◎貴方の色した宝石
木漏れ日と春の穏やかな日差しがうっすらと申し訳程度に顔にかかる。それが気持ちいいやら邪魔やらで白澤は静かにパチリとふたつの目を開けた。
映る世界には辺りを覆う緑が陽の光に反射してキラキラと輝いている。まさに何年見続けても飽きない美しさだ。
神獣白澤はなぜか獣型の本来の姿で天国の草の上に寝ていた。
はて、自分はどうしてこんなところにいるのやら。
寝そべりながら考える。
けれど頭を捻っても何も思い出せないので、仕方なしにのっそり身体を起こして人型に戻る。すると身体の節々がバキリと音を立てた。

自分はどのくらい長い時間寝ていたんだか……?

何か、もっと、思い出さなければならない重大なことがあった気がするのに全く思い出せない。
考え事をするときの癖で白澤が目線を下にやると、自分がいたところの下になにやらゴルフボール程の玉があるのに気付いた。片手でそれを拾い上げて、日にかざす。
それは白澤が見た中で一番美しい宝玉だった。

総合的な色合いはオレンジ。
けどよく見るとオレンジだけではなくて、黒だったり赤だったり細々色が刻まれている。日にかざすと明らかに透明でない宝玉は不思議とオレンジ色の光を放ち、地面を己の色で照らす。

こんな石みたことないや……!

こんな宝玉を知り合いの高貴な女の子たちはつけていただろうか?
見たことがあるのはもっと普段から美しい、輝くだけの玉だ。リリスが持っていたのもダイヤモンドとかアメシストとか、そういうものばかりだった気がする。

この宝玉は普通の宝石とは違う。

日に当てると、中の色が所々変わっていく。まるで硝子玉の中に何か精霊でも入っているかのような。かざされる日の光に眩しいと逃げ回っているような。

そのとき頭にふと、チクリ。
針で刺したような痛みを感じた。
思い出せそうなのに思い出せないときの、この感じ。

玉の中身と関係あるのかな……?
その可能性を考えて中身を探ってみたが、残念なことに中に命の気配はなかった。
白澤とて心臓はないが、生きているモノ特有の気配くらいはある。

つまりこの宝玉はただの無機物だ。
例え生きているように美しくとも。それがみずみずしく脈打ってるように思えても。

宝玉の中に妖精でもいるのかも?こんな綺麗なら絶世の美女だったりして……。

そんなことを考えていた白澤は何もいないとわかると途端に興味をなくした。

うさぎ漢方極楽満月に戻るべく、森を抜けようと歩みを進める。

手が自然と懐に向かっていたのに白澤は気付かない。
興味がなくとも、なぜかその宝玉を捨てる気にはなれなかったのだ。
見向きもせず、しまわれた宝玉。

だからそのオレンジの宝玉の中身がさみしげに蠢いたのに、白澤は少しも気付けなかった。





あのとき、白澤が目を覚ましてから500年たった。

あの日は普段使っている道を通ったのだけれど、何かが違って漠然とした不安が襲う。やっとついた極楽満月は相変わらずでとても安心した。
店の扉を開けると、桃タローくんがいきなり泣きついてくるものだから相変わらずではなかったのだけれど。

どうやら普通に寝ていただけではないらしい。
桃タローくんと話して、少し記憶を取り戻した。
知識の神とあってか莫大すぎる情報を持った白澤は記憶が曖昧になっているところがあるようだと、そのとき気付いた。

誰だっけ?大予言みたいな、そんなことを言う人間。

あれの本物は神に告げられて、人間に伝えられるのだ。

誰かが言った。

『世界が滅びる』

と。

神が人間にそう告げた。
それは紛れもない事実であの世もそうであった。
滅びるのは現世だけではない。全てが例外なく滅びるのだ。

けれどあの世の連中は慌てたりしない。……当たり前だ。
あの世の連中は死ぬことがないのだから。

一度消えて、また同じものに同じ記憶を持って再生する。
要するに一時の長い安眠だとでも思えばいい。
現世と違って、あの世では閻魔殿や天国とあったものは自然に再生する。
白澤が覚えた違和感はただ再生しきっていない場所を見ただけのことだった。

