白石蔵ノ介 新連載プロローグ ヒロイン編

何年経っても決して忘れることのできない怒声の言葉、憎しみを宿した瞳が今日もそしてきっとこれからもわたしの心を身体をじくじくと抉り続けていくことだろう。
膿みきった傷はもういつ破れ、かろうじて保つ理性と精神を崩壊させてもおかしくはない。
けれど、痛いとも苦しいとも誰にも吐けない弱音はわたしの罰であり罪なのだから仕方がないのかもしれない。
今日も振り続ける強い雨は、何もかもを失い置き去りにした罪を思い出させる。


”人殺しッ!アンタが、アンタが死ねばよかったのに!”


向けられたこともなかった憎しみを宿す瞳で怒声混じりの言葉は深く深くより一層にわたしの心を切り裂いた。






ザァーッ………。
台風のような強風に煽られるように強まる雨が窓ガラスを叩きつける。
連日のように降り続けている雨は止む気配がなく、梅雨の時期はより一層わたしの精神に悪影響を及ぼしてくる。
あの日、……わたしが罪を犯したあの日も強い雨で。
容赦なく叩きつけてくる雨粒で泥水に映えた赤がやけに鮮明で。
赤が映えた泥水の上に横たわるのは紛れもなくわたしの大切な人で、なのに何が起きたのかまったく理解できなかったわたしはただ呆然と立ち竦み、周りの救急車を呼べ!の声がリフレインするばかりだった。


「―――ってば!おーい?」

「っ……あ、…ごめん、」

「もう、わたしの話聞いてなかったやろ?今日も部活は雨で中止だろうから放課後、遊ぼうって言うてたんやけど!」

「……ごめんね、今日はちょっと用事があって早く帰らなきゃならないから…また今度誘って?」

「…用があるならしゃあないな…ほな、今度こそ絶対遊ぼな」

「うん、誘ってくれてありがとね」


思考がひどく鈍っていた。
友達の声さえ何処か遠く、今自分が置かれている状況さえうまく飲み込めてすらいない。
けれどそれを諭されまいとここ数年で学び取り培った笑顔を貼り付けて答えれば友達は納得したように頷くと自分の机に戻っていった。
その光景をぼんやり見つけて、小さく息を吐き出す。
ここは学校で、人の目があるのだから注意しなければ。
わたしの犯した罪を知られてはいけない。
この小さな箱庭のような世界でわたしが自分の居場所を得るためには、品行方正で勉学に秀でていて、スポーツも出来て、見た目にだって気を遣わねば。


犯した罪を覆い隠すために、そしてこの小さな箱庭で生き抜くために。
自分を偽り続ける必要があるのだから。






放課後になっても雨は止むことがなかった。
暴風によって横殴りになる雨にただただ息が詰まる。
別に用があったわけじゃなかった。
ただこんな雨の日は、人と関わりたくなくて、自分が自分でなくなるようなそんな感覚を常に覚えているそんなわたしを誰にも悟られたくなくて。
今日も自分を守るために嘘をついた。


「ごめんね、…ごめんなさい、」


誰に対して謝っているのか。
用事などないのに嘘をついてまで断った友達に対してなのか。
それともあの日の罵倒に対してなのか。
目の前で失ってしまった命に対してなのか。
もう、自分がこうして息をしていることすら罪な気がして吐き気すらしてくる。


「どうしたんや?大丈夫か……?」

「け、んや…くん…」

「お前、顔色真っ青やんか…具合悪いんやろ」

「っ、大丈夫…少し、疲れてるだけだと思うから。心配させて、ごめんね…」


教室を出て下駄箱で靴を履き替えようとした刹那。
急激の吐き気と目眩に一瞬、思考が完全に切れかかったわたしを支えるように彼が手を差し伸べてくれた。
忍足謙也、彼はわたしの血の繋がった従兄弟だ。
幼い頃から仲も良く、中学生になった今でもその仲は良好で。
わたしの犯した罪を家族以外で知っている人でもある。


「…お前、ちゃんと寝てるんか?」

「うん、寝てるよ、大丈夫だよ…ほんと、平気だから…」

「………ほな、なんかあれば言うんやで?」

「ありがとう、謙也くん…」


彼はとても優しい人だ。
こんな罪深いわたしを勞ってくれる、慰めてもくれる、信じてもくれる。
わたしのような人間にはもったいないくらいの従兄弟。
けれど差し伸べられた手を掴むことは出来ないし、しちゃいけない。
この罪は自分で、自分ひとりで受け止めて、償うしかないのだから。


「ひとりで帰れるか…?」

「うん、…大丈夫。わたしは平気だから」


”大丈夫”、”平気”は強がりだと彼ならわかっているだろうけど。
それでも何も言わず、心配そうに表情を少し曇らせながらも気をつけて帰るんやでと言い残して帰っていく。
その姿を見送ると、グラッと視界が揺れた。
今度こそ倒れる、と思ったのに。


「っ、大丈夫か……?」

「…………白石、くん…?」


またしても差し伸べられた手は、学校内の女子なら誰もが憧れている白石蔵ノ介だった。
謙也くんと親友らしいけれどまともに話したことはなかった。
お互いの存在は認識していたけれどただ、それだけ。
きっとこれからも関わることなどないと思っていた。
彼は光がよく似合う、太陽のような存在なのだと思っていた。
それに比べてわたしは闇を纏っている、汚れた、罪深き存在で。
決して交わることのない対極にいる存在なのだとこの時まで思っていたのに。


「ご、めんな、さい……、さん……」


プツリ、と今度こそ視界が真っ暗になって。
深い深い闇の底へと落ちていった。
差し伸べられた手に初めて、安堵したのだった。



2018.07.13 prologue end

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