<META NAME=”ROBOTS” CONTENT=”NOARCHIVE,NOINDEX,NOFOLLOW”><META NAME=”GOOGLEBOT” CONTENT=”NOARCHIVE,NOINDEX,NOFOLLOW”>テキスト | ナノ
「……んん、おはよ」
「ごめん、起こしたかな?」
「ううん、起きるの」
「大丈夫だよ」
「んー」

「まだ寝ていていいのに」


優しく微笑んで、彼が私の散らばった前髪を掻き分けてくれた。ミルクみたいな優しい朝日の中で、薄くしか開かない目に神様みたいにきらきらした彼が映る。
彼の朝は早い。新入社員はこき使われる宿命なのだと彼は笑ったけれど、それにしたって随分朝早くから出掛けて行ってしまう。夜は残業をしてくる日もあるけれど、そうで無い日であれば、大体20時から21時くらいには必ず帰宅していた。
私と彼の生活時間はまるで違う。
私といえば午後から大学の講義へ向かい、それからは塾の講師のアルバイトへ向かう。帰る頃には日付が変わっていることもしばしばであった。
会うことすらままならない毎日に区切りを付けるように、彼、幸村精市と一緒に暮らし始めたのは、少し前のことであった。

「いってらっしゃいー…」
「行ってくるよ」
「せーいち」
「うん?」
「ぎゅう…」
「はは、ぎゅー」

ぎゅうと抱きしめられた温もりの中で、目が覚める。正午ぴったりにセットした携帯のアラームからは「会いたい」なんて歌詞が聴こえてきて、私は彼の匂いのするタオルケットにもう一度包まった。
毎日彼を見送る夢で、目が覚める。願望がそのまま、夢に出て来るんだ。起きたいのにどうにも朝には弱くて、彼の出掛ける時間にセットした筈のアラームはいつだっていつの間にか止まってしまっている。
夢の中では素直に抱き着いたりしてみせるけれど(だって夢なんだしいいでしょう!)、もっと一緒の時間が欲しいだとか、そんな甘えたことばかりも言ってはいられない。彼はきっとすごくすごく疲れていて、だからこんなに楽な生活をしている私が、彼に我が儘を言う資格なんて無いのだ。

「ふああ、…はい、起きました」

昼の柔らかい光に包まれた、誰もいない部屋で呟いて、ぐいと伸びをする。自分に言い聞かせるように、「起きた、起きたの」と繰り返す。ひとりに託けて、自主休講しかねない。そうしたらきっと、精市は怒る。気怠さに負けないように、呪文のように繰り返す。幸い、ゆっくり準備したとしても、三限までには十分過ぎるほどの時間があった。
彼はよく、「ちゃんとした物を食べなきゃだめだよ」と言ったけれど、ここに彼と越してきてからというもの、元々あまり食に頓着しないのに拍車がかかったのと、偏食と面倒くさがりとひとりが災いして、まともな食事とは随分とご無沙汰していた。それでも何とかレーズンの食パンを軽く焼いて、それにマーガリンとブルーベリーのジャムを乗せて、それでぱくり。

「今日何曜日…金曜日か」

明日は久しぶりに丸一日お休みである。
基本的に土日にも、塾講のアルバイトは容赦無く入ってきてはいたものの、こうして稀に休みを得ることも出来た。土曜日は個別指導の中学生の授業が入っていたけれど、明日は所用によりお休みするらしく、それで私もお休みになったという次第だった。

「明日もお仕事なのかなあ」

もぐもぐとレーズンパンを咀嚼しながら、呟いた。土曜日の彼は様々で、終わらなかった仕事の為に出勤したり、持ち帰った仕事をしたり、本を読んだりテニスをしに行ったり、挙げればきりが無い。もっとゆっくり寝ていればいいのにと言ったら、生活リズムが崩れるからと彼は怠けることを拒んだ。
明日もし彼がお休みなら、一緒に昼過ぎまでごろごろして、それから軽く食事をして、そうして遠回りをしながら夕飯の買い物へ行きたい。特別なことが、したいわけじゃない。ただ、有り触れた日常にふたりで溶け出したい。ただ、それだけなのに。

