
見詰めた瞬間、これからの行為も意味も解らずにいる、しなやかな瞳が…正直責められている様にしか思わなかった。
その視線がいたたまれず、ベッドから立ち上がろうとした時だ。
何かに引っ張られる感覚。


「私……では、違いますか?


「ゴメン。xxxってさ…時々、意味が解らない。


本当は、誰だ-----?」


探ッテハ駄目-----


パチン…っ。




……
………-----




首に手を、当てた。
幾ら夏だからといっても、とんでもなく汗を掻いているのが判る。
Tシャツの首回りも、湿っていた。
何だか未だに胸が可笑しい事に気付き、僕は胸元のシャツををグッと握り締める。


「アレ………入れたっけ?」


ギシ…っ


鈍いスプリングの音が聞こえ、僕はベッドから降りると金魚鉢に近寄る。
息を潜めて覗き込むと、確かに二つ…クリスタルチェスが水に浸かっているのだ。
その場に座り込み、ハッキリしない意識の中で…僕は目を覚まる為に目元を擦った。


「何か怠いな…何でだろ」


ハァ、と一つ溜息を吐くと、クローゼットを開いて制服を取り出す。
今日は登校日だ。
もういつから、蝉のけたたましい声が響き、燦々と太陽が昇る。
手早く着替えはするものの、やたら…


頭が働かない気がしていた。





……
………------




季節が、変わった。
何故か貴女が現れる回数が、夏に比べたら、ガタリと少なくなった。
会えば必ず深いキスを一度交わす。
僕の生命力を奪う様な、無茶苦茶な乱暴なキスだ。


慌てずとも大丈夫だ。


僕は消えないよ。


いつも毎回口にするんだけれど、その度に後ろを向いて泣き出した。
肩に触れ様と、掌を伸ばせば…軽く首を振って笑顔だけ向けるのが、僕は嫌だ。
泣いていた筈の顔は一瞬にして変化し、どれが貴女なのか…判らない。


雪が降り出すと、泣いている。
口唇を噛みしめて。


僕が触れ様とすれば、笑顔になった。
軽く拒絶して。


意味が解らずに、僕も僕で、違う行為に走り…段々と貴女から離れた。
横を見れば、必ずいるので別に構わなかったのだ。


貴女の瞳が、濡れているなんて知らなかった。


僕は携帯を耳に宛て、笑顔を作った。
彼女からの電話だった。
ベッドに投げ置いていたコートを羽織り、財布と携帯をポケットに突っ込む。
ちらりとだけ目線を向けたが、最近の貴女は何を言っても無視をするものだから…。
僕はエアコンを切り、脇目も振らずに出て行った。


貴女にとって、そのドアの音が…。
世界崩壊と同等の音なんて知る由もなくして-----。





……
………-----




貴方様の香りが充満する、部屋。
段々、貴方様の血色も顔色も鈍い色に成っていくのが手に取る様に判る。
貴方様からキスを奪えば、私はこの姿を保てるけれど…限界だ。


「待って」


段々、段々とひんやりと冷え込むのが判る。
濡れた掌を、硝子窓にピタリと張り付け、口唇を動かした。
貴方様が傘を持って、そのワインレッドの傘が通り過ぎる様(サマ)を目に焼き付けながら。
私は掌を拳に変えていた。


「待って…」


胸が締め付けられていた。
ギュウっと根本を握られた様に、息苦しい程だ。
ドクドクと激しく波打ち、トン…っと力なく硝子を拳で叩く。


「待って。ねぇ…待って下さい…。

待って下さいッッ!…っ……三好様!待ってッッ!!」


ガチャガチャと壊す様に、慌てている所為で乱暴な指先だ。
鍵を無理矢理こじ開け、ガラリと硝子窓を開ける。
手摺りを引き寄せる様に握り、精一杯声を張り上げる。


「待って…待っ…て……三好…さ、

待って…下さ…いッ…

ゴホっ、ケホ…ッ…!


