知らない恐怖

団子を食べた後、瑜葵達は着物を見て回る事にした。

桜の枝に蕾が付きはじめれば、夏はもうすぐそこまで来ている。
甲斐に来たばかりの瑜葵に、夏用の着物を仕立てなければならない。

反物屋を城に呼んで品を買い、城の縫物係に仕立てさせるのが普通だ。
だが、店を訪った方が反物の種類が豊富で、選びようがあると考えたのだ。

信玄と幸村が人ごみをかき分けるために先頭にたち、瑜葵はその後をついていく。

不意に、背後から手を取られて、瑜葵は一瞬足を止めた。
途端に人ごみに巻き込まれ、さらに手を強く引っ張られる。

「あ、……待って」

瑜葵の前を歩いていた二人は振り返ることなく、ずんずんと歩いて行ってしまう。

二人は見る間に人ごみに紛れてしまい、瑜葵は慌てて手を引く人を振り返った。
まずはこの手を離してもらわなくては、二人を捜せない。

「……誰、ですか」

全く知らない三人組が瑜葵の背後に立っていた。うち一人が、瑜葵の手を掴んでいる。

町人の装いだが、妙に着なれない感じがして、違和感がある。

その姿を見た瞬間、思考を越えて、瑜葵の本能が警鐘を鳴らした。
一刻も早く逃げなくてはならないと気が急いて、瑜葵はじり、と後ずさりした。

だが、腕は掴まれたままで、距離は空けようにも空けられない。

「お探ししましたぞ、『甲斐の姫』………いいえ、巫女よ」
「……はい……?」

「宮司です。かの社で、貴女の神事を補助しておりました」
「巫女」
「我らの巫女、ご帰還を」

口火を切った男に続き、後の二人も同様の言葉を繰り返す。
言い募るさまは、どこか狂気じみて映った。

「離して、ください。私は、」
「何をおっしゃるのか」
「巫女は俗世に居てはいけません」
「巫女は帰るべきです」

「離して……!私は、巫女じゃ、ない!」

強く腕を振り払い、瑜葵は走り出した。ばたばたと走る音が追従してきて、瑜葵に戦慄が走る。
人にぶつかりながら、人ごみの中を逃げまどう。

何かが、この三人はおかしい。

恐怖がひたひたと満ちてきて、目頭が熱くなる。息が切れ、喉が引き攣れる。
転びそうになる足をなんとか前に踏み出させる。

被衣が、風に掠われる。長い黒髪が風にさらされ、ばさりと広がる。

「――っ!」

痛みが頭を貫き、瑜葵は悲鳴にならない悲鳴を上げた。

髪を引っ張られたのだと気付き、恐怖と同時に怒りも感じた。

行きがけに佐助が丁寧に櫛を入れた髪を、無造作に掴まれるのが不愉快だった。

だが、怒りもすぐに恐怖へと飲み込まれる。

そのまま後ろに引きずり倒され、瑜葵は体勢を崩して地面に倒れた。

「………!」

振り返って見たのは、髪を掴んでいる男。
下劣な笑みを浮かべ、瑜葵を見下している。
その姿に、涙がこぼれた。

――助けて……!

男が拳を振りかぶる姿が映り、瑜葵は目を固く閉じた。

だが衝撃は来ず、耳朶を打ったのは、強烈な打撲音と、男の声。

「おいおい、何してんだよ?」
「ひっ、何を……!」
「こんな往来で女の子になんてことしてるって聞いてるんだ」
「ちっ……ひとまず、撤退するぞ」

分が悪いと悟ったのか、去る足音がする。
それでも怖くて目を空けられずにいると、優しい手つきで誰かに抱き上げられた。

恐る恐る目を開くと、肩に猿を乗せた、派手な若い青年が映った。

「大丈夫かい、お嬢ちゃん」
「……こ、わ……かった……」
「もう追っ払ったから安心してくれ。にしても酷い奴等だな、綺麗な髪がぐしゃぐしゃだ」

その言葉を聞いて、涙が、零れた。
次から次から零れる涙をどうしたらいいのか、瑜葵にはわからなかった。

ただ、見も知らぬ青年に抱き上げられたまま、身を縮めて泣いた。


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