本ノ虫

『初めまして、お久しぶりです』
きれいに整った字でたった一行。
学校の図書室で差し出された飾り気のないそのメモが、『本の虫』との関係の始まりだった。

<本ノ虫>

その日は、俺が三日ぶりに登校した日だった。
十二月の始めにしては低かった気温と冷たく乾いた風にやられたのか、珍しく熱を出して寝込んでしまった上それが長引いていたのだが、やっと回復して今に至る。
ただ、病み上がりだったから本調子ではなく、ぼんやりと授業を聞き流していたら、いつの間にか昼休みになっていて教室がざわついた。
昼飯食いながら喋るグループが男女問わずいくつもあって、昨日見たテレビの話をして笑ってるやつもいれば、教室を出ていったやつの陰口を大声で言うのも、それを聞いて笑うやつもいて。
いつだってどの笑い声もいやに耳について、どうしても耐えられなくて図書室に逃げる。
これは中学に入学してからの毎日のことで、寒い廊下で元気にはしゃぐ後輩やバスケをしに行く先輩を見て、耳栓買っときゃよかった、なんて思いながら歩くのもそう。
受験の回数が減るからと中高一貫校を選んだはよかったが、その分人が多くて余計うるさくて、入学四年目にして激しく後悔している。
もうこれ病気なんじゃね、と悩んだのだって一度や二度じゃない。
だからといって、誰かに相談なんかすれば「だから何?」くらいしか返ってこないけど、しょせん他人事だし、仕方ない。
図書室は自分の教室から三分くらいの、校舎の端の奥まったところにあって、さっきまでの喧騒が嘘みたいに静かになる。
古い木の扉を開ければ本の匂いがして、廊下とは対照的に暖かい。
わざわざ休み時間にここに来る物好きは少ないから、部屋の人口密度も低くて居心地がいい。
読みかけの本を取って座るのは、低い本棚と高い本棚の間に三列に並べられた長い机の、一番左奥の席。
もう俺の指定席になっているその席の向かいにはいつも同じ女子が座っている。
ロングの黒髪の彼女は細縁の眼鏡をかけて、この間とは違う作家の小説を読んでいた。
精神を壊して睡眠薬で自殺した厭世作家のだ。
外見に違わず純文学をたしなまれているようだと思いながら、俺は大衆小説のページを繰る。
やけに多い会話文にだんだん嫌気が差してきてパタンと本を閉じたとき、メモが目の前に出された。
白魚の指を辿って行くと、見慣れた顔が目に入る。
にっこりと笑うその唇は、桜色に潤んでいた。
『初めまして、お久しぶりです』
そう一言だけ書かれたメモは、俺がよく使う手のひらサイズの罫線ノートと同じメーカーのものだった。
たぶん、言葉を交わすのが「初めまして」で、つい三日前までほぼ毎日会っていたから「お久しぶりです」なんだろうけど、突然こんな不思議なメモ出されたら、普通ならなんのこっちゃって思う気がするんだが。
しかし彼女はそんなことお構い無しに、余白に言葉を追加して俺にまた渡してくる。
今度はボールペンも一緒に。
『風邪でも引いてたんですか?』
『そうです。それにしてもなぜ筆談?』
『ここ、ものすごく静かだから、声目立つでしょう?』
『納得。じゃあ、何でわざわざ俺に声かけてきたんですか?』
彼女に見せてから、声かけてって表現が合ってるか疑問を感じたが、それは大した問題じゃないからすぐに意識の隅に追いやられた。
紙を眺めた彼女は、その質問が意外だったのか目をぱちくりとさせ、ペンを持って何か書こうとした時余鈴が鳴った。
時計を見遣った彼女が立ち上がって「また今度」とぎりぎり聞こえるくらいの声量で囁き、メモとペンをいっしょくたに掴んで本棚の方に行ってしまった。
俺が自分の持っていた本を棚に戻した頃にはすでに彼女が図書室を出たあとで、そういえば名前聞いてないなとかどうでもいいことを考えてる場合じゃないくらいに休み時間の終わりが近づいていた。


(続きを書こうと思ったのですが、予想以上に進まなかったのでここで切りました)

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