こうして500年。

白澤は桃タローに漢方を教え、来客の女の子に変わらず話しかけ。
リセットされる前と全く同じ生活を送っていた。

今は獄卒から頼まれた薬を作っている最中だ。地獄からの注文は度々ある。
閻魔大王とは飲み友だし、お客が天国の住人だろうと地獄の獄卒だろうと全然構わない。

そういえば閻魔大王と500年以上一緒に酒飲んでないや……

永遠の時を生きる白澤に500年など長いか短いかを問うのは愚問である。

花街に出向くことはあるが、閻魔殿まで行く機会がない。
できた薬も地獄側が取りに来るし、郵送依頼でも桃タローくんをよこしている。


「久々に僕が届けに行くよ。閻魔大王とも話したいしね。」

そう言えば、できた部下は快く「わかりました」と返事してくれた。

「桃タローくんお疲れ。もう上がっていいよー。」

「はい。白澤さまもお疲れ様でした。」


桃タローは身支度して、帰ろうと扉を開けた。
けれど、ここを出て行こうと一歩踏み出した直後にふと思い出したことがあってそれを伝えようと白澤の方を振り向く。


「あ、そういえば鬼灯さんまだ再生していないらしいですよ。」


その言葉に白澤の頭に雷に打たれたかのような電撃が走った。
走ったのだけれども………、

……鬼灯って、誰だっけ?

その名前に、知らない名前にとてつもない程の不安を煽られる。
そんな名前のヤツ、知らない。
知らないことが怖い。

もう、500年たった。
膨大すぎる知識の再生に時間がかかり、いくつか抜けた記憶もだいたいは戻ってきた。

なのに全く、聞き覚えがない。
それを桃タローくんはさも、知っていて当然のように言った。

まだ戻ってきてない記憶があるのか?

誰、とは不思議と聞けなかった。

ただ身の内を占める不安が、白澤の心の内を侵食していく。
聞いたら桃タローくんを失望させてしまうような、自分を許せなくなりそうな。

そんなことばかりを考えてしまって、桃タローくんが帰っていった後も暫くその場で呆然と立ち尽くしていた。

やっとこさ着いたベッドにバサリと倒れる。

枕元で主に何かを伝えるように宝玉の模様が蠢いた。





「やあ、大王久しぶり!」


薬を届けた帰り、閻魔殿によって閻魔大王を飲みに誘った。


「おお、久しぶりだね白澤くん!」


大王は朗らかに笑って白澤を迎える。罪を犯した亡者を裁くのにこれほど不適切な王もいないだろう。
世界の全てが滅んでいる間と白澤が再生するまでの間とその後の500年間会っていなかった閻魔大王は少しやつれていた。笑顔もあのときより暗い気がする。
白澤のすぐにのってくれると思っていた誘いも少し悩んだ末に了承してくれた。

確かに地獄はとても忙しそうで、悪いことをしたなと思う。今更やっぱいいと言っても、気を使わなくていいと跳ね除けられてしまうだろう。

でも現世も今はそこまで人が死ぬ世でもないし、そんな多忙になるような出来事があっただろうか。
白澤にはそれが疑問だった。


「それでね〜。」


飲み屋に行って暫くたつと酔いが回ってきて饒舌になり、世界が元に戻ってから今までの情報交換をした。

もうだいたい元通りであること、リセット前と変えたところ、その他いろいろと。

かなりあって、僕も天国で感じたことをたくさん伝えた。


「……ああ、そういえば。」


唐突に聞きたくなった。
酒が入っていなければ、もう少し考えて言葉を選んだだろう。


「鬼灯って、」


誰なの?

そう聞こうと思って、止めた。
否、最後まで言えなかった。

その名前を出した瞬間。

一気に酔いが覚めた閻魔大王がポロポロと大粒の涙を零したからだ。

なんで!?と驚くも、嗚咽まじりにたどたどしく話してくる大王の言葉を丁寧に拾って、涙のわけを聞く。

話し終える頃には大王は落ち着いてきて、代わりに白澤はみるみる青ざめていった。

最後の方は居ても立っても居られなくて、大王に謝って神獣姿で天国に飛び立った。


ひどい、ひどい

こんなことってない

こんな残酷なことってない

早く行かなきゃ


『鬼灯くんは生まれが特殊だからね。もしかしたら不死身じゃなくて再生できなかったかもしれないんだ。……ワシがあのとき気付いていたら。』


大王の言葉を自分の中で反芻する。

そして頭の中にオレンジの実を思い浮かべる。

そういえば……。

あの宝玉はまるで鬼灯の実のようではなかったか?

