黄昏に

「ねえ。覚えてる?」
「あー、残念ながら」
「うん。あたしもあんまり」

彩は目尻を下げて、ここではない、どこか遠くを見つめて笑う。


「だけどね、珍しく記憶に残ってる思い出があるんだ」


懐かしいと語る笑みだった。







「小さい頃、…そうだね。まだ幼稚園にも行ってないくらいだった」

彩が語る。
自身の過去を珍しく、おちゃらけてでもなく、お茶を濁すようでもなく、きれいに。

「少し、いや大分かな、歩いたところに坂があってね、その坂の途中に神社や公園があったの」
「いい環境だな」
「うん。だけど、ずっと行ったことがなくて」
「へえ?」
「もっと近くに、公園はあったから」

穏やかに笑う。
故郷の景色を思い浮かべているのだろう。

「秋にね、どんぐり拾いがしたくて。いつも行ってるところにはもう綺麗なのがなかったから、別のところに行きたくて」
「でもダメだっていわれた?」
「そう。お母さん忙しいから無理だって」

膝の上の組んだ手を見遣って苦笑する。
子供が気を紛らわせるように、というより、紐を手繰り寄せるようなその手遊びは、彩からしたら無意識の行動で。
どこか現実離れした彩の右顔を横目で見る。

「でもね、それを知ったおじいちゃんが一緒に行こうって言ってくれたの。おばあちゃんがみかんを持たせてくれてね、おじいちゃんが水筒とかみかんを入れた鞄をもってくれて」

柔らかな世界を垣間見た。
俺とは違う、暖かな世界。

「全然、そんなに、覚えてないんだけど。おやつにみかんを食べたことは覚えてる。 公園のベンチで、おじいちゃんとみかんを食べたんだ。おままごとみたいに、おじいちゃんの分も剥いて食べさせてた」
「バカップルか」
「ふふっ、言われてみればそうかも」
「妬けるなぁ」
「羨ましかろう?」
「そっちじゃねぇって」
「おじいちゃん美形なのに?」
「……く…っ」
「あははっ。 …でもね、それくらいしか覚えてないの。なんとなく、帰るときは綺麗な夕焼けだったように思うんだけど。強烈で、暖かな、世界だった気がするんだけど」

彩は俺に顔を向けて困ったように笑った。

「今みたいな。あのときのような。……どう思う?夕夜くん」


あのとき――。
俺と彩が、出会ったとき。
迷子の弟を捜す彩と、その迷子を保護した俺。
デパートの屋上で、紅く染まる世界が――穏やかな橙に色を変えた気がした。
彩と弟の再会をみて、言葉を交わして。気づけば柔らかな世界に変わっていた気がした。
彩の語る言葉から滲み出る、彩の祖父の温かみが。酷似しているように思えた。
だから俺は笑った。

「俺もそうだと思う。何の確信もねぇけど、彩のお祖父ちゃんが、そんな人だろうと思うから、何故かそう思える」

顔が歪んだ。堪えたいのに、堪えきれないと叫ぶように。
彩は涙を流した。

「もう、会えなくなっちゃっ、た…っ
まだまだ元気で居てほしかったのに、大好きだった、のにっ笑っててほしかったのにっ…、もう会えないんだよぉっ」

膝に顔をうずめて泣く彩を、抱きしめたいと思った。
強がりな弱虫を、守りたいと思った。

一陣の風が吹く。
鮮烈な紅と橙を混じり合わせるように吹き上げるそれは、優しく包むように穏やかになり、彩の髪を遊ばせて静まった。
まるで、ここにいると宥めているようだった。

「会えなくなるわけないだろ。いつだって、会いたいと思えば会えるから。
話せなくても、会えるから。
だからお前は笑っててやれ、安心させてあげろよ」

躊躇い引っ込めた手をまた伸ばし、彩の頭を撫でた。
一人じゃないんだと言い聞かせるように。



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memo.
20110308

だいすきだったあのひとに捧げます
おやすみなさい。ありがとう。おかえりなさい。いってらっしゃい。


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