「贅沢だよねえ」

まるでレーズンパンにブルーベリージャムを塗るみたい。最後の一口を放り込むように口へ入れると、お皿とカップを濯いで、スーツに袖を通した。どうせ授業が終わればすぐにアルバイト先の塾へ向かわなければならないのだからと、最近では仕事用のスーツに身を包んで学校へ行くことも多くなっていた。



「…はい、じゃあここまでで何か質問ある人」
「はい!」
「はいじゃあ、成田」
「名前ちゃん先生の彼氏すっごいイケメンってマジですか?」
「それは入試にはでませんー、他に」
「えーだって塾長が言ってたんだよ!」
「そんなこと気にしている暇があったら単語のひとつでも覚えてくださいー!じゃあ次のページを5分で、はいスタート」

金曜日の受け持ちは、個別の中学二年生と、中三集団クラスの国語演習だけだった。集団クラスは大変な賑やかさで、そのパワーをあと少しでも勉強の方へ回してもらえたらどんなに良いだろうと思う。生徒たちは皆、敬語も使わなければ名前にちゃん付けで呼んでくる。可愛いだとか囃されて、私よりも背の高い生徒には撫でられたりもする。それを以前精市に話したら、「随分舐められているようだね」と笑われた。不本意だけれど、その通りである。口を尖らせて、多分ねと答えると、「あんまり男の子と仲良くしちゃだめだよ」なんて優しく笑って頭を撫でるから、恥ずかしくなってただ、しないよとだけ呟いて俯いた。

「160ページまで残りは全部宿題でー、忘れた人はプリント追加します。じゃあ授業終わり」

ありがとうございました、と元気のいい声がする。名前ちゃん先生ばいばい、そう言って去っていく生徒たちはやっぱり可愛くて、ばいばいと私も手を振ってしまう。これだからいけないんだと自嘲しながら、プリントの束を持って控室へ戻る。授業を終えた講師の先生たちが談笑していて、女の先生にミニドーナツを勧められたので、頬ばった。

「んっ!」
「どうしたの?」
「んんんー、んんんーんんんんんん!」
「何て言ってるかわかんないよ」
「塾長、また生徒に余計なことを言いましたね?!」
「あー、悪い」
「悪いじゃないですよう…」

がっくりとうなだれると、今度は「余計なことって何ですか?」と興味深々といった様子で、後輩の男の子が尋ねた。塾長はにやにや、楽しそうな様子で「こいつの男のハナシ」と私を指さすと、「相当なイケメンなんだよ、な?」とあろうことか同意を求めてきた。

「…私もう帰ります」
「名字さん彼氏いたんですか?」
「失礼だね君も」
「しかも一緒に住んでんだよなあ?」
「塾長もう黙って…」

うう、とうなだれてタイムカードを通す。
自分で言うのもなんだけれど、私はかなり、塾長に気に入られている。うちの塾のマスコットキャラクターだなんて言われるのはしょっちゅうで、正社員の講師さんたちは毎回何かしらのお菓子をくれようとする。可愛がってもらえるのは有り難いけれど、からかわれるのはやっぱり嫌だ。特に精市とのことでは、恥ずかしいし、でも本当のことだから言い返せなくて、つい赤くなる。
ふう、と溜息を吐いて、バッグを肩にかけると調度携帯電話が揺れる。スライドのそれを開いて、受信したメールを開けば、精市から『塾の前の角の所』とだけ書かれたメールが届いている。まさかと顔を上げると、こちらに気付いた精市が手を振った。

「ええっ」
「どうしました?」
「いや、何でも無いです。それじゃあ私、お先に…」
「残念です」
「…はい?」
「僕、名字さんのこと狙ってたんで」
「え」

「悔しいんで、これで許してあげますね」
先程の後輩くんは、にやりと笑うとそのまま、私の頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。あうあう言いながら、それでもやめて、やめてと振り切って逃げ出す。後輩くんは陽気な声で「さよーなら!」と言ったけれど、私はそれどころでは無い。
ばっちりと、今のは精市に、見られた。


「…せ、せーいち」
「急に来てごめん。鍵忘れちゃったんだ」
「あの、」
「帰りにコンビニ寄っていい?」
「う、うん」
「良かった。どうも飲まなきゃやってられない気分なんだ」
「……」

