投じられた一石
薄っすらぼやけた視界を、走馬灯が駆け巡る。最初に思い出したのは、恐る恐る地下牢に来た弟だった。
――貴女が『姫』……僕のお姉さん、ですか
母親と同じように、地下牢に来たティモッティオ。泣いて帰るところまで母親とそっくりで、呆れて溜息をついた。

――今年、小学校に入ったんですよ。可愛いでしょう
子供の写真を誇らしげに見せる、ダニエラ。彼女は知っていたのだろうか、その子が地下牢に来たことを。
――名前を付けてほしい
最初に見せられた、赤ん坊の写真。思えば、これがすべての始まりだった。彼女はどうして、そんなものを口実に歩み寄ろうとしたのだろう。

マフィアの渡米。バルカン半島への過干渉。世界大戦での陣営。その折々に、マフィアの在り方を巡って、当時のボスと対立した。言葉にできないほどひどい仕打ちも受けたけれど、彼らに恨みはない。彼らもまた、自らの大切なものを守ろうと必死だったのだから。

――脆弱な意志は、ボンゴレに不要だ。幻想とともに死ね
身を焦がす、熱い炎。全身を焼かれる激痛が思い出される。揺らめく炎の向こうに、セコーンドの顔があった。許せと訴える彼の目に、決して零れることのない涙を見た。高潔の魂をもった彼を、クレアは確かに愛していた――その手にかかろうとも。

――お前だけは、俺を裏切るな
泣きそうな声でそう言った、最愛の兄ジョット。彼は日本で、心から笑えただろうか――幸せに生きられただろうか。守護者たちと写真を撮ったとき、とても嬉しそうだった。あの日々がいつまでも続いたならば、どんなに良かっただろう。

「……私、は――」

私は、ジョットの妹。彼の愛したものを守るために、この地に穿たれた楔。しかし、ボンゴレファミリーは変わってしまった。権力と富しかない、こんな場所。こんな場所を望んだのではない。こんな組織を作りたかったのではない。
彼に会いたい。ジョットに会って、許しを請いたい。もう一度。どうか、もう一度――そう願ったのを最期に、クレアの魂は器から解き放たれた。


八代目の娘としての人生を終えて、クレアは彼岸に降り立った。本来なら人は、死ねば輪廻の輪に入る。しかし、クレアは役割を持つ身だ。全てを忘れて新たな命に生まれ変わることは、許されていない。ボンゴレボスの血筋に新たな器が作られるまで、この魂は彼岸に留め置かれる。

「次は、まだまだ先でしょうね」

八代目はまだ若いから、子供を身籠ることはありうる。しかし、彼女が再びクレアを生むことはないだろう。クレアの転生は基本的に、後継者となる子供の出生前後だ。八代目が老いるまでの間に、十代目が必要になるとは思えない。
九代目はまだ十代と若く、道を踏み外すほど愚かでもないからだ。彼が結婚し、子を――クレアの器を作るのは、まだずっと先だろう。その時まで、クレアはこの世界でゆっくりと休息をとる。此処でならば、現世では絶えず張り詰めていた心を、ありのままに解き放つことができる。

寂しくなるくらい静かな水辺で腰を下ろし、芝生の上に身を横たえる。草の臭いを懐かしみながら、クレアは目を閉じた。精神的に疲れ切っていたからだろう、瞬く間に眠りに落ちる。今度こそ悪夢ではなく幸せな夢が見たいと思いながら、彼岸で一人、転生の時を待った。
冬のフィレンツェを思い出させる、霧に埋もれた世界。時間が止まったと錯覚するこの世界に、クレアの愛するものは一つもない。代わりに、恐れるものも何一つ存在しない。楽園とも地獄ともつかぬその場所で、クレアは日がな眠り続けた。

そして、気が遠くなるほどの時間が経ったある日。クレアは彼岸から現世へと引き戻され、産声を上げた。イタリアからはるか遠く、ボンゴレに何のかかわりもない、一般人の腕の中で。
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