捜索と手配書
シャボンディ諸島の無法地帯、十三番グローブにある酒場『シャッキー'S ぼったくりBAR』。そのカウンター下の隠し部屋に、ボア三姉妹は匿われていた。海軍による身分検めが終わるまで、絶対に音を立ててはいけない。もし隠れていることがバレたら、マリージョアに連れ戻されてしまう。それだけは絶対に嫌だから、息を殺して海軍が去るのを待った。
永遠にも思える時間が過ぎて、軍靴の居丈高な足音が遠ざかる。三姉妹はほっと息をついて、頭上の跳ね上げ式扉を見上げた。暗くて狭い部屋は、マリージョアを思い出すから好きではない。しかし、シャクヤクが開けてくれるまでは待たなければいけない。

「姉様……」

声を出したサンダーソニアを、ハンコックはひと睨みで黙らせた。扉が開かないということは、まだシャクヤク達は安全を確信していないのだ。不安を紛らわせたくとも、絶対に物音を立ててはいけないのだ。項垂れた妹を見て、ハンコックはステラを想った。彼女がここに居てくれたら、どんなに心強いだろう。きっといつもみたいに微笑んで、抱き締めてくれたに違いない。もう大丈夫だと、怖いことなど何もないと。
しかし、彼女はここに居ない。妹たちの面倒を見るのは、姉であるハンコックの役目だ。ステラがしていたように、恐怖を押し殺して大丈夫だと言ってあげなければいけない。

「……もう少しの辛抱だから」

サンダーソニアの頭を撫でて、ハンコックは声を殺してそう言った。声もなく頷く妹二人に、ハンコックは頑張って口角を上げた。しかしそれは、自分でもわかるほどぎこちない作り笑いにしかならなかった。


シャボンディ諸島六十番グローブ、海軍詰め所。部下に肩を叩かれ、所長のモザンビア大佐はため息を吐いて耳栓を外した。途端に、詰め所内に響き渡る騒音が耳朶を打つ。脱走した奴隷を捕縛するためとはいえ、これはあまりにもひどい。ひっきりなしに鳴り続ける電電虫、苦情をがなり立てる市民、捕縛された者の哀訴――天竜人絡みの案件でなければ、何もかも建物の外に叩き出しているところだ。

「何人見つかった?」
「二十五人です」
「少なすぎるな。どう見積もっても、十倍は居るはずだ」

そう言いつつも、モザンビアとて少ない理由は分かっている。聖都襲撃の際に記録が焼失してしまい、脱走者の情報がほとんどないからだ。脱走者を特定するには、焼印の有無を確かめるよりほかに方法はない。しかし、焼印を検めるから全裸になれと言われて、喜んで脱ぐものなどいない。奴隷や無法者でなくとも、善良な一般市民とて抵抗する。
それでも、ことが天竜人絡みである以上、海軍は追剥をしてでも焼印を探さなければいけない。その上、やっとの思いで焼印を見つけても、脱走者とは断定できないときた。かつて天竜人の奴隷だったが、飽きて捨てられた者という可能性もあるからだ。哀しいことに、グランドラインにはそういう経歴の者は少なくない。そして、元奴隷と脱走者の区別をつける方法を、海軍は持ち合わせていない。

「どうせ、逃げたことは認めてないんだろう?」
「ええ、みんな自分は捨てられた奴隷だと言い張っています」
「締め上げて、無理矢理にでも認めさせろ」
「やってますが、なかなか……」

脱走者と断定できる根拠も、捨てられた者だという主張の裏付けもない。こんな状態で、どうやって脱走者を見つけ出せるのか。天竜人じきじきの命令でなければ、見つかりませんと報告して終いにしたいくらいだ。実際、将校のなかには、ろくに探しもせずにそう報告した者もいると聞く。ガープ中将に至っては、命令を聞くや大笑いし、休暇を取って東の海へ遊びに行ってしまった。モザンビアとて、彼ほどの実績があればそうしていただろう。

「手配書が刷り上がりました、大佐」
「うむ。せめて、この女が見つかればいいんだが」

刷りあがったばかりの手配書を見やり、モザンビアは顔を顰めた。神の心をも蕩かせた希代の美女、天竜人の寵姫ステラ。脱走した奴隷の中で、賞金を掛けられたのは彼女だけだ。懸賞金は三十五億ベリー、条件は生存かつ無傷のみとなっている。普通ならば、賞金首の生死は問われない上に、よほどの悪党でなければ億を超える額は付かない。彼女を無傷で取り戻したいと、天竜人が強く要請したに違いない。

ただ、市民達は――天上金の捻出に喘ぐ者達や、大切な人を奴隷にされた者達は、この手配書を見てどう思うだろうか。きっと烈火のごとく怒るに違いない。下界に降りてなお、天竜人に守られている女など許せるはずがない。草の根をかき分けてでも探し出し、私刑にかけるだろう。そうなれば天竜人がどう出るか―――想像するだに恐ろしい。

