疑惑と懸念
夕日が完全に沈み、巨人の活動が静まると、各隊は被害状況の確認に追われた。死傷者を担架で運び、翌朝までに欠員の出た班を纏めて新しい班編成を考えなければいけない。担架と班長達が生き交う喧騒のなか、リヴァイは街の南側に向かった。戦闘終了後、トリナは『待機』命令を受けた位置で待機している。

本来ならば、笛を持った班長が『移動』命令を遣って本部まで連れてくる。しかし、班長は笛を紛失しており、今回はリヴァイ自らが迎えに出た。誰かに笛を渡して迎えに行かせ、彼女の死を知らされることになったら――。そうなったら、自分の寝覚めが悪いと思ったからだ。
最後の信煙弾が撃たれた地点には、三角座りしたトリナとエルド。そして、エルヴィンの部下がいた。エルド班に組んだ兵士は、一人も居ない。

「班員はどうした」
「二名は、殉職しました。新兵の二人は、井戸に居ます」
「……は?」

班員の誰ひとり救えなかったと、言うのだろうと思っていた。しかし、報告の後半部分は予想を大きく外れていた。わけがわからず訊き返すと、彼は至って真面目な顔で繰り返した。

「オルオ・ボザドとペトラ・ラルは現在、古井戸の中に居ます」


リヴァイはエルウィンの部下に笛を預け、トリナを本部へ送るように頼んだ。その上で、エルドの報告を聞きがてら、件の井戸へと向かった。そこでは既に、数名の兵士が二人を救出すべく動いていた。技術に長けた者が井戸の滑車を修復し、縄を馬に結んで引っ張らせている。
馬力を使ったおかげで、二人はさほどの苦労もなく井戸から助け出された。凄まじい悪臭を放ち、隊服を濁った緑色に染め上げた出で立ちで。

「臭っ!なんだこれ、まじくっさい」
「きったない!ほんと汚い!ごめん、こっち来ないで!」

二人を引き揚げた兵士達が悲鳴を上げ、飛び退って離れていく。無事を喜ぶハグどころか、じつに容赦のない拒絶の姿勢である。何一個否定しえないとはいえ、流石に耐えかねるものがある。

「ねぇ、それが三時間も水中で頑張った同僚に言う言葉?」
「すまん。でも仕方ないだろ、本当に臭いんだから」

遠巻きに囲む同僚をにらみ、ペトラは深いため息をついた。まったくもって最悪の気分だ。失禁するし、巨人に食われそうになるし、失態に失態を重ねて貴重な戦力を損なおうとしたし。その戦力が甘えてきたと思ったら、いきなり井戸にドボンだ。
幸か不幸か、井戸に落ちたおかげで失禁した跡を誤魔化すことはできた。しかし、差し引きしてもやはり、この扱いは納得いかない。恨めしげに兵士達を睨みつけた二人は、顔触れの中に尊敬する兵士長を見つけて愕然とした。彼から放たれる殺気が凄まじい。巨人の食欲混じりの視線より怖い。

「おい、お前ら。そこから一歩も動くなよ」
「は、はい。すみません……」

潔癖症の前では挑発に等しい風体の二人を睨み、リヴァイは風上に回った。ぎりぎり声が聞こえる程度に距離をあけて、改めて向き合う。

「その様はなんだ。何があった」
「えーと、これは不可抗力と言いますか」
「トリナに落とされたんです。なんでかわかりませんけど、いきなり」
「馬鹿!それを言ったら、あの子が怒られるじゃない」

ペトラはオルオにのみ聞こえるよう唸り、脇腹に肘鉄を叩き込んだ。井戸に落とされたことは、ペトラとて納得はしていない。しかし、それをそのまま伝えると、なにか良くない事になりそうな予感がしたのだ。だから不可抗力などと曖昧な表現を使ったのに、オルオのせいで台無しだ。
リヴァイの眉間のしわが三倍に増えたのを見て、ペトラは予想が的中したことを確信した。こうなれば、素直に報告し、保身を図るしかない。

「おい、それはいつだ」
「『待機』命令の状態で負傷し、意識を取り戻した後です」
「違う。俺が命令する前か、後かと訊いてるんだ」

リヴァイの言わんとすることが分からず、ペトラ達は首を傾げた。そんなことを知って、どうするのかが判らない。そもそも、場所が離れすぎていて、笛の音など普通なら聞こえない。返答に困る二人の代わりに、エルドが進み出た。

「彼らを井戸に落とした後、彼女は戦闘に移行しました。命令の前だったのでは?」
「すぐさま命令に従わなかった可能性もある」
「彼女がそんなことをするとは思えませんが……」
「そもそも、こいつらを井戸に落としたこと自体がおかしい」

二人を井戸に落とすという行為には、多くの認知行動と決断が必要となる。しかし、リヴァイの知る彼女には、その一つとして出来る筈がないのだ。トリナは自発的に行動しない。感情と意志がないため、動機を持たないからだ。動機がなければ行動を想起できず、想起できなければ実行できない。
壁外調査前の、トリナが癇癪を起したことが思い出される。ハンジはそれを自我の芽生えだと言ったが、それが今回の原因ならば大問題だ。トリナが自我をもち、命令より自分で考えた行動を優先した可能性がある。それは、リヴァイの予想の中で最悪のパターンだ。たとえエルヴィンがなんと言おうと、看過できるものではない。

「エルド。この二人の汚れを落とせ。少しでも臭ったら、まとめて川に叩きこむぞ」
「はい。少し時間がかかると思いますが……」
「かまわねぇ。綺麗になったら団長の所へ――」
「待ちなさい!トリナーーッ!」

――連れてこい。そう続くはずの言葉は、騒音と絶叫に遮られた。
prev Index next
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -