「海だー!」 「……」 「あっちゃん?」 「海なんかいつも見てるでしょ?」 「でも、いつもの海とは違うよ」 「どこが?」 「今日はあっちゃんと一緒だから」 「靴に砂入るねー?」 駆け出した彼女を見て、何だかほっとした。凩まで吹き出しそうな真冬の海は、空も砂も波でさえも灰色をしていて、寒々しかった。ふたりだけしか乗客のいない貸し切り状態のバスを降りれば、そう珍しくも無いいつもの海に向かって彼女が駆け出す。防波堤に立って、ポケットに入れた缶コーヒーで左手を暖めながらその後ろ姿にクスクスと笑みを零した。 元々実家に帰省する予定を一日だけ早めて、彼女に連絡をした。後ろめたさは当然あったのに、彼女が二つ返事で了承するから、妙な期待を抱いてしまいそうになる。 「あっちゃん、やっぱり冷たいよ」 「冬だからね」 「あっちゃんも冷たい!」 「…何、海水でも掬ったの?」 「うん、手が痛い」 「…仕方ないな」 「おいでよ」 彼女の少しだけ濡れた右手を引き寄せると、暖かな左手のポケットに導いた。「うわあ」と声を上げてから、「暖かいね」だなんてこちらを見上げて言うものだから、顔をしかめた。 居てくれるだけでいい、そう自分で決めたはずなのに。 「ねえ、何で来てくれたの?」 今日、と続けると「あっちゃんが、呼んだからでしょう?」だなんて、彼女はさも当然だとでもいう顔で返事をする。 彼女のそういう所が、堪らなく愛おしくて、哀しい。 「急に、意味わかんないと思わなかったの?ふたりで海に行こうだなんて」 「ううん、だってあっちゃんはいつも急だから」 「……」 「急にルドルフに行っちゃうし」 「…うん」 「だからもう慣れた!」 「そっか」 「会うのに理由なんて要らないよ」 「どうしてなんて、聞かないよ」 防波堤に腰掛けて、彼女が水平線の向こう側に向かって言う。 もしもルドルフに行かなかったら。ルドルフに行ったのが亮だったら。そんなことを考えても、仕方が無いことだ。今更になって、大切だなんて気付いた訳じゃない。 でも今更になって、こんなに大切なのに手に入らないと、気付いたんだ。 「…ごめん」 「どうして謝るの」 「今は亮の彼女だから」 「……」 「誘ってごめん」 「今日で、最後にするから」 ただ、居てくれればいい。ぎゅっと抱きしめると彼女のダッフルコートからは少しだけナフタリンの匂いがして、鼻の奥がツンとした。 夕陽が沈んでいくのが、今日の終わりが、この恋の終わりだった。 「…もう少しだけこのまま」 今日だけを永遠に胸に閉まっておく。 今日が終わればきっと、明日になれば昔のままの、幼なじみの三人に戻れる。 ポケットの缶コーヒーの熱が冷めていくように、ゆっくりと左手を放した。 (101115:only today) |