「この女の目撃証言はあったか?」
「いいえ、一つも」
「もう殺されたか、それとも……」

そう言いさして、モザンビアの頭にもう一つ、最悪の想定が思い浮かんだ。それはつまり、海軍さえ迂闊に手出しできない戦力――四皇の手にステラが渡ることだ。冷酷で野心に満ちた海賊たちは、懸賞金などには目もくれず、躊躇なく最大限に彼女を使うだろう。拷問にかけて世界政府の情報を吐かせ、彼女を盾に使い、大っぴらに悪事を働くに違いない。
四皇以外にも、ステラが渡ったら厄介な組織はある。ドラゴン率いる革命軍――世界政府の布く秩序に対し、公然と異を唱える異端者どもだ。世界政府の内情に精通している彼女が情報を売り渡したら、世界中で革命の火が吹き上がるだろう。
それに、史上最も寵愛を受けた奴隷という事実は、史上最も虐げられた被害者とも言い換えられる。彼女は天竜人の被害者だと訴え、市民の認識を変えられたら――旗印として、これほど相応しい人材はない。

もしフィッシャー・タイガーに政治的な思惑があれば、彼女はとっくに四皇か革命軍の手に渡っている。しかし、襲撃事件から一週間、タイガーはどちらとも接触してはいない。彼がただのテロリストで本当に良かったと、モザンビアは心から思った。たとえ清濁の比率がどうであれ、世界は平和であればよいのだ。
ノックもなしに扉が開き、騒音と共に海兵が飛び込んでくる。

「十四番グローブで二人見つけました!こちらへ連行しています!」
「よし、しっかり尋問しろ。脱走したと認めさせるんだ」
「了解です!」
「ああそうだ、この女のことも聞いておけ。最後にどこで見たか、とかな」

どうせ誰も認めやしないが、認めさせねば仕事が終わらない。手配書を受け取り、もはやヤケクソに近い敬礼をして、海兵はすばやく部屋を出て行った。モザンビアはため息をつき、煙草に火をつけた。早くこの馬鹿みたいな騒動にケリを付けて、海賊を打ちのめしたいものだと思いながら。


夢路から放り捨てられたような目覚めだった。跳ね起きて、ステラはいやな鼓動を打ち鳴らす心臓を抱えて呆然とした。完全に意識を失っていたのだろう、時間も緊張感もぷつりと絶えて、空白の中に置き去りにされたようだった。
しかし、そんな優しい静寂は、急停止を強いられていた頭が再び動き出すまでだった。意識を失う前の記憶がまざまざと蘇り、恐怖が肌を這い上がってくる。

「――っ」

思わず叫びそうになり、ステラは咄嗟に手で口を覆った。いま叫べば、あの時のように船員たちが大挙して押し寄せるに違いない。恐怖に呑まれかけた自分を必死に立て直し、つとめて深く息を吸い込む。立てた膝に顔を埋めると、綿のシーツが額に擦れて、その温かさに涙が零れた。
ステラには自分の状態がまるで理解できなかった。聖都での四年間、こんな風に心が乱れた事は一度もなかった。どんな感情も常に自制し、自らを支配してきた。それなのに、どうして今は体の震えさえ抑え込めないのか。

ここはマリージョアでもなければ、奴隷商人の船でもない。四皇の船であり、海軍に連れ戻されることもない。だから大丈夫だと自分に言い聞かせても、体の震えは止まらない。見聞色の覇気で、船にひしめく男達の気配を感じてしまうせいだ。
男とは女には到底理解できない生き物で、粗野で欲に忠実な醜いケダモノだと分かっている。しかし、ただ男というだけで恐怖したことは、今まで一度もなかった。奴隷商人でもなければ、天竜人でもないというのに。

見聞色を使わなければ、男の気配を感じなくはなる。しかし、彼らの動向を把握できない方がもっと恐ろしい。気付かぬ間に接近されたらと思うだけで、呼吸すらままならない。
近付いてくる人の気配を感じて、ステラは思わず寝台の上で身構えた。すぐにタバサだと気づいたが、取り繕う余裕はなかった。制止する前に扉は開かれ、ぼろぼろの心全てが彼女の前に曝け出される。そんな惨めすぎる姿を、誰にも見せたくはなかったのに。

「……!」

タバサは息を呑み、そして顔をくしゃくしゃにした。後悔に染まったその表情が、つらくステラの心に刺さる。男が怖いなんて、ステラ自身さえ知らなかったのだ。彼女が知る由はなく、事態を予想できるはずもない。それなのに、彼女は思い詰めている。自分の感情を抑制できず、みっともなく暴れたステラだけが悪いのに。

「ごめん、なさい……!私、私……っ」

考えるより先に謝罪が飛び出し、ステラはぐっとシーツを握りしめた。彼女にそんな顔をさせた自分が嫌でたまらない。こんな風に人を傷つけるくらいなら、タイガーに見捨てられた方が良かった。ハンコック達を逃がして、それで終わりにしたかった。生き長らえて、これ以上誰かを傷付けてしまうくらいなら、海の藻屑と消えた方が良かった。

「ステラちゃんは悪くないわ。私が、心の傷に気付いてあげられなかったから……」
「いいえ、いいえ。私が悪いのです。私が、……っ」

悔いて止まぬ涙がぼろぼろと溢れて、ステラは声を詰まらせた。シーツを握りしめた手に、タバサの手が重ねられる。その温かさに、また涙が零れ落ちる。食いしばった歯の隙間から、ステラはただ謝罪を繰り返した。
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