◎だって彼はみんなの太陽だから
「沢村さん。」

少し低めでよく通る声に呼び止められて、俺は頭だけをぐるりと後ろに向けた。その声の主は予想はしてたけど何故だ、って人物で。

「俺にボール投げてくれませんか?」

他者に何の印象も与えない、強いて言うなら『無』という言葉が一番似合う瞳に。情熱とかプライドとか、言葉にしたら陳腐で雰囲気が違ってきてしまいそうな。だけど確かなものがあって。

色素の薄い彼はただただまっすぐ俺を見ていた。

俺の何を見ているのだろう?
何に惹かれたのだろう?

答えはわからない。

だけど御幸たちの驚いた顔から、俺がまだ中学で名を馳せていた奥村 光舟という捕手に指名されるほどの魅力がないことだけは痛感した。





桜がちらほらと咲き始めた春。少し冷たい風が人と人の隙間を通り抜けて、冷たい、でもちょっと暖かい、そんな気候。晴天の下、野球部のグラウンドでは一年生が指示通り一列に列をなしていた。

「今から自己紹介をしてもらう。」

三年生になったキャプテン、御幸一也が凛とした声で言い放つ。

絶対、似合わないと思ってたんだけどなあ


『〜です、〜希望です、よろしくお願いします』


ひとりひとり自分のことを説明する一年生たちをぼんやり眺めながら、そう思った。
今年から御幸の意向で、一年生の実力を見極めるためにレギュラー陣もこのグラウンドに集められた。

今年の夏が最後。御幸の、倉持先輩の、二年生みんなの、最後。
俺はもう失敗しない。しちゃいけない。あんな夏はごめんだ。努力が報われない悔しさは何よりもツラい。

最近、よく考えることがある。

この青道野球部にとってベストな状態ってなんだろう?

一昔前の俺なら必要ないと言われても絶対無理矢理居座っただろうが、今なら。今そう言われたら、それが自分よりはるかに役立つ人間だったら、譲ってしまうかもしれない。
あの夏は俺に成長も後遺症も残していった。何か新しいものができるようになったら今までできていたものができなくなったみたいな、あれ。

最近、昔みたいに何事にもがむしゃらに取り組めなくなった。いや、取り組む前に迷うようになったというべきか。頭を使うようになったことは成長と言えば成長だし、がむしゃらにやることで得ることができるものを逃している気もする。

だから自分のことに消化不良をおこしている俺に、奥村 光舟の自己紹介でのある発言は意外そのもので素直に喜べなかったのかもしれない。


「奥村 光舟です、捕手希望。沢村さんの球を受けたくて青道にきました。」


その言葉に一瞬あたりが静まって、直ぐにざわめきに変わった。
俺もさぞポカンと間抜けヅラで彼をみていたことだろう。
だけど彼は真っ直ぐ俺を見ていた。

真っ直ぐだった。

だから尚更だった。こいつは本気なんだって、そう思ったら。

俺だって真っ直ぐに返すしかないだろう?

失望されるのはイヤだ、もう失敗するのはごめんだ。
迷いや不安が消えたわけじゃない。だけど俺のボールを受けたいと言ってくれるやつがいるなら、今持ってる力すべてでそのミットに投げ込んでやろう。

そう思えた。

そう思わせるだけの決意の表れが、彼の視線にはあった。





1年生対二軍。
俺と奥村がバッテリーを組む日は意外と早かった。というか、今日。言われたその日だ。一年生の実力を知るための試合。その試合の途中から俺はその試合にでることになった。
一年生の投手希望者が去年と同じく途中で崩れたからだ。

奥村 光舟とキャプテン(結城センパイ)の弟は間違いなく天才だった。あと、奥村と同じ中学出身のヤツもなかなかうまい。

けれどそれだけで青道二軍を崩せるはずもなく、試合は去年の俺たちよりはマシだが似たようなものになった。

ミスやエラーの連発。それに対して結城センパイの弟は無言で非難の圧力をかけてくるし、奥村はキャッチャーなのに一瞥くれただけで特に何かをしようとはしなかった。
試合は中断されるはずだったが、一年生の間には瞬く間に不穏な空気が流れ始め、見兼ねたボスが俺に一年生側の投手をやるよう指示したのだ。確かに打たせて取るピッチングの俺は外野の実力を見極めるのに適切かもしれない。

結果、俺と奥村はバッテリーを組むことになった。

軽く投球練習した後、作戦会議と称してマウンドにいる一年生たちを集める。
一応俺が先輩でレギュラーだからか、ミスを連発した一年生やピッチャーが申し訳なさそうに縮こまっていた。その雰囲気に長野で野球をしていたころを思い出す。
あいつらもミスしたとき居心地悪そうにしてたな、とか。
久々にあの頃の仲間たちを思い浮かべたら気付かぬうちに口角が上がって、周りが変な目で見てるのに気付いて、慌てて繕った。

皆より一歳年とってるからと言って、俺がアドバイスしてやれることは何もない。いつだって自分のことでいっぱいいっぱいだ。

だから俺がこの場でできることと言えば、悩むでも考えるでもなく、こいつらと一緒に勝つ努力をすることくらいだろう。こいつらと一緒にこの試合を足掻くことくらいだろう。

負け試合なんてさせたくない。
やるからには勝ちたい。
諦めるのだけはイヤだ。

マウンドに立つと心が躍る。
試合は好きだ。うだうだ考えた末でもここに立ちたいと思える。誰にも譲りたくないと思える。

なら俺はまだ大丈夫だ。

俺にはまだここに立つ資格がある。

たとえ俺が教えてやれることがなくとも、ここに立ったらもう考えるのはやめだ。本当に自分がここにいるべきなのかを考えるよりも、もっと他にやることがある。
気持ちで負けてたら、勝てる試合も勝てない。この瞬間、俺のチームメイトはこいつらだ。こいつらに勝たせてやりたいと思うのは傲慢かもしれないし力不足かもしれない。

けど。

せっかく俺を指名してくれたんだ。せっかくボスが俺にマウンドを任せてくれたんだ。
それがどんな試合であろうが本気でやるしかないだろう?