み…よし…さ…ま…」


息ガ、出来ナイ。

躰ガ、渇く。


ズル…りっ-----


待って。
何度叫ぶのだろう。
好きよ、一言も言えずにいるただの魚。
戻る、戻ってしまう。

冷たい…わね、風…。

私は泣いてしまっていた。
恋ではなかった筈だけれど、貴方様を今更好きだと気付く。
水気が亡くなる躰が、水を求めるけれど…鉢に戻る気力もなかった。

三好様の…。
香りがするならば、もう良い-----


「ゎぁッ!?な、何でxxxこんな所いんの?まだピチピチしてる!?やだやだッ。死んじゃ駄目だよ!!水に返してあげるからなっ。

も〜…びっくりしたー…。


どうやって鉢から飛び出したんだろ…」



…躰に…水気を感じた。
冷たい床から持ち上げられ、水滴が落ちる小さな音を立て、潤いが全体を包む。
私は沈む様に躰をチェスに寄せ、そっと…そっと


泣いていた-----。





……
………------




「ねぇ、如何して…そんな切り傷や掠り傷だらけなの」


椅子を180度回転させ、僕に背中を向けたまま、窓に躰を凭れさせている。
腕、脚(アシ)、良く見れば耳もだ。
赤く爛れた様な傷も見れる。


触れたい-----。


トク…ん、と穏やかな、熱情が躰を走った。
まるで泣いている様な背中に、僕はいたたまれず椅子から離れた。
貴女は僕の問い掛けに何一つ言わず、振り向きもしない。


「xxx?」

「………」

「……少し、話して良い?」


僕は貴女の後ろに立ち、見下ろしていた。
デスクのスタンドだけの明かりで、ぼぅ…と僕と貴女の影が延びる。
何か言わなければ、貴女の存在等、全く感じられずにいる様な暗い部屋。


「話したい事は、たった一つなんだ。たった一言だけ言わせてくれないか?」


「…………」


「好きだ」


貴女がそのまま、天井を見た。
虚ろで、まるで誰かに操られた様に、自分の意思ではない様に。
ゆっくりと、また顔を伏せて、今度は躰を半分後ろに向ける。
僕に向ける。
戸惑いながらも、僕の姿を伺い、見上げる表情(カオ)はとても不安気。


「好きだよ、xxx。


ねぇ、掴んでよ。僕の手」


戸惑う表情(カオ)。
震える指先。
けれど、そっ…と。
そっと伸ばしてくれた掌。
僕は思い切り握り、グッと引き上げた。


「キャ……っ」

「捕まえた」


ぎゅ…ぅ-----


僕は笑顔を満面に浮かべ、腕の中に貴女を収めた。
鳴咽が微かに漏れ、僕は傷に触れたのかと慌てて放したのだが、「嫌だ」と首を振って抱き締め返す。
僕はその姿がとても愛しくなり、両頬に掌を添えた。


「ね、今日は僕からキスして良い?」


「……三好様、から?」


「嫌?僕とのキス」



「………嫌では、ないですけれど…」


「じゃあ、しよう」


貴女が左右に目線を泳がせ、真ん中に戻った瞬間。
僕は右耳に髪を掛けてやり、目元を撫でた。
擽ったそうに、肩が縮こまる。
けれど、真っ直ぐに正面を向くと、僕と目線を合わせた。
ゆっくり…と、睫毛が伏せられ、瞼が閉じられるんだ。
僕はその温かい美しさに当てられ、いざ口唇を合わせるとなると緊張してしまう。
ドキドキと高鳴る胸の内に、負けない様に必死になる。


「好き、だよ。xxx」


時間を、止めるのは容易い。
愛が、そこにあれば安易に止まる。
そこが、終点だとも知らずにね-----。


僕は、貴女に接吻ける事で…満足していたのに。

それからの僕等は、仲慎ましい恋人達の様に見えただろう…。
夜中、ベッドの上で何をする訳でもなく小さく唄う貴女は、ご機嫌だ。
背中越しからでも判る程。


「コホ、ケホっ…」


口元に軽く握った手を宛がった。
喉咽がイガイガし、中々タンが上がらずにいる事が増えている。
僕はさっきからずっと咳込み、ペン先は止まってしまう…。


「三好様?お風邪ですか」


「ん…判らないんだ。この間からずっと。風邪薬飲んでるんだけどな」




「………私の……所為…だわ……」




「ぇ?何か言ったか?」

「いぇ。今日はお休みになられたら?」

「……寝たらxxx、急にいなくなるじゃないか。一言位、言ってくれるなら未だしも」


椅子から立ち上がり、僕もベッド縁に腰掛ける。
貴女がそっと掌を僕の額に宛がい、「微熱っポイですわね…」と吐息混じりに呟いた。
僕は「平気だ」と言いたかったのだが、目の前でパチンと掌を合わせられた途端…急に暗くなった。
暗くなり、遠退き…感覚が、なくなる。


いつもだ-----。





……
………-----




くるん、くりん、


くるん、くりん…


ドレスの裾を持ち、クリスタルのチェスの回りを何周も回っていた。
彼とキスを繰り返す度、切り傷だらけだった傷も回復に向かう。
だが、脚の傷だけは一行に消えず、悪化しないだけがマシだと言えよう。

