傲慢の器
「なあ、強くなれよ、ディーノ。伸び代がある時に、伸ばせるだけ伸ばしとけ」
「なんだよ、いきなり」
「あの女が何かするなら、それを阻むのはお前たちの世代になるだろうからさ」

九代目とその守護者達は、戦うには歳をとりすぎている。初老に入る嵐や雲は言うまでも無く、一回り若い雷や雨や霧も、全盛期はとうの昔に過ぎている。
クレアが十代目を決める時、まともに戦えるのは唯一若い『晴』だけだろう。そして、『晴』は九代目を裏切らないが、『姫』はその限りではない。

「何が来ても対応できるよう、強くなっとけ。俺らはたぶん、助けてやれんからな」
「俺らに丸投げかよ。大人は高みの見物か?」
「ああ、見物してるだろうよ。高みに居られるかはわからんがな」

玄関の方から、『姫』が呼ぶ声が聞こえた。今行くと叫び返して、『雷』はシガレットケースを開いた。独自にブレンドした葉っぱをシガレットペーパーに巻いて、火を付ける。
葉巻の気取った味や紙巻きの機械的な味よりも、自分好みの味にできるのが手巻きの良い所だ。ラムの強い味に気をよくし、『雷』は煙を吐き出した。

「高みじゃなかったら、どこから見てるんだよ?」
「良くて病院のベッド、悪けりゃ地面の下からになるだろうな」
「状況、そんなに悪いのか?」
「それが分からないから、こんな冗談を言えるんだよ」

軽口で混ぜっ返し、『雷』はドアノブを手放した。むくれたガキがぶつぶつ不平を垂れているが、構わず玄関へ急ぐ。ただでさえ心に余裕のないお姫様はさぞお怒りだろう。

廊下を抜けると、玄関ロビーでクレアを見つけた。剣を持った銀髪の青年を捕まえて、楽しげに話をしている。
その青年の顔を見て、『雷』は驚いた。ボンゴレ上層部にも噂が上る天才剣士、ディーノの服を切り刻んだその人だったからだ。

喧嘩の一件を咎められたのか、喧嘩で殴られたのか。頬にガーゼを当てたその顔は、お世辞にも近寄りやすさを感じられる表情ではない。
遠くから見ても、機嫌が悪いのは判る。それなのに、クレアは無邪気に――まるで本当の子供みたいに無邪気に、彼に話しかけている。

「うるっせえええ!あっちいけクソガキ!」
「お前の方がうるせーよ!」

こめかみがぴくぴくと震えているのを見て、そろそろキレると『雷』が思った瞬間。スクアーロが、爆発音並みに喧しい大音声で怒鳴りつけた。
それがあまりに煩いので、『雷』は両手で耳を塞ぎながら怒鳴り返した。

「あ?なんだ、オッサン。このガキの連れか?」
「そうだよ。ってーか、失礼するなよ、そちらは天下のボンゴレ九代目のご令嬢だぞ」

予想外の大音声に目を回しているクレアを指差し、『雷』はわざと恭しげな声でそう教えた。勿論、噂に聞いた不倶戴天なクソガキが、肩書き程度で態度を改めないと分かった上でだ。

「ハッ、ボンゴレねぇ。親父に似て腑抜けたツラしてんじゃねぇか」
「九代目の悪口は感心しないぞ。『姫』、大丈夫か」
「え、ええ」

豆鉄砲を食らった鳩みたいな彼女の頭を突っつき、戻って来いと催促する。すると、外部刺激に反応し、驚愕の淵から戻ってくる。
耳鳴りがするのだろう、彼女の両手は遅ればせながら耳を庇うように耳朶を包んだ。

「大丈夫、すごく驚いただけ。あなた、とても声が大きいのね」
「地声だ、悪ィか」
「悪くはないけれど、少し……少し、怖いわ。まるで怒られているように思うの」

くらくらする頭を抑えながら、クレアはどうにか考えを纏めようとした。しかし、連日の睡眠不足や疲労が押し寄せてきて、全くまとまらない。
混乱した頭と裏腹に、口ばかりが無駄に動き続けていた。

「怒られるのは嫌いよ、とても哀しくなるもの。もうすこし、小さな声で話してほしいわ」
「……ケッ、だったら俺に話しかけなきゃいいだろーが」
「だって、貴方、剣を持ってたから。もしかしたらって、思って……」
「正解だぜ、『姫』。こいつが件の剣士、スペルビ・スクアーロだ」