………ああ、全部思い出した。
思い出したよ。


ごめん


ごめんね、鬼灯ーー





白澤は500年前に目を覚ました場所にいた。

あの宝玉を持って。

あの時、白澤は気付いたのだ。
今大王が悔やんでいることを、白澤は事前に考えついていたのだ。

時間がなかった。
恋人ではなかったけど、愛しかった。
失いたくなどなかった。
鬼灯も内心、好きでいてくれていると思っていた。

でも鬼灯にそれを素直に持ちかけても、跳ね除けられるだけだろう。

………だったら仕方ない。

そう思ってしまった。自分なら再生したらすぐに出してあげることができると思っていた。どうして白澤はあのとき仕方ないと思えたのか、不思議でならない。それだけ自分は焦っていたのだろうか。

確かにあの日、白澤がやったのだ。

鬼灯を騙して、透明なゴルフボール程度の水晶の中に。

確かにあの日、白澤はあの水晶の中に鬼灯を閉じ込めたのだ。

驚いて目を見開く鬼灯の顔が鮮明に浮かんだ。どうして今までこんた大切なことを忘れていたんだろう?

答えはわかっている。

……白澤が世の理から無理矢理切り離したからだ。だから神である白澤には必要以上の記憶が戻ってこなかった。この世の理に従わないものを、この世の神に思い出させてはくれなかった。

あの日、それを大事に抱え込んで白澤が終わりを迎えたことを綺麗さっぱり忘れてしまっていたのだ。


じゃあ、………じゃあ。


足元で拾って、日にかざし、何より美しいと思ったあの宝玉は。
オレンジのゴルフボール程の小さな石は。


あの中には、


………鬼灯がいるってことだろう?


ああ、こんな残酷なことってない。

あれから何年の月日が経った?
何年、ひとりぼっちにさせた?

自分が感じた己以外何もないことへの焦燥や物足りなさを、愛しい者に丸ごと体感させるなんて。

こんな酷なことって、他にあるだろうかーー?

白澤は玉に触れて、ある言葉を唱えた。
あっという間に跡形もなく吸い込まれて、その場に宝玉が転がる。

鬼灯がひとりでいた時間もこの宝玉が吸い込んでくれればのに。
涙と罪は僕に残してくれて構わないから。

お願いだから、生きていてーー

それがどれだけ酷い願いだとしても、それだけは。

中身の気配を探ったときに『何もない』と感じたことが、白澤の心の内を恐怖で締め上げていた。





この宝玉は白澤の所有物で、ただの水晶ではなかった。
遠い昔、時と空間を司る悪魔に貰ったもので大切なモノをひとつしまえる優れものだと、中国妖怪の長である白澤にくれたものだ。

生き物でも物でもなんでもいい、とその悪魔は言っていた。

『大切なモノが宝石になるなんて美しいでしょう?』

そう言った悪魔の顔を思い出す。
もしこの水晶をくれたのが知り合いの神々であったなら、気休め程度の安心は得られたが相手が悪魔となるのそうもいかない。

彼らは嘘をつかないが、言葉巧みに人を甘言で誘う。

とは言っても、白澤は神獣で知能も高いため惑わされることはない。

けれどその時は美しいと思っても使うつもりなどなかったし、己にそこまで思わせる大切な存在がいなかった。だから簡易な説明を聞いて、簡単にその水晶を懐にしまってしまったのだ。

その悪魔は、閉じ込められた大切なモノがどうなるか、なんて一言も言っていなかった。

……言っていないと思っていた。

大切なモノが宝石になる、という言葉を白澤は自分の手元において愛でられるという意味だと受け取った。

言うなれば鳥籠の中で暮らす鶯のように、檻に囚われた少女のように、透明な水晶に大切なモノを閉じ込めるモノだと思っていた。

ただ硝子でできた、窓のない丈夫で外界と一切を遮断する檻のようなものだと。

もし、それが違ったら?
今、考えている意味だったら?

大切なモノが本当に宝石という無機物になってしまうのだったら?

だったら、今、

鬼灯は………?


宝石でできている道を足早に潜る。
中は全てが宝石でできていた。

オレンジだとか、黒とか、赤とか。

ああ、多分、これは鬼灯の色だ。
もとの水晶の色は透明だった。妖気とか、感情とか、鬼灯に染み付いた色が反映されているのだ。

オレンジは名前、黒は妖気、赤は感情。

他にもたくさんの色があるから、生き物ひとつを構成するのは簡単ではないのだと改めて知る。
そして生き物の素晴らしさを知った。あの身体に、ここまでのものがしまわれているのかと。