これ以上進めば…私も危ないわ。

化膿しない様に、成るだけキスを長引かせるが、彼も限界が近い。
私に生気を吸い取られるお陰で、弱り出すのが目に見えて判る。


『はよ抱かれな…そちも辛かろうに』


フッ…と上を見上げれば、紫煙を揺らめかせる水神(ミカミ)様のお姿が在った。
水類全てを司る女神…。
蛛の糸の様な透明な髪をユラユラと揺らし、私の口唇に細い細い人差し指を宛がう。
6センチはあるであろう尖る爪は水色の光沢を放ち、ツゥ…っと掠る。
鋭い眼球は瞬き一つなく、私を射抜いては睨み付けた。


『ヒトと我等は違う。そちは…何を期待しておるのじゃ?』


「………彼を、愛しました。何も望む物はございません。愛しただけでございます」


『たわけ!そちは踏み入り過ぎやわ。こないに爛れてしもうて…。早ぉ、抱かれて終わりなはれ。愛して如何(ドウ)する?そちは魚や。履き違えることなかれ。夢ゆめ夢見ること、なかれ。夢は夢で終わりんしゃい。恋など、魚同士でやることさね。ヒトを愛しただの、戯れ事。そちは選ばれた魚というに…一つにこだわらんでも他にも幾らでもおろう』



「………私は、そうは思いません。


私は、そうは思いません。一つに懸けられぬ恋等、しない方がマシで御座います。魚だろうとヒトだろうと、愛した事に変わりない。それで我が身を失う事になろうものならば、本望ですわ。


どうぞ、お引取下さいませ。水神様」


私は立ち上がり、此方も瞬き一つせずに立ち向かった。
扇を仰ぎ、微かに眉間に皺を寄せる。
水の世界に置き、水神様に盾突くとはご法度。
二度と生まれ変わりはないだろう。
だからこそ、出来る歯向かい。


『そち、我わの忠告に歯向かうとは…理解っておるのか?』

「勿論でございます。でなければ、貴女様に盾突く訳がないでしょう。全て承知の上ですわ」


『理解り切った様な表情浮かべおって。そち、


死ぬぞよ-----』



「本望ですわ」




『……勝手にしなはれ』




ブク…くっ-----


大きな泡を一つ吹き、私は衝撃で壁に打ち付けられた。
水神様の怒りを買った…後には、後退は利かない。


「何だか…楽ですわね。手枷足枷無くなりましたし」


これで、あの方を普通に愛せる-----。


それだけで十分だった。
打ち付けられた背中は少し痛むが、自由の代価に比べれば安いものだ。
私はまた…踊り出した。


くるん、くりん


くりん、くるん……





……
………------


けれども、時間なんて最初からなかったのだ。
私が踊り明かしている最中、彼の体力は限界を越えていた。
毎夜会う度に交わす口唇は、あれほど荒れ乾いていて、罅(ヒビ)割れてていたのだ。
気付かない私は、どれ程浮かれていたのだろうか…。
気付いた時には、私の肩に凭れ掛かり、ただ…掌を握る彼。


「夏も冷たかったけど…。やっぱり冬も冷たいな?xxxの手。


気持ち良い位だ」


笑わないで。
笑わないでいて。


笑っては駄目なのですよ。
笑っては、駄目。


これ以上、笑わせては、駄目-----。


「一つ、三好様のお口から聞きたいんですの。……宜しい?」


「何?改まって。ゴホッ、ケホ…っ。ごめん。

何?」


「私を、一瞬でも愛して…


下さいましたか-----」


穏やかに笑った。
私の髪を梳き、真っ直ぐな瞳が包む。
私を、見る。


「当たり前、だろ」




覚悟は、出来た-----。

貴方様のお部屋を飛び出して、初めて、外の道程を辿る。
どんよりと空は堕ちて来そうな程、グレーな雲は垂れている。
道行く途中で、何かで足の裏をザックリ切ったが、冷たさで実感はない。
私の中身は、揺れては返していた。
たっぷりの水を含ませて、今、貴方の元へと行こう。
軽い足取りで、一匹の猫が「ニャァ」と鳴いたけれど…私の姿は見えないでしょう。
進んだ跡と言えば、赤い血痕だけ。




「待ってて…


未だ、逝かないで…


私が、三好様を戻しますから」


走っていた。
気付けば、走っていた。
数日前に貴方様が運び込まれた白い建物に入り込み、彼の息苦しい吐息を辿る。
伝わる熱い、体温が酷く痛い。


ス…-----


「まだ、私を置いて行かずにいて下さいましたわね」


「っえ?!……君、誰?」


「お話は後。今は、彼と…三好様とお話したいんですの。宜しいかしら?神永様」



瞳が、私の進む傍を追う。
私は貴方様の左側に回り込み、そっと呼吸器をたどたどしい指先で取り外した。
頬に触れれば、一瞬にして掌に汗を掻く。


「酷い高熱ですわね。…私の所為ね。三好様、苦しいでしょう…?


