<META NAME=”ROBOTS” CONTENT=”NOARCHIVE,NOINDEX,NOFOLLOW”><META NAME=”GOOGLEBOT” CONTENT=”NOARCHIVE,NOINDEX,NOFOLLOW”>テキスト | ナノ
大人になるということは、物語を失うことだと思う。
少しずつ、でも確実に、己には何も無いのだということに気付かされながら、私たちは社会の一部として雑多な人混みに紛れていく。
例えば、幼い頃はあんなに上手だと褒められて得意になっていたはずのバイオリンも、レッスン室で一番だと褒められていたバレエも、本当は凡庸なそれでしかなかったということにある日気付かされる。それは突然のようで、しかし振り返ってみればじわじわと、侵食するようにやってきたのだと知る。気付かされ、諦めを強いられ、そうして私の出来ることはまたひとつ摘まれていくのだ。私はもうバイオリニストになる夢を見ることも、バレリーナになる夢を見ることも、無い。物語の主人公にはなれないまま、物語だけを失ってしまうのだ。

紙飛行機にした進路調査書を、放課後の誰もいない教室の端から端へ飛ばしてみても、ちっとも心は晴れなかった。こんな紙切れ一枚に俺達の未来が決められてたまるかよ!そう叫んでいたクラスメイトには全く共感しなかったけれど、こうしてまた大人の手によって少しずつ、着実に私たちの可能性は擦り減らされ、大人に仕立てあげられていくのだと実感させられた。
何度目かになる紙飛行機が徐々にに離陸体制に入り、フライトを終えようとしたところで、突然開いた教室の後ろの扉から入ってきた人影にぶつかって、呆気なく墜落した。

「…何してんだ、アーン?」
「特には、何も」

何処を見て話せばいいか解らなかったから、泣きぼくろを見つめながら返事をした。
跡部景吾とは中等部の頃から何度か同じクラスになったことがあり、高校に入って3年目の今年も、同じクラスだった。とは言え、話したことは数える程しかなく、面と向かって、その上二人きりというのは、はじめてのことだった。

「跡部くんは?」

少し裏返り気味の声で尋ねると、跡部くんは薄く笑いながら荷物を取りにきたということを教えてくれた。
足元に落ちた紙飛行機を拾い上げると彼はそれを丁寧に広げて、「進路調査書じゃねーか」と、少しだけ咎めるように言った。

「こんな事するなんてな、意外だ。」
「え?」
「もっとド真面目な奴かと思っていたが」
「よく知ってるね」
「中一中三、高一も同じクラスだったろ」

さも当然のことのように彼が言い放つので、驚いて「よく知ってるね」とまた同じ台詞を吐いてしまって、それに気付いて慌てて「跡部くんは私のことなんか知らないと思ってた」と笑ってごまかしたら、俺は生徒全員を把握していると豪語されて、でも本当のことだろうと納得した。

「これ、明日提出だろ。」
「うん、でも志望校って決まらなくて」
「その割には焦ってねえな」
「私は入れてもらえる大学に行くよ」

「自分に出来ることは無いんだって知ってから、やりたいと思えることもなくなっちゃったな。」
独り言のように呟くと彼は意味がわからないというような顔をしたから、私は笑って「跡部くんは何でも持ってるからなあ」と出来るだけ明るく言ってみせた。

「お前は頭だって悪くないし、成績もそこそこだろ?」
「跡部くんには負けるけど」
「それはそうだな」

気持ちいいくらいの即答が返ってきて、私は吹き出すように笑った。何だよと尋ねる彼に、私は「跡部くん、こんなに面白い人ならもっとはやくに話しかけたらよかった」と言った。
彼の全能感に満ちた言動は可笑しくもあり、それでいてきちんとした裏打ちがあるから、極僅かな“選ばれた人”というのはこういう人なのだなと頷いた。彼は、物語の主人公だ。大人になっても物語を失うことのない、選ばれた人なのだと、そう思う。

「卒業したらもう、話すことは出来ないだろうし」
「出来ないこともないだろ」
「ええ?だって私普通の大学に行って普通に就職して普通に結婚するし…会う機会無いよね」
「同窓会とかするんじゃねーの」
「ああ!てゆうか私結婚できるのかなー…」

あはは、と苦し紛れに笑うと彼が「何なら俺様が貰ってやろうか」と至極真面目な顔で言ったから、息が止まってこのまま死ぬのかもしれないと思った。

「そうだなあ、同窓会で会って、私が売れ残っていたらね!」

何とか息を繋いでそう言うと、「言うじゃねーの」と彼も可笑しそうに笑った。
彼に年下の許婚がいることは氷帝生の間では随分有名だったし、勿論私も知っていた。彼が先程口にした言葉がどんな想いを孕んでいたとしても、多分この先私たちがこうして笑いあうことは無い。

「跡部くんって、想像していたより、ずっと普通の男の子なんだね」

口にした言葉は嘘じゃないのに、どこかおかしくて本当だとは言い切れなかった。
六年前から見つめてきたその姿がこんなに近いのに、まるで住む世界の違う、触れられない人のような気がして、怖くて手を伸ばせなかった。
ほとんど話したことはなかったけれど、同じクラスになった時、授業中何度か目が合うことが、嬉しくて恥ずかしかった。違うクラスになった時、廊下で擦れ違う時にこちらを向いてくれることがある度に、顔を赤くして早歩きをした。
もしかしたらなんて夢を、見たことがなかったわけじゃない。

差し込む茜色の陽射しが泣きそうなくらいに眩しくて、何度も瞬きをする。私はせめて卒業までは夢をみていたかったのにと笑いながら、またひとつ、彼と恋に落ちる物語を失って、大人に近づいた。




さよならの夢は見ない



(110906)
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