しばらく道を行くと、そこには。


「鬼灯っ……!」


自分と同じ身長の、黒と赤の着物を着た、完全にこの部屋の色と同化した鬼灯がいた。
鬼灯はスッと振り向く。


「……遅いですよ、白豚さん。」


その声は間違いなく、かつて己が愛したバリトンで。
ああ、鬼灯が動いている。
話している。
ごめん、本当にごめんね鬼灯。


「ひとりにして、ごめん。」

「……………。」

「本当に……、僕が一番その辛さを知っているのに…………。」

「………………。」

「なんで僕はあのとき、そんなっ!」

「白澤さん、あなたひとつ勘違いしてます。」


鬼灯は静かに白澤の言葉を遮って驚くべきことを口にした。


「私、外出てましたよ。」

「……………は?」

「だから私、この世界が再生してから何度か外出てましたよ。」

「え、ちょ、なんでっ!?」

「……………宝石になり終えたから、ですかね?」


鬼灯は首を傾げてそう言うけれど、白澤は言っていることが凄すぎてついていけない。


「今の私、宝石なんで。」


言っても理解できないと思ったのか、鬼灯は左足で思いっきり立てかけてあった金棒を蹴った。
この空間で唯一の異物だ。

その瞬間、ガシャンと音を立てて何かが割れる音がこの空間に反響した。


「うそ………。」


鬼灯の左足があった所は、何もなかった。
なくなったというよりはその場に粉々に砕け散ったと言ったほうが正しいか。
そして足の断面からオレンジの、これぞ宝石の輝きが姿を現す。
粉々に砕け散った足も、パラパラとオレンジの輝きを放っていた。


「今の私は外には出れるんですけど、歩けないんです。」

「……もしかして、硬度?」

「ええ、あなたコレを枕元に置いたでしょう?お陰で貴方のベッドまでしか行けなかったですけど、一応外には出れましたよ。」

「じゃあ僕に言ってくれれば!!」

「あなた日の当たる時間帯に部屋にいないでしょう。私が外で動けるのは日が当たっているときだけなんです。」

「………床もダメなの?」

「あのくらいの床は平気なんですけど問題は壁やドアですね。触った瞬間ヒビが入りました。」

「じゃあお前もう閻魔殿では!!」

「………働けないですね。」


鬼灯は肩を竦める。
…………おかしい。なんで鬼灯はこんなに冷静なんだろう?
普通なら白澤をどれだけ罵倒しても足りないくらいなのに。
殺される覚悟でここまで来たというのに。
お前が生きていればどれだけ殴られてもいいと思って来たのに。


「貴方の考えていることはだいたいわかるんですけど余計なお世話ですよ?」

「なんで……?世界が再生するまで一千万年以上おまえをこんな世界で一人にしたのに。」

「…………私だっていろいろ考えたんです。時間だって山程ありましたしね。」

「………………。」

「貴方も、こんな思いだったんですね。こんなふうに1人で、ずっと、生きてきたんですか?」

「……うん。そうだよ。」

「そう、ですか。」


鬼灯の左足はだんだんと再生していた。
きっとこの空間にいれば、全身粉々のバラバラになったとしても傷一つなく元通りに戻るのだろう。

それがどうしようもなく悲しかった。

もう人間ではなくて、鬼でもなくて。
鬼灯は鬼でいることに愛着を持っていたはずだ。閻魔大王を助ける補佐官という地位に少なからず誇りを持っていたはずだ。
なのにそれを失わせたモノと静かに話せるよう落ち着けるだけの時間を1人で過ごして。自分の中でこの問題にどう決着をつけるかまで、出来上がっていて。

どれだけ己は最低なのだろうと、突きつけられた。


「私は、良かったことを探すことにしたんです。」

「………………。」

「ひとつしかありませんが、……お慕いしていた方と同じものを味あうことができた。」

「…………へ?」

「だから、もういいんです。」


そう鬼灯は笑った。
黒い髪が揺れて、それが透き通るような色をしているのに気付く。
周りが眩しくて気付かなかったけれど、鬼灯の髪はブラックダイヤモンドのような輝きを放っていた。

それに引き寄せられるようにして、手を伸ばす。白澤は壊さないように鬼灯を優しく抱きしめた。


「鬼灯、………触れた。」

「人肌は硬くありませんから。……モフモフのほうがいいですけど。」

「もう、んじゃあさ。」

「なんですか?白豚さん。」

「白豚じゃねぇっつうの!じゃなくて、……僕の背中に乗って外に行こう?そうすれば、外に出られるでしょ?」

「ああ、それはいい考えですね。ト○ロにしがみつく夢が一足先に叶いそうです。」

「だから僕はト○ロじゃねぇっつうの!!」


減らず口にひどく安心する。
きっと鬼灯はあえて、今まで通り接してくれているのだろう。

腕の中にいる鬼灯が泣いているのに気付いた。

ごめん、って謝るのはこれでお終い。

足下に涙のカタチをしたオレンジの宝石が落ちた。



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