相性が悪い
トリナが食事を終えたのを見計らい、ハンジは注射器を準備した。途端に、向かいの席から好奇の目が注がれる。

「気になる?訓練兵君」
「あ、いえ、その……はい」

率直に問われて、アルミンは気恥ずかしげにしつつも頷いた。兵団を疑うつもりは無いが、注射器を見て一瞬考えてしまったのだ。兵団の都合で、トリナの記憶を意図的に消しているのではないか、と。

「これは記憶喪失の治療薬だよ。といっても、今のところ試験段階なんだけどね」
「試験段階、ですか?」
「うん。現存の薬はどれも効かなくてね。今は色々実験中なんだ」

トリナの記憶喪失を改善するため、ハンジは治療薬を片っ端から試した。しかし、トリナに使われた薬は不知の物だったらしく、全く効果が無かった。仕方なく、現在は科学班が試行錯誤しつつ作った試薬を投与している。

「そういえば、次の訓練は何?」
「次は確か、馬術訓練です」
「じゃあトリナはお休みだね」

当然とばかりに宣言され、アルミンは首を傾げた。必要性を感じないという意味ならば、此処での訓練全てに必要性が無いことになる。既に兵士であるトリナは、戦闘技術を学ぶために此処に来たのではない。同年代の子供との交流、精神的な成長のために来たのだ。交流は多ければ多いほど良い。訓練に積極的に参加こそすれども、訓練を休む必要は無いはずだ。

「何故、お休みなんですか」
「うーん、なんていうかね……トリナと馬は相性が悪いんだ」

相性が悪い、という非常に曖昧で不可解な理由に、シガンシナ三人組は小首を傾げた。言っても理解されないことは百も承知なので、ハンジは苦い笑みを浮かべた。

「まあ、引き合わせてみたらわかるよ」



「本当にハンジ分隊長の言うとおりだったね」
「なんで拒むんだろうな」
「わからない。でも、乗れないと困るはず」

トリナを前にじりじりと後ずさる馬を見て、エレン達は首を傾げた。彼女は何もしていない。何を察知したのか、馬が背に乗せることを拒否している。苛立たしげに蹄で地面を蹴り、トリナから離れようとするのだ。

「そいつ、本当に調査兵団の兵士なのか?馬に乗れなくて壁外でどうやってんだ」

壁外調査の際、馬は命綱と言っても過言ではない。平地での重要な機動力であり、調査を短期間で済ませる為には必要不可欠な移動手段だからだ。馬に乗れないトリナは、壁外でどう移動し平地でどう戦うのか。謎が謎を呼び、ますます理解から遠のいていく。
トリナがジャンの馬に視線を移すと、彼の馬は落ち着かなげに足並みを乱す。不規則に揺らされたジャンは、慌てて手綱を引いた。

「……威嚇したのかな」
「でも、攻撃命令が無ければ攻撃しないはずだろ?」

勿論イルゼは攻撃命令を出していない。どの命令を出せば良いのかも判らないため、壁際で頭を抱えている。

「それに、威嚇するなんて行動、自発的にしない」
「だよね……でも、じゃあなんで?」
「「……さぁ……」」

考えれば考えるほどにわからない。観察する間にも、ジャンを筆頭に周囲の兵士が馬に振り回されている。中には落馬する者もおり、軽い騒動になり始めている。ハンジが『休み』と言った理由はわかった。原因はわからないが。
不意に、トリナの前に胴で視界を遮るようにして一頭の馬が現れる。乗り手を見上げて、エレンは目を瞬かせた。トリナが最初に乱入した後に、教官を困惑の後に激怒させた兵士だ。

「えーと、芋女、じゃなかったサシャ」
「芋は忘れてください!馬の扱いに困ってるようなので助けに来たのに」

ひょいと馬から降りて、サシャは頬を膨らませた。その間もトリナの目の前は馬の胴で遮られており、目に見えて周囲の騒動が鎮静化する。

「トリナと馬の相性が悪いみたいなんだけど、原因がわからなくて」
「確か、トリナさんは感情や意思がないんですよね」
「うん、今のところは」
「犬もそうなんですけど、馬は感情や意思が読み取れない人を嫌がるんです」

犬と馬は遥か昔に人の手で家畜化され、人と生活を共にし時を重ねてきた生き物だ。鳥に比べ脳が大きく、猫に比べて集団性を持つため、彼らは人間の心情を理解できるように進化した。特に、馬は犬に比べ臆病な性格であるため、イレギュラー性を察知して警戒する。そして、乗ることはおろか、近付くことすら許さない。

相性が悪いという言葉の意味を理解し、シガンシナ三人組は納得した。同時に、これは現段階では何をどうしても解決し得ない問題であることを察した。そして早々に解決する事は諦め、イルゼにトリナを隅へ連れて行くよう頼んだ。

「サシャ、馬に詳しいね。何かコツとかあるの?」
「馬を操るよりも、馬に手伝ってもらう心構えで練習あるのみです。侮っちゃ駄目ですよ、絶対に!」
「侮るとどうなるの?」
「あんな感じになります。見てください、ジャンの馬の顔!」

アルミン達は示されるままにジャンの顔、次いでジャンの乗る馬の顔を見た。しかし、何も判らない。ただの馬面だ。

「ごめん、何が違うのかわかんないや」
「えっ、わかりませんか?誰が真面目に走ってやるかバーカって顔してるじゃないですか!」
「どういう意味だコラァ!」

ジャンのペアであるマルコと、通りかかったライナーとベルトルトが噴き出す。ミーナとハンナは噴き出さなかったものの、堪えようとして顔を真っ赤にしている。しかし、ジャンが手綱を引いても馬が一向に言うことを聞かないのを見て噴き出してしまう。
それと同時に教官の怒号が響き渡り、驚いたジャンが落馬した。
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