近くの高校の音楽専門書の蔵書数がすごいらしい。あの学校には音楽科があるからな、と、言う野棚さんは隣で今までに無い素晴らしいご機嫌っぷりだ。
「そんっなに楽しみ?」
「……そうだ、な」
「マジ物好き信じ難い」
図書委員として、と言うこじつけな理由を使われながら、その高校まで幾つかの本を取りに行くことになった。あとなんかついでに何冊かの届け物も。
先生自分で行くとか来てもらうとかしなよ、と言う僕の反論は、先生ではなくまさかの野棚さんによって掻き消された。
(大体おっかしーよ、先生はクーラー効いた職員室で待ってるんだよ?)
(……まぁ、一理あると言えばあるが)
(ね、いこともおかしいって言ってるし! 野棚さん!)
(別に、普段なら入れない場所なんだ。楽しめばいいじゃないか)
(嘘でしょ!? ちょ、見てよ外、炎天! 無理だよ断ろうよ!!)
野棚さんは本に目が無い。珍しい専門書があるなんて聞いたら、そりゃ断る筈ないよね。どうせ買っても弾かないくせに、彼女の部屋には凄く古めかしいピアノ譜なんかもあるんだし、本当、何でも良いんだよねこの人。
行き先に当たる高校の最寄りから、徒歩、少し。じりじりと照りつける太陽はやはり恨めしい。爽やかとは言い難いけれど何事もないかのようにさくさくと前を歩く野棚さんを、僕は頑張って追う。
「もー、野棚さんじゃなきゃ絶対やだったんだからね」
「……はぁ? なんだ、それ」
僕の一世一代(と毎回仮定して言ってるんだけど、)の告白はいつも通り華麗にスルー。傷付くー。溶けそうなくらい傷付くー。
「うわ、すっご」
「流石だな」
入校許可を貰って案内された図書室は確かに音楽関係の資料が豊富だった。野棚さんは早速メモを見ながら頼まれた本を捜し出す。日々色々な図書館や本屋で物色しているからか、慣れた様子で見付ける。こりゃ、僕の出番はないかな。
「天藾」
「え、あ、はい?」
「お前ぼんやりしてないで預かってきたほうの資料を届けてこい」
ぴし、と、彼女は振り向いて鞄の脇の大きな紙袋を指差す。黒ペンで『水森先生に』と書かれている、それ。音楽の先生だ、と、確かに聞いてもいるけれど。
「無茶振りだよ」
「音楽室か何処かにいるだろ、行って来い」
「ここ音楽科あるんだよ!? ちょ、一体いくつ回らせるつもりなの?」
「大丈夫だ、お前はへたな鉄砲だろ?」
「数打ちゃ当たる……って違う! 僕は一人だしなんも大丈夫じゃないしまず大前提として悪口だし!」
はいはい問答無用! と、ぴしゃりと言われると、僕は弱い。はぁい、と、反射で頷いて紙袋を抱え図書室を後にすることになった。
ってゆーかこれ体よく追い出されたよね。野棚さん絶対僕が帰ってくるまで図書室物色したいだけじゃん。そう気付いた時にはもう既に階段を上ったり下りたりを繰り返し彷徨いまくったあとだった。つまり。つまり。
「あー、これ知ってる。迷子だ、迷子」
(お前頭悪いだろ)
「気付いてんならいことも止めようよ」
無茶ゆうな。いことの不機嫌マックスな声が頭の中でじぃんっと広がるように響く。もー、そーやっていことはすぐ責任から逃れる! って違うか。逆か。
「──あ、」
(ピアノの音、だ)
ぴぃん、と跳ねるような透明な音がした。楽しそうな弾ける音と、柔らかな低い音と。誰か、いる?
