失われた過去へ
幸か不幸か、巨人はトリナの真上で大口を開けた姿勢で殺された。そのため、トリナの体は巨体に押し潰されず、瓦礫と共に食道へ押し込まれた。息もできないほどの暑苦しさと、皮膚を裂いて食い込む建物の破片。強く打ちつけた胸をさすり、トリナはゴホゴホと咳き込んだ。
意識が遠のくままに、目を閉じる。しかし、暗い瞼の上に金色の光が灯った。それは取り戻そうと足掻いて、それでも得られなかった記憶だ。えれん。みかさ。――あるみん。夕日に照らされた金色の髪、優しく笑った顔。知的で、好奇心旺盛で。髪だけでなく、全身が輝いているみたいに見えた、大切な『友達』。


両親からは、決して家の外に出てはいけないと言われていた。それでも、カーテンの隙間からのぞき見た外、元気に遊ぶ街の子供達が羨ましかった。両親の留守を狙い、フードを目深に被って顔を隠して外に出た。仲間に入れてと、子供達に声をかけて、一緒に遊びたかった。しかし、どうしても怖くて、勇気がなくて。結局は、暮れなずむ空を一人、川岸に座って眺めていた。

――君は誰?街の子じゃないよね

声を掛けられて、見上げると彼が居た。悪意の欠片もない、とても優しい笑顔だった。逃げなくてもいいのだと、その笑顔を見て確信できた。だから、頷いて、話をした。出身を聞かれ、転々としてきた色々な町のことを話した。彼は街の外に興味があるらしく、とても熱心に聞いてくれた。
そうしている内に、母親に見つかってしまって。頬を何度も打たれて、叱りとばされて。止めに入った彼の額を、母が軽く指弾した。

――危険だと、何度言ったらわかるの!
――ごめんなさい、ごめんなさい。痛い、痛いよ……

夢のような楽しい時間は、母の指先で消された。彼はもう、何も覚えていなかった。帰るよう促されて、とぼとぼと帰路に就いた。それでも、彼の優しい笑顔が忘れられなくて。親の目を盗んで、何度も家を抜け出した。次に会った時、彼は同年代の子供達から暴力を受けていた。邪魔だったから、その子供達を畳んだ。彼らはとても弱かった。一般人はこれほど弱いのかと驚くほどに。

――君は誰?街の子じゃないよね

猜疑心を含んだ声に、頷くより他に術はなかった。もうあの笑顔は見れないのかと思うと、悲しくてたまらなかった。

――遠くから来た。寂しい、から、話を……

どうにか絞り出すような声でそう伝えると、彼は困ったように笑った。当然だろう。初めて会う人に、そんなことを言われたら誰だって困る。それでも、彼は友達に引き合わせてくれた。意志の強い向こう見ずな少年と、無表情で素っ気ない少女に。
少女の顔を見て驚いた。東洋人なのに、顔を隠さずに街で生活していたから。彼女は人並に生きているのに、どうして私はダメなのだろう。そう思うと、何もかもが理不尽に思えて涙がこぼれた。母への反抗心から、家を抜け出て彼らに会いに行くようになった。

――また、会える?

母に見つかる前に別れたら、記憶を消されずに済むのではないか。そう考えた日、涙を呑んでさよならを告げると、そう訊かれた。

――会える。会いに来る。だから、その時は、お話しよう
――勿論。約束だよ、トリナさん

母は抜け目なく、その記憶を消したけれど。トリナはその約束を、大切に守ってきた。あの日、全てを失った時に、ともに手のひらから零れ落ちてしまったけれど。


「……あるみん」

『たいせつ』な『ともだち』。どうして忘れていたのだろう。約束をした。会いに行くと、約束した。彼は忘れただろうけれど、確かに約束したのだ。記憶に引きずられるように覚醒し、トリナは刃を振りかざした。周囲を取り囲む肉を切り裂き、生き延びようと手を伸ばした。
そして、誰かの手に引きずり出されて、空を見た。あの日と同じ、赤い空。金色の光もまた、そこにあった。やっと、会えた。安堵して、トリナは意識を手放した。


気絶したトリナを見て、エルドは思わず厳しい表情になった。奇跡的に無事だったとはいえ、これでは戦力にならない。現状を打破する一手になるどころか、お荷物が増えただけだ。どうしたものかと考えていると、間近でガスを噴射する音が聞こえた。見上げると、見慣れぬ小隊が飛んでくるところだった。その中の一人が、エルド達を見つけて歓声を上げる。

「いた!エルド班、いました!」
「無事か!良かった……!」

小隊の者が一人、また一人と、減速しながら間近に着地する。間近で見る顔はどれもトリナ隊にないものだ。

「君たちは補給班か?」
「はい。トリナが単独で移動していたので、援護に来ました」
「見失わないようにするだけで手一杯でしたが。彼女はどこに?」

なんと答えたものか悩み、エルドは視線だけで彼女を示した。ペトラに抱えられ、ぐったりと横たわる彼女を見て、補給班の面々が息をのむ。女性兵士がトリナの手首を掴み、脈があることを確認する。頭、肋骨、肩、腕、足に手を這わせ、怪我がないか探る。

「意識がないだけね。笛さえあれば使えるんだけど」
「使える……?」

さらりと放たれた言葉に、ペトラは愕然とした。使えるという表現は、人や兵士、仲間を指して言うものではない。しかし、ペトラ以外の誰も、その物言いに疑問を覚えていない。鈍いオルオはともかく、エルドでさえ顔を顰めもしない。

「エルド班の新兵ね。彼女は私達が運ぶわ、貸して」
「いえ。私が運びます」

断固たる口調で拒絶し、ペトラはトリナの体を抱き寄せた。ぐったりとしたその体を、彼女に触れさせまいとして。
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