完全にお怒りになられている。
元々精市は嫉妬深い所があって(というより、自分のものに手を出されるなんて有り得ないだろう?って感じ)、最近ではすっかりそんな様子は見られなくなっていたから、やっぱり歳上の余裕ってやつなのかなあと思っていた。
でも、違った。
彼がお酒に弱いなんてことは決して無かったけれど、お酒でストレスを解消するような人では無い。それが、今の発言だ。私はすっかり青ざめている。

「お、怒った…?」
「怒る?どうして?」
「あの、」
「ああ、男の子と仲良くしちゃだめって言ったけど」
「う、」
「俺以外の男と仲良くとか論外だから」
「…はい」

素直に頷いて、いつもより歩調の速い彼を、必死になってちょこちょこと追いかける。置いていかれそうなのが怖いなんて、まるで小さな子供みたいだ。普段ならひとりで歩いているはずの道なのに、一目彼を見てしまったら、もう彼無しでは歩けない。
ふいに立ち止まった彼が、振り返って、それで「…いいお返事だね」だなんて笑って私を撫でたから、すっかり安心して泣きそうになった。
いつも何も言わなくたって私の歩調に合わせてくれて、少しのことですぐに頭を撫でて褒めてくれる。彼は私をどろどろに潰して蕩けて、それこそジャムになってしまいそうなくらい、甘やかすのが上手だ。

「さっきのはね、」
「うん」
「あの、なんか、よくわかんないんだけど」
「…わかんないの?」
「うん…」
「だからあんな簡単に触られるんじゃない?」

また少し鋭く意地の悪い口調になって、彼が撫でるのを辞めてしまったから、悲しくなって頭に乗ったままの彼の手を両手で取った。髪の毛がぼさぼさだとか、恥ずかしいだとかそんなことより、彼が怒ったり、誤解されたりする方がずっと嫌だ。置いていかれるなんて、そんな怖いことは、嫌なんだ。
ぎゅっと彼の右手を握って胸の前で手を組んで祈るみたいに、どうかこの彼を好きな気持ちが全部伝わりますようにと、目を閉じた。

「せ、いちが、いい」
「え」
「触られたの、ぐしゃぐしゃってされたの、やだったよ」
「…うん」
「せーいちじゃなきゃ、やだ」
「……」
「速く歩かないで、置いてかないで」
「…ごめん」

「ごめんね」そう言ってぐしゃぐしゃになった私の髪を、手で梳いて整えてくれる。彼に我が儘を言う資格なんて、私には無いけれど、それでも彼が嬉しそうに笑ったから、それでいい。
「やっぱりコンビニはいいや」
そう言って彼が歩き出す。今度はゆっくりとした歩調で、私も隣に並んだ。
私が今勉強を教えている生徒たちくらいの年齢の時、大学生や、二十歳を越えた大人は、ずっとずっと落ち着いていて、我が儘なんか言わないんだって、つまりそれが大人なんだって思っていた。けれどいざ自分が大人になってみても、あの頃とちっとも変わらない。ただ、好きって伝えるのも恥ずかしい、けれども愛して欲しいだなんていう、我が儘の塊なのだ。

「明日、休みだろ?」
「う、うん!」
「俺も休み」
「え」
「何処か行きたい所ある?」
「……」
「遠慮しなくていいんだ。最近はあまり二人で居れなかったし」
「……スーパー」
「スーパー?」
「夜ご飯の、買い物に…」

怖ず怖ずと申し立てると、彼はカラカラと笑った。
「それはいいね、新婚さんみたいだ!」
そんな風に言うから、明日は多分恥ずかしくってまともな買い物が出来そうに無い。
「そうだな、じゃあスーパーまで手を繋いで行こう。勿論、帰り道も。少し遠回りでね」
にこりと笑って、彼が右手を差し出す。彼と彼の差し出された右手を交互に何度か見つめていると、彼は痺れを切らしたように私の左手を取った。


「手、繋いで帰ろう。」


この道は、真っすぐ、彼と私の家へ繋がっている。今日は、明日に繋がっている。
きっとこんな贅沢なことって、無い。
明日、スーパーでブルーベリーを見つけられるといい。そうしたらそれを潰してどろどろに蕩けさせて、ジャムにしよう。
月曜日にはきっと早起きして、私は彼のレーズンパンへ、それを塗る。

飛び切り贅沢な毎日を、あなたと。




ブルーベリージャムが出来るまで

(100711)


(hisさん「静かな日々の階段を」へつづく)
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