◎リレー小説
(うみこ)



―その透かしの世界で唯一求めた彩こそ、私の生涯の宝であった。其処に詰められたものはそのどれもが決して幸福なだけではなかったが、だからこそ私は彼女という何よりの宝を一心に一身に…また一新に愛せた。そう、私たちは幸せだったのだ。これでわかっただろう?この話は片田舎の朝より眩しい訳でも無ければ、語り継がれる程の冒険でも無い。当然だ。だってこれは私と彼女の物語なのだから。普通の幸せを願い追い、普通に幸せになった者等の日記帳のようなものだ。…さあ、そろそろ彼女が起きてくる時間だ。もう次は無いけれど、私と彼女はいつだって此処で笑っている。続きは無くともまた会える。ひとつ君に願うなら、次にこれを開く時、君の隣で笑う最愛が在ればこの上ないね。

それじゃあ、またいつか。







「……これでお終いです」

パタリと彼の膝上に置かれた紙に、アリババは知らずほうっ、と息を吐いた。頭上で揺れる葉の隙間から射す陽光が暖かい。

「何だか…素敵ですね」

吐息に乗せられた言葉は空気に淡く溶ける。そんなアリババの感想に対し、ジャーファルは微笑を零した。

サワリサワリと静かに揺れる大きな木。その下でジャーファルがアリババに物語を読んで聞かせるのはこれが初めてではなく。いつから始めたのかもう覚えていないが、お互いに時間が取れた時に暗黙の了解とでも言うのか…とにかくこの木の下に二人は集まるようになった。それはいっそ驚くほど自然に。ジャーファルがひとつ物語を携えて、先に待っているアリババの隣に腰を下ろせばその場は二人だけの世界になる。流れるように言の葉を紡ぐジャーファルの唇。身体に浸透していく彼の声はまるで魔法のようだ…と、アリババは隔絶された美しい世界でただただジャーファルに見惚れ聞き惚れた。


「実はこれ、私物なんです」
「え?」

穏やかなひと時にぼんやりと思考を飛ばしていると、不意にジャーファルが口を開いた。どこか恥ずかし気に、そして懐かしむようにそっとジャーファルは膝上の紙に触れた。

「昔、王宮の図書館でこれを読んでいる時にシンに見つかってね…」

何を思ったのか彼の王は次の日、急にこれを自分への贈り物にした。幾ら要らないと突っぱねようと、受け取るまで頑として動かなかったのを覚えている。自身より齢を重ねた主ではあるが、その時ばかりは子どもかと呆れたものだ。…だがこうして自らが齢を重ねた時に初めて分かることもある。じんわりと上らせた笑みはやっぱりどこか恥ずかしそうで。アリババはそんなジャーファルの表情を視界いっぱいに広げ、そうしてアリババ自身もまた顔を綻ばせた。


「ああ、贈り物といえば」

そういえば忘れていたとジャーファルが何かを取り出した。布に包まれているそれは然程大きい物では無い。

「?これ…」
「私からアリババくんに、ですよ」

ジャーファルに優しく微笑まれ、サッと頬に朱を散らしたアリババは誤魔化すように下を向いた。



(このえ)



アリババはそのままの視線で手元にある袋をみて「開けますね」と早口に伝える。開ければ、中から出てきたのは 美しく装飾されている一つの箱だった。クリーム色をしたその箱には控えめながら美しい鮮やかな石が施されていて、アリババは一目見ただけでもそれが高価な物だと分かった。そしてこれを作った職人の想いも。すごい!!、と思わず子供の女のようにはしゃぐアリババを見てジャーファルは柔らかく微笑む。と、それに気づいたアリババは自分の醜態を晒してしまった事に対して恥ずかしくなり「すみません」と気まずげに視線をそらした。堪らず下を向いてしまう。その目元はいまだ、仄かに赤い。木の葉の間からもれる日の光が箱の装飾をいっそう際立てて、やはり何度見ても美しいそれに、頬が緩む。

「喜んでもらえたようですね。良かった。」
「あの・・・これは・・・?」

おずおずと目元を赤くしたまま問いただせばジャーファルは、ふふっと笑ってアリババの持っているその箱にそっと触れた。

「この箱はね、宝箱なんです」
「宝箱?」
「そう、アリババ君の宝箱。」

「これには、アリババ君の周りにいる、大切な人から貰った物を入れるんです。」

触れる指先はひどく優しげで、発せられた言葉の声色もまた優しいものだった。幾度も『宝箱』撫でる指先から愛しささえ滲み出ている。しかしジャーファルは「でも」と繋げた。

「この宝箱の中には、1つしか物を入れてはなりません」
「1つ。」
「はい、1つです。」

箱を触れていた指先が離れ、次はアリババの唇まで持っていかれる。人差し指を顎にかけ、親指で唇に、触れる。そのまま横に指を滑らせ撫でられて、アリババはかあぁ、と顔を赤くそめた。(どうしてか、今日はジャーファルの前で顔を染める機会が多い。)くすくすと可笑しそうに笑ったジャーファルはアリババの頭を軽く撫でてから立ち上がる。見上げた先にいるジャーファルは木漏れ日を背にしていて、それは神秘的とさえ思わせた。ふんわりと笑ったジャーファルは「それじゃあ、 頑張って探してね」と言って頭につけているクーフィーヤーを翻し立ち去った。木の根本にいるアリババはしばらく動けずにいた。熱い。体を巡る熱が自分を縛り付けているようだ。はぁ、と、体の熱を逃がすかのように、苦し紛れにため息をついた。そうしてまたジャーファルから貰った『宝箱』に視線を落とし、先程ジャーファルがしていたように箱を撫でる。