そのためにはこんなお通夜みたいな空気じゃ駄目だ。

「お前ら……」

そう呼びかけると不安や恐怖が募った視線が俺に集中する。
俺はそれを振り払うようにニカッと笑った。

「ーーーー。」

皆揃ってポカンと間抜けヅラ。

だけど次第にそれに笑顔が浮かぶようになってきて、充分に肩の力はとれたみたいだ。

「っしゃあ!行くぞぉ!!」

反撃、開始。
それを合図に一年間の士気が高まっていくのを全員が肌で感じた。

長野で沢村がキャプテンをしていた頃を唯一見たことのある高島 礼は思う。

(まるであの時のようだわ…)

沢村に真のエースの姿を見たあの試合と、今が。

どんなピンチな状況でもマウンドで輝くように笑っていた彼と。
途中参加の沢村にとってこの試合はかなりのハンデを背負ってるも同然なはずなのに。

それでもマウンドに立ったら、自信に満ち溢れたように笑う。どんなときでも味方を勇気づけてくれる。

これが沢村の一番の才能だと思う。

他の誰にも真似できない。
ムードメーカーとしての才能。
エースに必要な才能。

太陽に背を向けて真っ直ぐに立つ彼は、普段より幾分大人びて見えた。





結果から言うと一年生が負けた。

それでも最初十点ほどあった差が一点まで縮まったのだから、いい試合だったと思う。

最後にはみんなが悔しそうな顔をしていたが、一番悔しそうな顔をしていたのが沢村さんでそれが光舟には印象的だった。

きっと沢村さんが交代する前に試合を終わらせていたら、みんな悔しいなんて感情をどこかに起き忘れてきていたと思う。
光舟自身、自分はミスしてないからなんてことは言えない。負けるのは悔しい。

中学の頃のチームだったら自分だってピッチャーに話しかけてた。
だけど今回の試合は相手をよく知りもしないのに何を励ませと言うのか、という気持ちが少なからずあったから何も言わなかった。

けれど初対面なのは沢村さんも同じなのだ。

なのにたった一言で、太陽のように笑うから。気にするな、って本当に気にしてないような顔で言うから。

さっきまでミスしてたヤツらがウソのようにボールに食らいついていくのだ。

沢村さんの打たせたボールが取りやすいというのもあるだろう。

でも確かに思ったのだ。
ああ、この人の期待は裏切れない。
この人が信じてくれるなら、それに応えたいと。

さすがはレギュラーだ。
内と外とチェンジアップ。
それを光舟の指示通りに投げてくれる。これほどリードしがいのある投手もいないだろう。

ボールが曲がるのだ。あの真っ直ぐな性格とは反対に。でも次に何をするかわからないところは似ている。

見えない腕に振り遅れるバッド。
打たせても取りやすいボールが外野にいく。

きっと彼という人間はどんなときだって中心にいるのだろう。
新入生とだって今日の試合で直ぐに打ち解けたようだ。

試合が終わった後、彼はマウンドで空を見上げていた。目は帽子の影に隠れて見えない。だから何を思っているかもわからない。

外野を守っていた一年生が沢村さんに駆け寄ってくる。

「沢村先輩っ!」

そう言われて空から視線を戻した沢村さんは笑っていた。だけど決して「よく頑張ったな」とか「やったな」とは言わなかった。
それに少しばかり嬉しいと思った自分がいる。
彼はこの結果に満足していないのだ。彼はこの試合に本気で勝つもりでいたのだ。

(青道にきたのは正解、か)

自分が魅入った秋大のあの試合。
それから青道に行こうと決めていた。

彼のボールを受けたいと思ったのは決して間違いじゃなかった。

でも。

(……なにか違ったな、雰囲気)

想像してたよりずっと大人びていた。豪快に笑ったときでさえ、光舟には影があるように見えた。

なんだったんだろう?

それは今日初めて話した光舟にわかるはずもないのだけれど。

「光舟ー!ここにいたか!」

不意に背中から声がかかる。
自分のことを名前で呼ぶのは一人しかいない。けれど聞き慣れた声とは違った声で光舟は静かに振り返った。

やっぱり、沢村さんだ。

自分に用などないはずなのに、どうしたというのだろう。

そんな疑問が俺の視線に表れていたのか、彼は照れたように頬をかきなから言いにくそうに言った。

「あのさ、」

なんて言おうか、迷ったような声。
それを光舟は丁寧に拾い上げる。

最近、ずっと悩んでいたこと。
だから俺に指名されたときにも素直に喜べなかったこと。
今日バッテリーを組んでの感想。
そして、

「ありがとう」

と。

今日の試合のおかげでいろいろ吹っ切れた、と。

「嬉しかった」

と、そう言ってくれた。

マウンドに立っているときと何一つ変わらない笑顔で。

ああ、本当に青道にしてよかった。


その笑顔が、

太陽のように眩しかったなんて、誰にも言えやしないのだけどーー





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