『雷』が彼の評判を簡単に説明する間、スクアーロは一度も口を挟まなかった。悪行を弁明することもなければ、己の才を誇示することも無い。
人からの評価など歯牙にもかけぬのだろう。

しかし、クレアはその態度に、堂々さよりも傲慢さを感じた。そして、彼がまったく自覚していないことも。若さを差し引いても、並々ならぬ強さを正当に評価しても、それが驕りであることは間違いないのに。

これは確かに、下部組織のスカウトなど相手にしないだろう。彼を跪下に就かせられるのは、彼以上に傲慢で強い人だけだろう。決して敵わないと、一目でわかってしまうような、そんなろくでもない奴だ。

「道場破りが好きなのね。剣豪と戦うのは楽しいの」
「殺し合って、勝って、強くなる。これ以上に楽しいことなんざ有るかよ」
「そう。ならば、剣帝とも当然、戦いたいのでしょう」

不機嫌そのものだったスクアーロの顔に、緊張が走る。剣を持つ手が、期待に踊るように震えた。しかし、その目は強い警戒心を湛え、クレアを睨みつける。

「何が言いたい、ガキ」
「聞いただけよ。でも、戦ってはくれないのでしょうね」

図星を突かれ、スクアーロは眉を寄せた。剣帝との対戦は剣士なら誰もが夢見ることだが、容易に叶うものではない。
彼はボンゴレの暗殺部隊を束ねる隊長であり、その所在を掴むことさえ極めて難しいからだ。

仲介者が居れば話は別だろうが、スクアーロにそんな伝手はない。もともとマフィア出身ではないし、どこのファミリーにも属していないからだ。
頼れる人などいないし、いたとしても誰かに貸しを作るのはプライドに反するので頼まない。

スクアーロには、向こうから来るまで名を広めるより他に方法がなかった。甲乙付け難しとなれば、周囲が勝手に決闘の機会を設けてくれるだろう。
それまでは、道場破りで強くなりながら名を上げて行くしかない。

そう思っていたが、今この瞬間こそ絶好の好機なのかもしれない。なにせ、目の前に居るのはドン・ボンゴレの娘と守護者の一人だ。暗殺部隊のボスと渡りを付けるくらい訳ないはずだ。

スクアーロはようやくその事に思い至り、改めてクレアを見た。無邪気な子供そのものだった彼女が、すっと双眸を細めて笑む。
奇妙に大人びたその笑い方に、スクアーロは強烈な違和感を感じた。マフィアの闇というものがあるとしたら、それが彼女の中にあると思えるほどに。

「渡りを付けても良いわ。質問に答えてくれるなら、だけど」
「質問?」
「剣帝テュールに、勝てる?」

これは侮蔑でも疑問でもない。問いの形を借りた、宣誓の要求だ。勝てると、勝ってみせると言わなければ、その瞬間に人生すら敗北する。
名誉と命が天秤にかけられた事を直感し、スクアーロは間髪いれずに答えた。

「勝てる」

普段の声量が嘘のように静かな、しかし厳然とした宣誓。自信や驕傲は影も無く、純然とした覚悟のみが伝わる。
耳に痛いくらいの静寂が続き、――クレアは笑いだした。最初はクスクスと、次第に声を大きくして、腹を抱えて笑う。

『雷』は天上のフレスコ画を仰ぎ、そこに渦巻く笑声に頭が痛くなった。この若い剣士はきっと、剣帝と戦いたい一心なのだろう。もし自分が勝った時、それが何を意味するのかなんて、何一つ考えていない。

ふつりと笑声が絶え、『雷』はクレアを見下ろした。ここ最近では見ないほど、上機嫌だ。一体何がそんなに楽しいのかと思うほど、楽しげに見える。

「お気に召したかい、プリンチペッサ」
「ええ、とっても。気に入っちゃったわ」
「そりゃ良かったな。俺は今から、その時が恐ろしいよ」

わざとらしく震えて見せつつ、『雷』は溜息をついた。『姫』が渡りを付けると言った時点で、剣帝との決闘は確定したも同然だ。
たとえ実際に連絡する『雷』が嫌がったとしても、他の人を動かして実現するに違いない。血も繋がって無いのに、そういうところは九代目そっくりだ。

そして、九代目との長い付き合いで、『雷』は十二分に学習している。こういう人達を相手にする時は、すっぱりさっぱり諦めを付けるのが一番疲れない。
吸い終わったタバコを携帯灰皿に押し込み、『雷』は玄関扉を開いた。
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