「大切なもの、か。」



(椎野)



アリババはゆっくりと目蓋を閉じ、考えを巡らせた。大切なもの、大切なもの…。自分の中の記憶を辿りこの美しい宝箱に入れるに最適なたった一つを探す。例えば左の耳に付けた親友の赤いピアス。絶対に忘れてはならない覚悟と決意を示すもの。例えば今は壊れてしまったが思い出深いナイフ。今までの自分を創り支えてくれたもの。嗚呼、先日アラジンとモルジアナが自分のために競うように探して差し出してくれた四葉のクローバーも些細なものだと笑われたとしてもこれ以上ない大事な大事な宝物だ。

探せば探す程どれも等しくアリババの大切なものなのだ。アリババはグゥ…と低く唸って首を傾けた。

まったく、一つだけだなんて意地悪な話じゃないか。そもそも何故ジャーファルは“ひとつ”だなんて制限を付けたのだろう?数ある中のひとつだなんて選べるわけがないのに。…それに今思い付いたものはどれも宝箱にしまいこんでしまうべきではないように思えた。

そう、この中に入れるべきはもっと、もっと――
サワサワと穏やかな風が葉を揺らし、アリババの柔らかな髪を撫でる。揺れた葉が光を差し込み、一瞬の眩しさに閉じていた目をゆっくりと開く。ぱちぱちと瞬きをして小さく溜め息をつけば、色鮮やかな緑の葉から射し込む光の筋がジャーファルの身につけた服とキラキラ光る銀の髪の毛と重なり、妙な恥ずかしさが込み上げてパッ!と俯いた。誘発するようにふわりと微笑む表情、柔らかく愛おしげに触れる指先、耳を擽った甘い声色まで次々に思い出してしまい、じわりじわりと熱くなる。アリババは誰に見られるわけでもないのに火照る頬を隠すように下を向いた。

瞬間、頭に浮かんだ一つの答え。「あ…、」と小さく声を溢したアリババは宝箱を空に翳してふにゃりと微笑んだ。

嗚呼、成る程そういうことか。先程の物語もこの贈り物も全ては繋がっていたのだ。これは彼からのメッセージ。そう思えばあの意味深な言葉も足早に去っていった後ろ姿も、気恥ずかしさを隠すかのように逃げたのだと合点がいく。なに食わぬフリをしておいて、あの時ジャーファルも赤い顔を隠すように少し俯いていたのだろうか。そんなことを考え、アリババは込み上げる笑いを噛み殺して立ち上がった。



(miou)



宝箱をそっと持ち上げ大事に大事に掲げる。そして足早に自分の部屋に向かった。その途中、さっき思い至ったことを頭の中で繰り返してみる。
制限がなければ本当はこの中にたくさんのものをいれたい。それこそ大切だと思うものを全部。でもそれができないなら、たった1つしかいれられないのなら、よく自分に問い掛けて決めなければならなくなる。宝物は決して目に見えるものだけではない。今、自分が一番に大事と思うもの。他のどんなものとも比べようがないが何よりも大切なもの。そうなれば思い当たるのはたったの1つだけ。
もし物語の主人公に同じことを尋ねれば同じことを思ったはずだ。
だって、普通の幸せを愛する主人公の思いが自身で痛いほどに実感できるのだから。

彼が物語を聞かせ、宝箱という課題までもを提出した理由。

自分よりもずっと大人な彼のことだ。考えたって完璧にはわからない。だけど、全てを知らないことをもどかしいとも思わない。逆にジャーファルがアリババを思い考えてくれているという証拠に思えてならないのだ。
こんなにも大好きで愛してる。
自分の一番はジャーファル以外ありえない。

「人なんか入らないじゃないか」なんて子供じみたことを言うつもりはないから、いれるのは彼と同じくらい大切なもの。

そう、それは――


数分ほどでやっとアラジンやモルジアナと一緒に使っている部屋が見えてきた。途中会った文官や侍女に軽く挨拶を交わしたが皆一様に抱えている箱に首を傾げるので、ついつい笑ってしまう。

アリババはひとまず箱をベッドの上に置いた。部屋はわりと綺麗に整頓されている。2人ともあまり物を部屋に持ち込まないから、あるのはもとから持っていた物と貰い物ばっかりだ。毎夜読んでいる冒険書も王宮の図書館で借りて返してを繰り返しているので邪魔にはならない。

「えーと。確かここに……」

部屋の隅っこにある棚をがさがさと漁る。そうすれば数分もしないうちに目的のものが姿を現した。目を細めて指の腹でソレをなぞる。
そうすれば何とも表現しがたい愛おしさが込み上げてきて、アリババは引き出しの中からソレを手にとった。

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