「音楽室かな」
(……だといいけど)
音を頼りに、廊下をそうっと進む。僕はピアノのこととか音楽のこととか全然分からないけど、きっとこの人は凄く上手なんだと思った。それから、きっと、今凄く楽しそうに弾いているんだってことも。
と、途端曲が止まって、それから聞き慣れた曲に変わった。
「これって」
(時期だもんな)
「だけどさ」
その耳慣れたメロディ、小さい頃には誰もが歌った童謡。
「ささのは、さーらさら、のきはにゆれる」
おーほしさーまー、きーらきら、きんぎんすなご。
女の子の声が、そのピアノの上に乗せられる。これまた、凄く楽しそうな無邪気な歌声。曲が終わって、何かの話し声が中から聞こえてくる。
──この部屋だ。
「ねぇ少年、二番は?」
「この曲にそんなものありましたっけ」
「あったよー。えーっと、歌詞思い出せないんだけど、あの、あれ」
そっとドアの隙間から覗き込むと、ピアノの所に座った少年とその近くで何やら話している女の子の姿があった。
ピアノ、弾いてたのあの男の子なんだ。意外。不機嫌そうな態度からは想像つかないくらい、優しい音だったから。
「先輩の思い違いじゃないですか?」
「ちがーう! あったの。少年も思い出してよ」
「……無茶言わないで下さい」
どうやら『水森先生』はいないようだけれど、どうしよう。聞いてみるかな。僕がそんなことを考えていると、
(五色の短冊、だ)
脳内、ぽつんと、声。
(五色の短冊、私が書いた。お星様きらきら、空から見てる)
いこと? 僕が脳内だけで小さく訊いたけれど、それから黙ってしまう。目の前に居たら、壮絶な勢いで決まり悪そうにそっぽ向かれたりしてそう。
そういう中途半端なお節介、誰譲りですかぁ? ふと脳裏を掠めるのは、いこととはまたタイプの違う不機嫌を張りつけた銀髪の不良。
あとちょっとで出てきそうなのにー! と、女の子(先輩って言われてたから、同い年か一つ上か……。多分、年上かな)がまだ言っている中、僕は一つ息を吸い込んだ。
まーったく、しょーがないなあ、僕の表側はとんだシャイボーイですね、かっこわら!
「──あの、五色の短冊、だと思います」
五色の短冊、私が書いた。お星様きらきら、空から見てる。
扉を少し開いて、いことの言葉をなぞるように言う。きょとん、とした顔が二つ此方を見つめた。
そして少年はすぐさま怪訝そうな顔に、先輩らしき女の子の顔はみるみる無邪気な笑顔に変わった。ぱたぱたと女の子が此方に駆け寄ってくる。
「そっか、それだ!」
ほらね少年、二番あったじゃない。得意気な彼女は少年に振り向いて笑い、少年はそうですね、と小さめにつぶやいた。
「見知らぬ少年、ありがとう!」
「あはは、僕が思い出したわけじゃないんで」
「……んん?」
余計なこと言うな馬鹿! と、脳内叱咤が聞こえたので、疑問符を浮かべる女の子には気付かないふりをする。
「先輩、他校生ですよ。何をそんな悠長に」
あくまで警戒態勢の少年に、僕は内心ちょっと笑う。警戒ってより、これはもしかすると。
「あー、その、僕ちょっと水森先生? に、届け物があって」
水森先生、という単語が出た途端、少年は益々もって眉を寄せ、先輩さんは納得したようにぱん、と手を打った。
「水森先生なら、少年がよく会うから大丈夫だよ」
「何が大丈夫ですか先輩」
「少年が渡してあげたら良いんじゃない?」
言うが早いか、僕の腕の中から数冊の楽譜や書類らしきものが入った紙袋を奪う。
「いいの?」
「いいよー、歌詞教えてくれたお礼!」
「渡すの、僕ですけど」
少年の抗議には耳を貸さず、いいのいいの! と、女の子は紙袋を受け取った手とは反対の腕で、僕の腕を引く。少年の顔が更に険しくなったのを僕は目の端でとらえた。
「折角だし、君も少年のピアノ聴いていきなよ」
少年、すごいんだから。凄く素直で得意気なその様子に、僕は酷く眩しい物を見たような気持ちになる。
青春ってきっとこんな色と音をしてるんだ。
(てゆーか、きんぎんすなご、って何かな? 少年知ってる?)
(知りません)
(それは僕もしらないなぁ。野棚さんなら知ってるかも)
(……野棚さん?)
(えーっとね、少年にとっての先輩みたいな女の子)
(えー?)
(なんですか、ソレ)
(さぁ、なんでしょ!)