ごめんなさい。

ごめん、なさい」


嫌でも、涙が後から後から流れ行く。
頬を伝い、シーツに落ちた。
幾つもの染みが出来る頃、私は何度も何度も彼の額に触れた。


吸い取って。
吸い取るの。


xxxノ掌ッテ、
夏デモ冬デモ冷タインダナ-----


僕は、好きだよ

そう言ってくれた掌だから…私は自分が好きになれた。
涙を流しながら、私は幸福せだった。
夢ではない、彼に触れる。



「出来れば、三好様の目が覚めた時にキスしたかった…。

でも、贅沢ですわね。私。ごめんなさい。そして…

愛して下さって、ありがとう。


これからも、もっと…もっとヒトを愛して?」


ちゅ…-----


「これで大丈夫。必ず、回復致しますわ、神永様」




「…君……金魚?俺が三好に押し付けた、あの金魚だよね…?」


「いつも気に掛けて下さって、有難う御座います。貴方に"綺麗"って言われるのは、とても居心地が好かったんですのよ?神永様。


三好様にもお伝え願えます?


当たり前、と仰って下さって、私はとても幸福せでした。と…」


私は神永様の頬に一つキスを贈り、ニッコリと笑顔を浮かべた。
少しばかり照れたのだろうか。
両頬が朱色に染まり、俯きながらコクリと頷いて下さった。

息が乱れていた。
熱が体内に篭り、フラフラと頭がする。
肌は荒れ果て、口唇にも水気等一切ない。
足裏の傷は深く、歩いた帰路でまた傷付けた。
深く抉れて肉が見える。


「やはり、この部屋が一番落ち着きますわね」


ドアに寄り掛かり、彼の香りに酔いしれる。
息苦しさの中で、安心という感覚が走る。


「生まれて来て、本当に良かった…」


フラつく足で、チェスボードに近付いた。
親指、人差し指、中指で一つ持ち上げる。
クスクスと笑う。
貴方と一度だけ、遊んだゲームの様に。
この人生は楽しかった。
魚が、ヒトを愛せた。


「言いたかった…ですわね。私が、生きている内に。ね、三好様。ありがとう。


さようなら………」


満ち足りた、別れだった。
彼の香りの世界の中で、ゆっくりと浮上出来る。
彼を愛した自分を、胸を張って…


好きにならせて下さったヒト------。





……
………------



僕は、タクシーの中で心、此処に在らずだった。
一通り話をする神永の言葉等、右から左…。
熱が下がり、退院するとなった途端に、彼女は現れなくなった。
頭から離れないのは、厭味な程に綺麗な微笑み。




「聞いてる?三好」

「あぁ」

「しっかり聞けよ。そしてさ、言ったんだよ…

"当たり前"って言って下さってありがとう-----

って。凄く、凄く綺麗な笑顔で」




「今、何て言ったか?神永ッ」


「だからっ……当たり前って言ってくれて、有難うって伝えて欲しいって。足首まである黒髪で、ホルターネックの黒いドレス。指先は黒いマニキュアで………って、三好?」


頭を抱えた。
身を縮こませて、下口唇を噛み締める。


家に、帰りたくない…。


酷く、そう思った。
貴女を殺してしまった。
その感覚だけが、全身を駆け抜けていたのだ。
自分のあれ程の熱を、貴女が背負ったならば…躰はきっとカラカラに渇いてしまっただろう。

好きだよ
好きだ

大好きなんだ…


泣いたって仕方ないからと、泣かせてはくれなかった。
タクシーから降りた途端、コートにはポタポタと大きな雫が落ちる。
僕はふと頭上を見上げれば、空から降る…液体。


「寒い筈だよな。雪だもん。ホラ、三好、突っ立ってないで入ろうぜ?振り返すよ。」


「雪……か」


神永に促され、家に入り込む。
まるでカウントダウンの様に、階段を上がれば胸がざわめく。
嫌な程の冷たさで、僕は一言も言葉が出なかった。


「ホラ……やっぱり、な」


水面に浮かぶは、真っ黒い金魚。
尾鰭がボロボロで、浮かぶ姿。
僕は眺めながら、人差し指でそっと撫でた。
その瞬間、僅かに沈み…また、浮かんで来た。
余りにも、早く。


「xxx、馬鹿だな…。こんな方法でしか、僕を救えなかったのか?


本当に、馬鹿だよ」


ポタ…


ポタり、ポタ…


貴女と出逢ってからは、涙腺が壊れていた。
どんなに目を閉じていても、落ちる…落ちる涙。



「……?」




急に生暖かい掌で、目元を覆われた。
僕は戸惑いながらも、直ぐにその掌が外され、後ろを振り返った。




fin…xxx
2016/09/01:UP

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